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活き活きできる場を手放さない。


「やはり野に置け蓮華草」という言葉がありますが、数日予定がないときなんかはまさにこの言葉が身にしみます。

僕はどうにもスケジュールを組むのが下手くそで、忙しいときには何故かあえて1日に2つも3つも予定を入れちゃうし、

暇になったと思えば3日も4日も休みになってて、「ここでなんかひとつでも仕事入れとけばな」みたいなことになるのです。


大学卒業してすぐぐらいは、いろんな働き方、いろんな生き方を試してみましたが、この頃は自分の身体に合う仕事の仕方や日々の過ごし方が明確にわかってきていて、

つまり、どれだけ金にならなかろうが大変だろうが、僕は、なにかしらの表現に携わっていた方が心も身体も健康で元気なようです。


しまなみ海道から帰ってきてこの3〜4日は予定もなくお休みで、部屋の整理をしたり、来週のシャンソンのライブの準備をしたりしているのですが、いかんせん外に出る予定もなく人と会うこともなくって、

基本的に「発散欲」がある僕は、昨日ぐらいからちょっと悶々としてきました。笑


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ちなみに、冒頭に書いた「やはり野に置け蓮華草」という言葉。

元は

手にとるな やはり野に置け 蓮華草

という句で、俳人の滝野瓢水が、遊女を身請けしようとした友人を諌めるために詠んだらしいです。

まさか、遊女に関連した句だとは、知らなかったなあ。その文字通り、可憐なレンゲは摘んで花瓶に挿すよりも、野に咲いていた方が魅力的だよ、ってことを詠っているのだと思ってた。

自然の中の蓮華草が美しいように、遊女も色町にいてこそ美しい。うむむ。


でも、本当にそうかもしれない、と思います。

役者も音楽家も「やはり野に置け」じゃないけれど、

やっぱり役者だとしたら板に立ってるときや日常に稽古があるとき、向き合うべき戯曲があるときの方が元気だもの。それは自分でもわかる。イキイキ度合いがぜんぜん違う。

音楽家だって、本番が目前とか、読むべき楽譜があるとか、まさにお客さんの前で演奏しているとか、そういうときにこそ「生きてる!」っていう実感をもって生きていられると思う。僕自身がそうだから。


こうして、休みがある生活というのは、もしかしたらある人たちからは羨ましがられるのかもしれないけれど、僕からしてみれば「本番をくれ!曲をくれ!台本をくれ!」ってなもの。

泳いでなきゃ死んじゃうマグロと同じで、表現に接していなければ心はすぐさま窒息状態。


来週は来週で細々した予定が入っていててんやわんやだし、29日にはシャンソンのライブがあるし、4月に出演する舞台「美愁」の稽古にも合流します。

そうなればこっちのもので、すかさず元気な日々が甦るのだろう。いろんな人にも会うから、いろんなことを考えるチャンスもたくさんあるんだろう。


自分でコントロールできない予定や、自分が好きじゃない仕事、そういうことでスケジュールが埋まってしまうのはぜったいに嫌なんだけど、

表現に携われるような予定がぎっしり、ってことならば、たとえ休みが少なかったとしても、僕は充実した日々を送れるんだろうな。


来週になれば、4月の「美愁」、5月は「ジャージーボーイズ・イン・コンサート」、5月後半から7月頭まで山梨で新作舞台の「ヤマガヒ」、7月から11月までは「ジャージーボーイズ」と、舞台の稽古と本番がひっきりなし。

早くそんな日々が来ないかなあとワクワクしている最中。

スターティングゲートに入れられた出走馬さながらの臨戦態勢ですよ。ブルルルル。

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自分が活き活きできる場を、もし見つけることができたのならば。

ぜったいにそれを手放すべきではないと思う。

活き活きと生きられることは、たくさんお金が稼げるとか、人に尊敬される地位を得るとかよりも、ぜったいに価値があることだから。少なくとも僕はそう思います。

また、近い未来の話をすれば、社会は貨幣経済から、どんどん信用経済に転換していきます。いままでの資本主義とは違う経済ルールが社会を動かしていく時代になる。

そのときに強いのは、好きなことを一所懸命にやっている人。

周りの人がその人のことを見ると思わず笑顔になっちゃうくらいに、自分の好きなことに没頭している人。そんな人にスポットライトが当たる時代がくる。


あるいは、そんな「未来の経済」のことなんか考えなくったって、自分の幸せを考えたら。そこそこの満足でそこそこに生きるより、自分が活き活きといられる場で思う存分活き活きした方が幸せに決まってるじゃん。


あー、早く来週にならないかなっ!!!!!!



読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。