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「読み方のクセ」を知る


月に1回7〜8人で寄り集まって戯曲を読んだり、芝居の台本を使って稽古しながらディスカッションをしたりすると、

本の読み方には人によってクセがある

ってことに気づきます。

俳優なんてのは「文章を読むのが仕事」みたいなところがあるし、いまの世の中の仕事で「いっさい文章を読まなくてOK」みたいなのはかなり稀だと思うので、自分の読み方のクセみたいなのはみんな把握できてるといいと思う。

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僕が持っている読み方のクセはこんな感じ

・人名は飛ばして読みがち
・数字(年号、科学的データ、金額etc)も飛ばして読みがち
・「著者の意図や人生」を見抜こうとする傾向が強い
・文章の構造を読み解くことに多くのリソースを割く
・映像は浮かびにくいが音は再生されやすい
・興奮すると先を急いで読みがち
・映像化にあまり興味がないので風景描写とかも読み飛ばしがち

他にもあると思うけど、いまざっと思いついたのがこんな感じです。

そもそも文章を読むときに「映像で読む」「音で読む」「文字で読む」か、みたいな違いがありそうだなと考えていて。(たぶん脳化学の分野とかでは仔細な研究があるはず)

ぜひ考えてみていただきたいんですけど、たとえば小説を読むとして、そこに書かれていることが頭の中で

・映像になる
・声や環境音として再生される
・文字のまま頭や身体に入ってくる

さて、どれになるでしょうか?

けっこうこれって人によっても違って、「え。小さい頃から小説は自分の頭の中で映像にして読んでたけど、そうじゃない人もいるの!?」みたいな発見があったりすると思うんです。

僕は「文字で読みながら音声も入ってくる」っていうタイプの読み手。ちなみに、映像化するのは超苦手です。

たぶん、上の3つの傾向を少しずつ持ってるって人もいるでしょうし、ぜんぜん違う読み方をしてる、上の3つとも当てはまらないみたいな人ももしかしたらいるかもしれません。


あと、読むときに「単語」は目に入るけど「助詞や助動詞」は読み飛ばしちゃう、とかいう人もいるはず。この頃言われる「読む力の低下」みたいなのって、そういう「読み方のクセ」に起因していると思うのです。


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上にも書きましたが、俳優ってのは「文章を読むのが仕事」なところがあるので、知らず知らずのうちに自分のクセで偏った台本の読み方をしてた、とかになると最終アウトプットである芝居のかたちにも影響を与えちゃったりするはずです。

だから、俳優は、「自分の読み方のクセ」を知ることがとっても重要だと思う。


短距離ランナーだって、より良い記録を出すために自分の走ってるフォームを録画して客観的に分析したりして、自分のクセを把握する作業を必ず減るじゃないですか。

俳優だって、セリフを言ったり身体を動かしたりすることの技術を高めるのと同じくらいに、戯曲を読解する技術を高めることも大事なわけだから、そこのクセとも向き合った方がいいはず。


俳優じゃなくったって、仕事上の書類とか、上司からのメールとか、仕事する過程で文章を読む機会はたくさんあるわけで。

たとえば、自分が指示出しをしている後輩がぜんぜん思ったような働きをしてくれないって場合、自分の指示の出し方が悪い可能性をまず疑った方がいいとは思いますが、

「受け取り手の文章の読み方にクセや欠陥がある」っていうところに原因がある場合もある気がします。

「文章の読み方にクセや欠陥がある」っていうのは、先天的な脳の働きの問題に起因する可能性もあるし、あるいは育った環境とかに起因する場合もあるし、一概にその人本人が悪い、ってことじゃなかったりします。

メールや書類での指示だし一つとっても、「読み方のクセ」を各人が把握しておくのがとっても大事だってこと、理解していただけましたか?


すでに書いたように、僕には人名や数字を読み飛ばしたり、映像を思い浮かべるのが苦手っていうクセがあるので、仕事用の台本を読むときにはその点にかなり留意して読むようにしています。

もちろん読みながら、「ここは映像化しなくてもいいな」とか、「この数字は本筋に関係ないな」みたいな判断をして取捨選択しますが、「自分にはこんなクセがある」と意識しながら読むのとそうじゃないのとでは

受け取る情報量に格段の差がでることでしょう。


自分が持っている「文章の読み方のクセ」を知ることで解決される問題って、けっこうたくさんあるんじゃないかなあ。





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