「伝わらないかもしれない」という不安と覚悟
演劇をやるということは、常に、「伝わらないかもしれない」という不安との戦いだ。
そもそも、人に何かを伝えるという行為にはいつでも「伝わらないかもしれない可能性」がついてまわる。
「私さ〜、○○○○なんだよね〜」
「あー、そうだよね、わかるわかる」
「この間さ、〇〇がさ、〇〇でさ、〇〇○って思ったの」
「うん、わかるよ」
その会話がどれだけ軽いものであれ、どれだけシリアスで重いものであれ、このときの「わかる」が、どれだけ「わかられているのか」は本当のところわからない。
状況さえ許せば、自分の言葉をいくらでも使って、あらゆる言い換えを駆使して自分の想いを一対一で伝えられる日常会話でさえそうなのに、台本という定型の言葉を携えて、50人なり100人なり、ときには2000人以上の人に「何かを伝えよう」だなんてある意味、狂気の沙汰としか思えない。
それでも僕は、僕らは、演劇をやる。なんでだろう。
時間をかけて稽古をし、お金をかけて自己鍛錬をし、自分の全身全霊をあの一瞬に注ぎ込んだとしても、すべてが徒労と終わるかもしれないのに。
もうね、それはね、こう言うしかない。
信じているから、だ。
演劇で、何かが伝わると、信じているからだ。
正直いえば、その信念がぐらつくことだってある。
けっきょく伝わらないんじゃないか。なにも、意味なんかないんじゃないかって、思うこともそりゃある。寝不足が続いたあの日とか、自分の実力不足を痛感したあの日とか。
でもだからって、いまのところ、演劇をやめようと思ったことは一度もない。
やっぱり、どんなときでも、「演劇で何かが伝わるはずだ」と信じているし、「演劇でしか伝わらないことがあるからだ」ということも信じているから。
でもその信念の裏側にはいつも「伝わらないかもしれない」という不安がつきまとう。
けれど、だからこそ、「伝わらないかもしれないけど伝え続ける」という覚悟、を持つのだ。
そして大事なことは。というか、僕が大事にしていること、なんだけど。
それは、
「伝わらないかもしれない」という不安を真正面から受け取る覚悟を持ちながら、だからって「伝わるように伝わりやすく伝える」のではなく、「本当に伝えたいことを(伝わらないかもしれないけど)伝え続ける」ということ。
これを失ってはいけないと思うのです。
伝わらないかもしれないけれど、伝え続ける。
その覚悟を持った上で僕は、演劇をやり続けたいなと思います。
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