デジタルツインをナラティブする

<デジタルツインをナラティブする>

デジタルツイン。デジタル情報として計算機内で色々な人や物が再現されるようになる世界。現実世界の人や物はヴァーチャルの世界で再現される。

ヴァーチャル世界で再現された人や物が溢れかえった世界で、人は自分自身が何をしているのかが目の前で分かるようになる。そして自分自身の行動を客観的に眺めることになる。その行動の結果さえ目の前で展開されるようになる。そしてそれらが出来るゆえに、早くに自分自身に気付き悟ってしまう。

ありとあらゆる人が自分自身に気付くようになる。すると彼等は、「このままで良いのだろうか、何か他者に対して良かれということはないのか」と悩むようになる。

そしてそのうちに、デジタルツイン内で自分自身に気付き悟ってしまう世界から、また現実の世界に戻ってくることになる。

現実は彼等の前から去っては行かない。いくらデジタルツインが現実を再現するものとは言え、そこに居続けることは出来ない。必ず現実世界には戻ってくる。それが宿命というものだからだ。誰しも現実の宿命からは逃れられないからだ。

現実世界に戻ってきた彼等。彼等は人の集団である。その集団は現実世界の生きた人間達である。人間社会である。

少しでも人間社会を良くしようというのであれば、現実世界に戻ってきた彼等は、人間社会を良くすべく先ず、他者に対して語りかけるようになるであろう。そう、ナラティブである。「人間社会よ、良くあれ!」というナラティブ、語り掛けである。

そんな良い語り掛け、ナラティブが彼方此方で行われるようになる。それらが充満していくと、相互作用を及ぼすようになる。

彼方此方で他者との押し問答が執り行われる。自身と相手。自身と第三者。自身と第四者。再び自身と相手。押し問答はどんどん繰り返しながら拡散していく。やがて押し問答の波はウネリとなって行き、小さな波と大きな波とがちょうど良い状態に形成されていくようになる。相互に良い作用を及ぼすようになるのだ。

そして現実世界に戻ってきた彼等は互いが互いを尊敬しだすようになる。人々の間に横たわっていた矛盾が昇華され問題が解決しだすようになる。

二者間で押し問答するあいだに、その双方からは豊かな洞察が得られていくようになる。洞察が得られれば、そしてそれを太く強くしていけば、やがてビジョンが形成されるようになる。そして究極的にビジョンの実践へと昇華されるようになる。矛盾を弁証法的に乗り越えていくようになる。これらはナラティブの特徴だ。

デジタルツインの時代においては、多人数の人が悟った後に、その世界から現実世界へと帰ってくるようになる。そして多人数の間で押し問答が始まり、多人数の間で、洞察の束が得られるようになる。するとどうなるのか。

ありとあらゆる洞察・解決策がウネリとなってありとあらゆるところで昇華されるようになるのだ。人々は互いに互いを尊敬するになるのは明白だ。人々の間に横たわっていた究極の問題すら解決への糸口を見つけて、とうとう動きだすに違いない。

デジタルツインが登場する世界。その世界では人々のナラティブの力を添えることによって、究極の押し問答が繰り広げられるようになる。そしてその究極の押し問答から数々の洞察が得られてゆき、これまた数々のビジョンが形成されていくようになる。それらが同時多発的に起こるようになり、人間社会が長年見つけることの出来なかった究極の問題の矛盾を弁証法的に乗り越えていくことが、人間社会の人々皆の手によって成し遂げられるようになるのだ。

以上、デジタルツインをナラティブするということで書き記してみた。


おちゃ11