"1"という"全体"についての話。

今日は、"1"ということについて、書きます。

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たとえば僕が歌を歌ったあと。
そのときどきで、さまざまな反省をします。

今日は声の響きが少なかったな。高い音のコントロールが上手くいかなかったな。フレーズの処理が悪かったな。詩の情感に寄り添えなかったな。逆に情感に浸りすぎてテクニックが破綻してたな、などなど。

こういうことは、大きく無理矢理に分けると、声や発音の技術の面と、エモーショナルな表現の面とあるわけです。

わざと「無理矢理に分けると」と書いたのは、この技術と表現は、表裏一体なわけです。技術だけに気をつけてれば技術的な問題がクリアされるわけでもないし、逆もまた然りなのです。一見技術的な問題だと思っていたことが、表現のアプローチから改善されることがあります。表現に難がある場合、詩の読み込みや音楽の理解といったところを深くやっていく対処もできますが、発音やフレーズの流れ方などを技術的にクリアにしていくと、表現も改善されるということはよくあることです。

このことが、僕はとても不思議なのです。

あらゆる問題が、有機的に結合していて、それぞれが地続きになっています。どこで地続きになっているかというと、どうやら僕自身の身体で、ということらしい。もしくは、それは、この世界すべてに地続き、という言い方もできるのです。

地続き、というのは、平面ということではなく、僕のイメージでは"まんまる"なのです。

問題の個々をとりあげていくと、それぞれが独立しながら結びついているように思われますが、むしろ僕としては、すべては"1"だ、という確信があります。

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数学者の岡潔と、評論家の小林秀雄との対談を綴った「人間の建設」という本があります。そのなかで岡潔がこんなことを述べています。

自然数の一を知るのは大体生後18ヶ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてにこにこ笑うようになる。つまり肉体の振動ではなくなるのですね。そういう時期がある。そこで一という数学的な観念と思われているものを体得する。生後18ヶ月前後に全身的な運動をいろいろとやりまして、一時は一つのことしかやらんという規則を厳重に守る。その時期に一というのがわかると見ています。一という意味は所詮わからないのですが。
<略>
私がいま立ちあがりますね。そうすると全身四百幾らの筋肉がとっさに統一的に動くのです。そういうのが一というものです。一つのまとまった全体というような意味になりますね。だから一のなかでやっているのかと言われる意味はよくわかります。一のなかに全体があると見ています、あとは言えないのです。個人のこというのも、そういう意味のものでしょう。個人、個性という個には一つのまとまった全体の一という意味が確かにありますね。        「人間の建設」より

ここで語られていることはあくまで、岡潔による観察から導き出された「仮説」であって、赤ん坊は生後18ヶ月で一という概念を体得するという学術的な研究結果ではありません。けれど僕にはこの、漫然に動いていた赤ん坊が、手も足も首もお腹も背中も含めて全身を「よいしょ!」と一気に動かすことができるようになって、そこで"全体"としての"1"を体感として理解する。この指摘が、とても腑に落ちるのです。「一のなかに全体がある」。

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僕は歌うだけでなく、踊ったり、芝居をしたりします。
あるいは、山梨でいろいろ企画したり、それに伴ってさまざまなことを考えたりします。それに伴ってないようなことも考えて、こうやって文章を書いたりもします。

これらを一見して、山野はいろんなことをやるなあ(ひとつに絞ればいいのに or そんなにいろいろできてすごいわね)といった感想をいただくことは多いのですが、僕のなかではいろいろなことをやっている心持ちではなくて、手応えとしては、ひとつのことをやっているだけなのです。

僕の中心には「表現者として生きる」という問題が"1"としてドーンと鎮座していて、そのまんまるな全体を横から見たり、上から見たり、斜めから見たりすると、そこに芝居や、歌や、踊りや、はたまた考えることや、人に働きかけることといった事柄たちが浮き出して見えてくるのです。

僕のなかでは、なので、歌も芝居も踊りも書くことも喋ることも、東京も山梨も、全部で"1"なのです。どれも同じものの、違う景色。

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たとえば芝居をしていると、「その登場人物として生きること」という問題が出てきます。それと同時に、「何もせずにただ存在すること」という問題も出てきます。「自分に向き合い、受け入れること」という問題も同時に生じます。これらはべっこの問題として認識されがちかもしれませんが、なかなかどうして、どれも"1"に含まれているわけです。ここでいう"1"というのは、ひとつの小さな問題、ということではなく、"全体"ということです。"表現全体"ということかもしれないし、"自分という人生全体"かもしれない。もしかしたら"この世界、宇宙全体"ということでもあるわけです。

すこし観念的な話になってきました。
けれど僕のなかでは、肌感覚での質感をともなった、とても肉体的な理解なのです。この"1"である、ということは。

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歌のことに話を戻しましょう。

あるフレーズが上手く歌えなかったとします。

そのフレーズは、歌詞が複雑で含まれる子音の種類も多く多岐にわたっているし、それらを処理した上で母音をつなげることが困難。その原因は音型にあって、僕の苦手な母音運びのところに高い音が割り振られている。同時に、その曲の中でもその部分の音楽はとても盛り上がっていて、歌詞の意味としてもとても象徴的でありながら、主人公の気持ちを強く表現している。

ここを改善するには、さまざまな方法があります。

子音の処理、母音の処理、発音のタイミングを調整したり、重心の運び方を変えてみたり。詩の解釈を吟味し、音楽のクライマックスを移動させ、演技的な見せ方としての身体の使い方も工夫してみる。

これらのことをひとつひとつクリアしていくことは、もちろん正攻法です。
ひとつひとつクリアするのだ、という姿勢で臨むことは全くもって間違いではない。

けれど僕としては、「ああ、これは"1"になれたらいいという話だな」という理解があるのです。確信といってもいい。

上にあげた問題やその対処法は、「歌う」という行為、もうひとつ推し進めると「表現する」「その場に、そのように、生きる」ということの、全体に含まれているものたちです。

だから、そのフレーズが上手くいかない僕は、まず、そのフレーズを歌いながら"1"になれることを目指したいのです。

発音や発声の技術的な解決法や、詩や音楽の情感といった問題は、「表現者として生きる」という"1"である全体を、さまざまな角度から眺めたときに見える姿でしかありません。あくまでも僕は、そこにある"1"を見ているのであって、その"1"を構成する0.1や0.01を見ているのではないのです。「Sの子音の処理方法」や「Notteという単語の象徴学的な解釈の仕方」は、ともすれば、その曲をよりよく歌うための方法のいち部分のように捉えられがちですが、それらの小さな問題も、やはりその向こうには全体があるのです。まんまるな、全体としての"1"を眺めたときに見える、ある側面でしかないのです。かならず、全体につながっている。

「表現者として生きる」ということは、「自分じゃない人に共感し、つながる」ことでもありますし、「世界とつながる」ことでもあります。それこそ足の裏から背中から指の先から耳の後ろまで。

そう思い当たった頃からは、上手く歌えないときは、自分が声の問題や、発音の問題や、その他の気掛かりなことに心が囚われていて、自分が"1"になれていないことがいちばんの原因なのだなと理解するようになりました。

問題は、"1"でいられるか否かという、存在の仕方、なのです。

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さまざまなことを考えるときも、そうです。

たとえば正義。たとえば現代社会におけるオペラの存在意義。たとえば山梨の文化のいく末について。

それぞれ全く別の事柄のように見えますが、これも全て"1"です。
僕が、この世界に生きる、ということの、ある側面。

この"1"を自分のなかで捕まえていると、自分の専門外のものを見たときでも、身体感覚として理解することができます。というか、もうこれは確信です。なぜわかるのかと言われても、わからないのです。わかるから、わかる、ということです。

もしかしたら、人から言わせれば、わかっていないのかもしれない。
「山野、お前は全然わかっていないよ」と思われている方も、たくさんたくさんいるのかもしれない。

でも僕としては、僕の"1"のなかで、つまり僕という存在と世界の繋がりという全体のなかで、"わかって"いるのです。あるいは、"1"として受け止めた結果、"わからないということがわかる"こともあります。たくさんあります。

今日の話が、多くの方に伝わるのかは、ちょっとわかりません。
ただ、この文章を読んで、膝を叩きながら「そう!そうなんだよ!!!」とわかってくださることが世界中のどこかに、それも少なくない数いてくださることも、わかっています。

僕は明日からも、どんなときでも、"1"でいられることを目指して、頑張ろうと思います。


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