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ただの大学生だった僕が芸能事務所に所属した方法

僕は、二十歳の時、映画「GO」を観て「こういう作品を作るメンバーの一人になりたい!」と思い立ち、その足で書店まで走り、映画コーナーにある一冊の本を手にとって開いた。どうしたら、映画を作る一員になれるか知りたかった。本には、照明部、録音部、演出部など、映画を作る上での各セクションに、どの様にすれば、成れるかが書かれていた。

「監督、映画学校に通わなければなりません。照明部、専門の知識を身に付けましょう。録音部、専門学校に行きましょう。」など、今すぐになれそうなものが見当たらない。やはりなかなか難しい世界なんだなぁと思いながらページをめくると、役者の項目にはこう書かれていた。

「役者、誰にでもなれます。」

僕が役者になる決意をした瞬間である。今思えば、この本、誰が書いたんだろうかと著者が気になる文言だったけど、なんの知識もない僕はこの文章を完全に真に受け「コレだ!」と、役者になる事を決意していた。もし、その本に「監督、誰にでもなれます。」と書いてあれば、僕は監督を目指していたに違いありません。

ちょうどそんな頃、いとこが劇団を立ち上げるので、一緒にやらないかと誘ってくれまして、人生初のお芝居に触れ、その楽しさと自由さに魅了されてゆきます。


20通応募

目標である映画に出演する為、まずは芸能事務所に応募しようと行動を開始します。「どうせやるなら、数で勝負だ」と20歳を記念して、20通の履歴書を提出。

ほとんどが書類審査で落選となる中で、3つの事務所から「二次面接」に来るようにと連絡がありました。

結果から申し上げると、全て落選。面接に進めたものの、何処にも所属する事は出来ませんでした。

しかし、面接で一緒だったいくつか歳上のお兄さまが「この面接に来ているのは、1000人越えた数の応募者の中の何人かなんだよ。」と教えてくれました。雑誌で確認してみても確かにそう記してあります。全て落ちてしまったものの「そんな数の中から呼んでもらえたなら、可能性は0ではないのだな。」とポジティブに捉え、次の挑戦に踏み出してみる事にしました。

まず敗因を探る為、提出した履歴書を見返してみます。出演作が1つもない。こりゃ落ちるわ。きらりと光る才能や、一際目立つルックスではないし、ただの大学生のままでは、所属は難しい。

では、どうしたら出演作を増やせるか。

パソコンで検索を始めると、自主製作映画の出演者募集が出てきました。あらすじや、製作団体のHPを隅々までチェックし、応募ボタンをクリックしてゆきます。

二十歳という若さが幸いしてか、2年間で20本ほどの自主製作映画に出演し、履歴書は出演作でいっぱいになりました。他にも、一般募集しているものには片っ端から応募しました。

ジュノンスーパーボーイコンテスト2次審査、D-BOYオーディションネット投票審査、スタジオライフ最終オーディション、全て落選。途中落選でもガシガシ履歴書に書き込んでいきます。

果ては、16ミリ映写機操作技術免許を取得するなど、役者関係あるのか?という様なものでも、目に映る応募できそうなものは片っ端から出していきます。


22通応募

あれから2年が経ち、これでもう一度トライしようと、今度は22通の履歴書を新たな事務所に送ってみます。

すると5社から二次面接の連絡が入りました。

2年間で2社増やした格好です。

しかし、現実はそんなに甘くはなく、面接は一つ落ち、二つ落ち、遂に最後の一社を残すのみとなってしまいました。

どうしても落選できない最後の面接でしたが、ズバリ自分に足りないものを言い当てられてしまう社長さまと対峙し、ボコボコにやられてしまいました。もはやこれまでかと思いましたが、そこに至るまでの2年間の応募の日々を思い「こんなにお芝居したいのに、どうしたら分かってもらえますかね。」と泣きながら、醜態を晒し、食らい付きましたが、結果は、あえなく不合格。

それでも無鉄砲だった僕は「何処かでお会いしましょう!」と強気に扉を閉じて帰りました。

数日後、どこにも受からなかったなぁと、とぼとぼと公園を歩いていると、あの社長の事務所から着信が。

出てみると、マネージャー様からで「事務所付属の養成所を立ち上げるので、そこの一期生にならないか」というお誘いでした。しかも「社長の計らいで、特待生として、月謝を半分免除する」というお話でした。しかし、今すぐ現場に行きたかった僕は「有り難いお話ですが、養成所でしたら、お断りします。」と言うとマネージャー様は「社長がここまで言う事はないから、とにかく入りなさい!!」と一蹴。咄嗟に「はいー!!」と入所を決めてしまいました。

それから1年間レッスンに通い、1年後に用意された所属オーディション。

一期生初の所属者となる事が出来ました。

あの日電話してくれたのは誰だったのかを、後から確認すると、なんとマネージャーに扮した社長でした。鍛えてから所属させようと考えてくれていたみたいで、怒鳴ってまで僕を養成所に呼び寄せてくれていたのでした。あの2年間の日々を最初から感じとってくれていたんですね。

合計42通の履歴書を提出し、1年間の養成所を経て、やっとこさ所属となりました。これが、ただの大学生だった僕が芸能事務所に所属した方法です。簡単な道はありませんね。この時以来、数字での挑戦や応募にハマり、最近でも年間100本オーディションを敢行するなど、未だに効果を感じています。数学は得意ではありませんが、何かを足したり掛け合わせたりすると、遅かれ早かれ目標に近づいていくのかなと思います。



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