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「アルカディア」/トム・ストッパード


記事作成:2018年3月12日


3月12日の夜に開催される戯曲研究会の課題作品でした。


語り得る言葉がとっても少ないのですが、その理由はこの戯曲が難解だからではなく、美しすぎるからです。

美しすぎるものについては、沈黙せざるを得ない。

読了後、そんな気分になりました。

とはいえ、書きます。

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現代と19世紀初頭を行き来するストーリーですが、劇中に登場する「場所」は一箇所。

ダービシャーの貴族の館の庭に面した一室。
(「アルカディア」」トム・ストッパード/ハヤカワ演劇文庫『アルカディア』小田島恒志訳 11ページ)

この一室で起こるさまざまな人々の会話で、この劇は紡がれています。

時代を大きく飛び越えますが、その時間の跳躍を以って叙事詩劇とするよりは、ある限定された環境で繰り広げられるリアリズム演劇の劇作法を下敷きにしていると考えるのがいいと思います。


19世紀の場面に登場する主要なキャラクターが、聡明な少女と、彼女の家庭教師である秀才ということと、現代の場面も過去の出来事を解き明かすことを生業としている作家と大学研究員が軸になることで、

戯曲上の会話には文学、数学、哲学、熱力学、ニュートン力学、イギリス式の造園学など、さまざまな学問の用語や知識が織り込まれることになります。

そこだけに当たると「あう!難しい!」となっちゃうのかもしれないけれど、こういう「学術的な要素」は戯曲の枝葉だと言っていいと思う。


重要なのは、それを身につけたものにとっては「空気のように当たり前」であり、かつ、それに対して「心を奪われる」ようなミームを持った人間同士が、その素養の上で、人間らしい葛藤に悩まされている、という点。

古典や科学の知識を戯曲上の重要な構成要素とすることで、作品に奥行きを与えたり、ダブルミーニングの読み解きや本歌取り的な面白みを観客に託したり、ある種の格調高さを演出したりというのは、トム・ストッパードの特徴的な劇作手法らしい。

でも、けっきょく彼が描きたいのは、難解な科学の問題や哲学の問題ではなく、そこに人間が生きているということの切なさや恥ずかしさや難解さや美しさについて、なんだと思います。


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「早熟で聡明な少女」というモチーフは、僕も好きな設定です。

榛野なな恵さんの「Papa told me」や、J.K.ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニー・グレンジャーなんか、僕はとっても魅力を感じます。

「アルカディア」にも19世紀側にトマシナ・カヴァリーという早熟で聡明な少女が出てくる。現代の場面に出てくるクロエ・カヴァリーという少女が出てきますが、彼女は早熟ではあるけれど聡明ってわけではなさそう。

というかむしろ、現代に生きる18歳に相応しい「早熟さ」を身につけているだけであって、むしろ現代においてトマシナと対を成すのは、ガス・カヴァリーという15歳の少年の方かもしれません。


この戯曲がけっきょくなにを主題としているのか、についてはいろんな読み解き方があると思いますが、僕としては「死についての戯曲だ」というのがいちばん確信をもって言える答えです。

それは戯曲の終盤に熱力学の第二法則について言及されることでより輪郭を濃くしていきますが、「アルカディア」という題名からも、その題名の引用元であり劇中にもセリフとして登場する"Et In Arcadia Ego"からも読み解けます。

19世紀の登場人物たちは当然、現代の場面ではすでに"死んでいる"わけですし(主要な人物たちがどのように死んだのかは戯曲中で描かれている)、

その"死に行く者"という情報を含んだトマシナとセプティマスがラストに踊るワルツ(そこには現代のハンナとガスのワルツも重なる)が美しいのは、その先のどこかで「死ぬ」ということを私たちが知っているからだと思います。


だからこの戯曲の美しさは、「死」という存在が戯曲中を密かに流れているゆえにひきたつものだと思うし、そこにある「死」は決して悲惨で残酷なものでなく、静かで宿命的なものなのです。

死の影が見えるからこそ、そこにある生が美しい。

そんな戯曲だと思いました。

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で、少し話は変わるんですが、イギリスの上流階級や知識人を中心に据えた話なので、イギリス人流のウィットに富んだやりとりや、階級による振る舞いの違いなど、「イギリス社会の構造」を上手に利用して書かれています。

けれども、僕的にはどこか、「イギリス人が書くイギリス社会への皮肉を含んだ文章と比べると、いささかゴツゴツしている」と感じられました。

それはたぶん、ストッパード自身が、生粋のイギリス人じゃないっていうところに起因してるんだと推測しています。

チェコスロバキアに生まれシンガポールに亡命。その後、インドに転居。途中で父は死亡。インドにてイギリス的教育を受け、母親が英国陸軍少尉と再婚したことによりイギリスへ移住。トム自身はユダヤ系の出自。

そう。巧妙な書き方がなされていますが、「外から見たイギリス」という視点がありありと反映されている気がします。




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