「ヤマガヒ-しんしん-」を終えて
1日飽きましたが、おとといの2/22、無事に「ヤマガヒ-しんしん-」の立川公演が終演いたしました。ご来場いただきましたお客様、ありがとうございました。そして、参加者の皆様にも心からの感謝を。
僕にとっては2/5からスタートしたプロジェクトで、2月のうちの半分を費やした舞台でした。
けっして大きな舞台ではないし、立派なプロダクションでもなくって。
けれど、たくさんのことを学び、たくさんの失敗をし、たくさんの挑戦ができた半月だったと思います。
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今回の作品は、台本執筆と演出を担当した中原和樹が、山梨の土地やそこに住む人、天津司の舞や甲府盆地の湖水伝説からインスピレーソンを得て、それを彼の経験や人生というフィルターをとおして具現化されたものです。
表面上はかなり「わかりづらい」脚本で、台本を演劇として立ち上げていく作業もかなりの困難を伴いました。
まず「台本を読んでも理解できない」というところからスタートする稽古は、俳優にとって不安や恐れを強く感じさせるものだったと思います。
僕たちは「わからないもの」に出会ったときに、往々にして、「なんとかわかろう」とする心が働きます。
「わからないもの」は「危険」だと、本能的に判断するためでしょうか。
「わからない」という状態は、強い不安を心に引き起こします。
そのときにどうやってその「わからない」にチャレンジしようとするかというと、「自分の理解できる方法でわかろうとする」のが一般的だと思います。
僕が個人的に今回の取り組みの目標にしていたのは、「"わからないこと" と "わかること"を自分の中に共存させること」でした。
普段はどちらかといえば、「戯曲の隅々まで理解して演じたい」と思う心が強い僕ですが、「たとえ頭で理解できてない箇所があったとしても、その瞬間に真摯に向き合い全力で表現すれば、そこに生まれるドラマがあるはず」
ということを信じて、作品に取り組みました。
結果、うまくいったこともたくさんありましたが、うまくいかなかったこともいくつかありました。
それはもう、単なる僕の実力不足。今後の人生をかけて、技術と感性を磨いていくしかないなと思いました。
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山梨と立川の2回の本番を経ていちばん感じたのは、共演者たちとの「対話」の重要性でした。
山梨では、5泊6日の合宿のようなスケジュールで、稽古終わりにはご飯を食べに行ったり、宿舎でもお酒を飲みながら深い時間まで演劇のことや下らないことをしゃべったりしていました。
その中で、それぞれが抱えている悩みや不安。それぞれが考えている「表現」というものへの姿勢。何を恐れて、何を愛しているのか。戯曲に対しての考えや思い。稽古場での出来事の感想。
そういったことについての会話を、たくさん積み重ねることができました。
「どうでもいいことも大事なことも全部ひっくるめた対話の時間」がたっぷりあったのが、山梨でのワークショップでした。
東京では、その時間があまり取れませんでした。
それに加えて、僕自身、共演者とのディスカッションを、あまり積極的にしないという選択をしました。
なぜなら、東京公演だけに参加してくれたメンバーにとって僕は、「山梨でもやってた人」であって、その関係性のままディスカッションをすると、「山梨でのやり方を教える」みたいな形に陥っちゃうかもと危惧したからです。
けれど、今となっては、東京でももっとたくさん対話をするべきだったなと思っています。
山梨のときよりも稽古時間が短かったり、稽古の前後にそれぞれ予定が入っていたりして、そういった時間が取りづらかったぶん、稽古の休憩中とか、もっと活発に会話をしていくべきだったな、と。
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これで「ヤマガヒ-しんしん-」は一旦終わりですが、「ヤマガヒ」という作品自体はまだまだ続いていきます。
7月には加筆修正を経た台本を用いて、邦楽の生演奏や書き下ろしの音楽を加えて、「ヤマガヒ」の本公演が行われます。
場所は山梨県甲府市。コラニー文化ホールの小ホールです。
稽古の再開は4月からの予定。じっくり、じっくり作っていきます。
今回のプレ公演で得た気づきは、陳腐な言葉だけど、本当に宝物で、7月の本公演にも確実に活きてきます。
そしてもちろん、僕のこれからの表現者としての人生にとっても、かなり大きな示唆を与えてくれました。
これからも、頑張ります。共演者の皆さん、本当にありがとうございました。協力してくれたスタッフの皆さんにも、心から感謝です。
みなさんと演劇を作れて幸せでした。
応援くださったお客様も、本当にありがとうございました。
読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。