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憧れが自分の首を絞めるとき


生きていく上で、憧れってとっても大切だと思うんです。


あんなところに住みたい。

あんなところに行きたい。

あの職業に就きたい。

毎日あんな食事がしたい。

あんな服を着たい。

あんな恋人が欲しい。


そういう、物質的な憧れがモチベーションになって、仕事を頑張れたりとか、尻込みしちゃうようなリスクをとる勇気が出たりすることもあります。


僕だって、憧れる生活スタイルとか、憧れる仕事のスタイルとかがあって、それに少しでも近づけるように日々できることを頑張っているわけだし。

だから憧れって、うまいこと使えば自分が行動するときのエネルギーになったり、指針になったりするわけですよね。


でも、うまく使えないと、自分の首を絞めることになりかねない。


たとえば

あの人みたいになりたい...!!!

みたいな憧れ。

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あの人みたいになりたい、という憧れも、もちろん行動するためのモチベーションやエネルギーになりますが、「あの人」の設定を間違えるとけっこう迷宮入りする確率が高いです。

人間は人それぞれにユニークで、それぞれに違う感性や能力を持っています。

すっごく当たり前なことなんだけど、そこをすっ飛ばして「憧れ」だけでその人の現在の姿に近づこうとしちゃうと、大事なものを見誤る。


人がいま、その状態であるってことは

・それまで生きてきた経験の蓄積
・経験に影響されて発達した考え方の方法論
・出会った人や書物、芸術、エンタメなどで形作られるその人固有の言語体系
・生まれながらに持っている特質
・トラウマや恐れているものからの影響

などなど、挙げはじめたらキリがないくらいの要因によって影響を受けています。

簡単に言えば、「その人の生まれつきの特性とその人のこれまでの人生全部」によって、その人のいまの状態が形作られているわけで。

人生全部、のところだけを抜き出せば、20歳なら20年の蓄積。45歳なら45年の蓄積があって、それを経たその人のいま現在の仕上がりに、「憧れ」ているわけです。

その人生まれつきの特性だと、身体的な性別とか、身長体重などの体格、障害の有無や程度、特殊な傾向を身体的または精神的に持っているか否か、などがあるわけです。それらは人生経験や、ものの見方・考え方に、大きな影響を与えるでしょう。


そういった後天的な要因と先天的な要因によって形作られた、その人個人の仕上がりに憧れたとして、その表面にあらわれている「仕上がりそのもの」を丸っと外からトレースしようとしても、しんどいですよね。

冷静に考えたら、「その人の生まれつきの特性とか、いままでの人生とかで形成されたその状態をトレースするのはしんどい、てか無理」ってわかるんだけど、

なぜかわかんないけど、自分に対して「ぜんぜんダメじゃん俺!」みたいに思っているときに、その自分の不足部分を全部持っていて、さらに自分の理想以上のパフォーマンスをしている人を見ると

「ああなりたい!あの人になりたい!いっそあの人のやっているように自分も全部やりたい!」

みたいな思考回路に陥りやすかったりしますよね。

その状態が続いて、「憧れの人」みたいにいろいろやろうとしたところで、結果ぜんぜんなんにもうまくいかなくて、「やっぱり自分はクズなのか・・・あの人と同じようにやりたいのに・・・」みたいな負のスパイラルにハマってったりして。


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冷静な判断ができるときには、こういう状態には陥りにくい。

上にも書いたけれど、「ぜんぜんダメじゃん俺!」ってなっているときに、自分の理想を絵に描いたような人や、自分のつまずいている問題を解決してくれそうな人に出会うと、モーレツに憧れちゃうわけですよね。

この苦しいところから早く脱したい、そのためにはあの人みたいになればいい、みたいな。

つまり、「ぜんぜんダメじゃん俺!」ってなってなければ、冷静に、憧れの人の良いところだけを真似したり、自分にも順応しそうな考え方や方法論だけを選んで取り入れたりできるのかもしれない。

あるいは、「あの人には強く憧れるけど、そもそもあの人の特性と自分の特性は違うから、僕は僕の良さを活かしてやろう!」みたいに思えるかもしれない。憧れは抱きながらも。


つまり、自己肯定感が低いときにあまりにも強烈な「憧れの人」に出会っちゃうと、肯定できない自己を「憧れのあの人」に置き換えようとしちゃう心の動きが生じやすい、ってことだと思うのです。


でも、すでに書いたけど、それぞれの人間はそれぞれにユニークな能力や歴史を持っていて、それに応じたアウトプットを持っています。っていうか、それに応じたアウトプットしか持っていない。


憧れの人からなにかを学び取ることは可能かもしれないけれど、憧れの人そのものに成ることはできない。

学び取る、というのは、憧れの人が持っている要素の中から、自分の身体や脳みそでも実行できるようなものを選別して身につけるってことだと思うから、学び取る前にまずは、「自分の特性」っていうのを理解していたほうがいい。

たとえば、憧れの人がすごい色彩感覚を持っていたとして、その能力を得たい!と思っても、その人の色彩感覚は共感覚に起因してたとしたら。

そんなん、ぜったい同じようには世界を見ることはできないわけで。そこを追いかけよう追いかけようとしても、いつまでも到達できなくて苦しいだけ。


自分にはなにができて、なにができないのか。なにが得意で、なにが苦手なのか。そういうことをちゃんと棚卸しして、できることや得意なことを認めていって。そういう作業の先に、「憧れの人に近づく」という行動が、健全にとれると思うのです。

できることや得意なことって、本当に些細なことでもいいと思うのです。まずは。自己肯定感を高めるためには。

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そうはいったって、そんなに自己肯定感高く生きることとか、無理じゃい!みたいな方はぜひ、サクちゃんさんとDr.ゆうすけさんの「月刊 自己肯定感」を購読していただくとして。笑

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僕としては、「憧れが自分の首を絞めちゃうこともあるから気をつけて!」ってことを伝えたいと思います。

そこにいること、そこに生きているという事実だけで、その人自身は素晴らしいと思うから。

憧れに近づこうとして、自分を捨ててしまわないように。





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