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自分で自分のことを褒めたい(1)

アトランタオリンピックで銅メダルを取った、その直後のインタビューで有森さんが話してくれたこと。その当時、僕は13歳、その前年は野球少年だった僕にとっては記憶に残る年だった。近鉄のエース、ストレートとフォークで三振を奪う圧巻のスタイルを持つ投手、野茂英雄が大リーグに挑戦したのだ。テレビにかじりつくように、野茂の登板を見て、心の中でひっそりと応援した。NIKEのムックを買って、NOMO MAXのスパイクが欲しくてほしくて仕方がなった記憶は今でも鮮明だ(結局、Air Zoom MAX96を買った)。

僕が野茂の何に驚いたかというと、その活躍ではなく、その挑戦に驚いたのだ。活躍して、タイトルを取り、優勝を目指す。そして、年俸が上がって、200勝や2000本安打名球会入りを果たす。それがプロ野球の王道だった。その王道を捨て、日本球界に分かれを告げ、年俸も一気に割安になってでも挑戦したのだ。従来の価値基準を捻じ曲げたのだ、その一歩を踏み出したことに身震いした。トルネード旋風は全米に起こっただけではなく、僕の価値観の中でも起こったのだ。

その当時はそれを言葉にできなかったが、僕が大リーグに挑戦する前の野茂のことをそれほど好きでなかった(当時のライバルであった西武ファンだったから)が、大リーグ挑戦を通じて応援することになった。その時代に生きた多くの人はそうだったのではないだろうか。

その翌年である。有森さんの言葉を聞いたのは。僕はその日、テレビ中継を見ていたかどうかは覚えていない。しかし、その日のニュースで、有森さんのインタビューを見たことは間違いない。彼女の言葉を聞いて、強い、そして自分を持っている。野茂英雄の挑戦に感じたものと同じだ。深い感動に身震いしたことを覚えている。

彼女は世の中のものさしで自分を見ておらず、自分で定めた挑戦に、自ら挑み、自ら結果を出した。だからこそ、4年前のオリンピックよりもメダルの色が1つ落ちても、「自分で自分を褒めたい」といえたのだ。僕の解釈にすぎないが、そう理解したいと、野茂英雄氏の挑戦の延長線上で思っていたのだろう。

それ以来、ずっと記憶に残り、ときおり、自分の頭をよぎる。そして、いつの間にか自分の仕事の中核になりつつあり、使命感さえも帯びてきつつある。たった、1つの言葉に影響され続ける自分と、影響を与える言葉の双方に驚く。

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