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時間がアフォードするもの(20)

「自分探し」とは本来、「自分」を探すことではなく、既存の環境のなかで自分が居やすい場所を見つけたり、つくり出したりすることだ。
人間の心的な機能も脳の内部で自律できる過程ではなく、環境との関係性にこそ、その本質がある。

『〈心〉はからだの外にある』の一節である。自分探しは、自分の中にある何かを探す行為ではないと、心理主義的な考えから一歩距離をおいた考えである。さらに、アフォーダンスを提唱したギブソンの考えでは、

ギブソンによれば、人間は環境のなかに埋め込まれた存在であり、そのさまざまな身体的・心理的な活動も、周囲の自然的・人工的・社会的な環境から切り離されてはありえない。生命の活動は、それが適切に機能するためにそれぞれのニッチ(生態学的すみか)を必要としている。動物のどのような能力でも一定のニッチにおいてはじめて可能となり、能力と環境とは相補的な関係にある。

環境に埋め込まれた存在としてであると人間を考える。ここで、疑問にあがるのは、「時間」は環境なのか、ということである。

アフォーダンスは、「動物との関係において規定される」とはいえ、それは環境の側に実在する特性なのであって、動物の側にとっての主観的な価値や意味ではないことである。アフォーダンスの概念には、価値や意味が環境中に実在しているという主張が含まれている。

アフォーダンスは環境の側に実在する特性であり、動物、つまり人間にとって主観的な価値や意味ではなく、環境の中に価値や意味が実在している。この文章をヒントに考えていくならば、時間とは人間が自然の中から見出した価値や意味と言える。その見出した価値や意味を、人工物として見える化し、社会的なものさしとして活用した。そして、定着したフィジカルな人工物とメンタルなものさしが環境となり、さらに新たな意味や価値を創出していく。面白くなってきたぞ、時間とアフォーダンス、もっと掘り下げられそうだ。

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