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研究余滴:価値循環のデザインをめぐる経営経済学史(1)

今日は久しぶりに東京へ向かってます。

さて、この連休中は数年来の懸案を少しでも前に進めたくて、けっこうな時間、自室に籠って文献漁ったり、PCモニタと睨み合いしたり、たまにキーボードつんつん打ったりしてました。

前著を出してから12年(新装版が出てからでも9年)。

値段がおかしいですが、ふつうに在庫残ってます(笑)

いい加減にしないと、いつまでも次の課題に本腰入れられんってのと、この学史をまとめるのも次の課題のための捨て石、いや踏み台になるかなという思いも強くなってきて、このGWは珍しく時間を割きました。

だいたい道筋も見えてきたので、その梗概を書いておこうかなと思います。また変わるかもですが(笑)

1.  基軸概念は〈価値循環〉

最近、何人かの方(研究者ではなく、実践の方)とお話ししていて、この言葉を示すと、関心を持ってくださる方がけっこういらっしゃいます。

これはドイツの経営学者ニックリッシュが本格的に用い始めた概念です。

もちろん、それ以前にも使っていた人はいますが(例えば、ゴンベルクなど)、ここでは省略します。

シェーンプルークの解説で補足しながら言うと、ニックリッシュは経営(何らかの目的を持ち、そのための装置を備えた個人や共同体)の内部での価値の動き(=内部価値循環)と、経営どうしでの価値のやり取り(Verkehr;外部価値循環)とがつながりあって、動いている状態、すなわち動的な〈価値関係の網〉価値循環と呼びました。

ニックリッシュがこのコンセプトを提唱したのは1921年。その祖型は1912年に提唱され、1915年には多様なステイクホルダー(アクター)との関係性を重視する視座が示されていました。

このコンセプトは、もちろんさまざまな批判にさらされつつも、今なお生きています。

サービスデザインに関心を持っておられる方なら、価値循環というコンセプトがサービスデザインと近しいことに気づいてくださるのではないかと思います。

ドイツの経営学(経営経済学)において、この考え方が主流になったことはありません(笑)

しかし、同時に根強く生き残ってもいるのです。

私自身は、このコンセプトをドイツに限らず、日本を含めて援用しうるのではないかと思ってます。そのために、この流れを汲む諸学説の展開を〈価値循環をめぐる経営経済学史〉としてまとめておきたいな、と考えてるわけです。

2.  規範論ではなく、経験的議論へ

ニックリッシュの議論は、必ずしも空想的な規範提示にとどまっていたわけではなく、むしろ当時のドイツ企業や社会経済の現実を見つめたうえで導き出されたものです。しかし、ニックリッシュの最大の理解者の一人であるシェーンプルークがニックリッシュを“規範学派”に位置づけたことで、そしてニックリッシュもそれを拒否しなかったことで、ニックリッシュは規範論だというイメージが定着しました。

それを克服し、経験的議論へと転じようとしたのがコジオールです。

彼の研究範囲は恐ろしく広範囲で、かつ精緻な考察がなされていて、その全体像をつかむのは大変です。

コジオールはグーテンベルク(印刷の人じゃないです)と並んで、当時のドイツ経営学の巨頭の一人でしたし、その学問的系統は今もドイツに続いています(といっても、今のドイツの経営学はアメリカナイズされつつあって、個人的にはおもしろみが薄くなってます)。

コジオールはもともと数学の研究をしたあと、実務に携わってから、ニックリッシュと同時代の経営学(とりわけ、会計領域)の巨頭シュマーレンバッハのもとで、あらためて研究者としての道を歩み始めました。

その特徴はいろいろありますが、方法論的議論を緻密にしたうえで、現実事象を捉えていったところに、その最大の特長があります。

特に、企業の動態を価値の流れ、つまり実質財と名目財(≒貨幣)の対流関係として、さらにここに生じる情報の流れを包含して描き出そうとしたところに、コジオール学説のおもしろさと先駆性があると、私は考えています。

さらに、ニックリッシュ学説を読み解いたうえで、収支ベースの価値運動把捉の枠組を提示したのは、現代的にみてもまことに興味深いです。コジオールは給付原価計算(Kalkulation / kalkulatorische Rechnung)を内部計算として位置づけ、さらに交換ないし取引として貨幣の動きであらわされる活動を収支的計算(pagatorische Rechnung)として設定して、その較差から生じる隠れ余剰(マイナス余剰としての隠れ損失も)を視野に入れた企業の実体維持を考えるための枠組を打ち出しました。

コジオールが提示したコンセプトは、現代から考えればプリミティブに映るかもしれません。けれども、それゆえにこそ、応用可能性も高いのです。このコンセプトを基礎にして、さらなる展開が生まれます。

3.  ステイクホルダーと企業の相即的発展

このコジオールの枠組を下敷きにして、ニックリッシュの外部価値循環問題を新たに考察したのが、シュミット(Schmidt, R.-B.)でした。彼は〈企業用具説〉という、すこぶる興味深いコンセプトを提示しています。

ちなみに、以前、サイボウズの青野さんが書かれた本についてノートに書いたときにも、企業用具説に言及しました。

このコンセプトを一言でいうと、「企業はステイクホルダーが自らの欲望や期待を充たすための手段 / 用具である」というものです。

しかも、出資者(自己資本提供者 / 株主)だけでなく、経営陣や従業員、顧客、債権者、取引先、国家など、多様なステイクホルダーを対象に含めているのです。

これらそれぞれについて、どんな“用具的関係”にあるのかを考察し、そこから生じるコンフリクトをいかにして克服するのかについて考えるための理論的枠組を、シュミットは提唱したのです。

ここで注意しておきたいのは、シュミットが企業を用具として捉えつつ、同時に維持されるべき存在(=制度)としても捉えていた点です。この視座は、コジオール門下でシュミットの影響を強く受けたシュミーレヴィッチによって継承されます。

さて、シュミットは〈成果使用〉という考え方を示しています。これは、企業の活動によって生じた成果余剰を次期以降のためにどう使うかが、企業の維持発展にとって、そしてステイクホルダーの欲望や期待の充足(とステイクホルダーの生存維持)にとっても重要であるという発想です。

この成果使用は、大きく分けて成果の分配、留保、投資の3つからなります。分配とは、ステイクホルダーの貢献に対する“見返り”の提供(もちろん、次期以降の貢献を獲得するための事前分配ということもあります)、留保とは企業の流動性確保のための短期的な成果保持、投資とは将来的な成果獲得のための留保と投入をさします。もちろん、投資には、従業員のための投資も含まれます。

この成果使用をめぐる意思決定を、シュミットは成果使用構想(Erfolgsverwendungskonzeption)と呼び、ここに企業理念や企業政策(戦略、あるいは戦略より上位の基本的長期目標・方針群)の設定を含めています。これが、シュミット門弟のクリューガーのコンフリクト克服論や権力論、コジオール門下のドゥルーゴスやその弟子のドロウによる企業政策形成過程論を経て、コジオール門下でシュミットとほぼ同世代のブライヒャーの〈統合的マネジメント構想〉へと受け継がれていくことになります。

4.  制度としての企業

シュミットの企業用具説は、コジオール学派の思考基軸の一つとなりました。それを受け継いで、コジオールの価値運動把捉を精緻化し、さらに多様な利害関係をあわせて考えるための枠組を示したのが、シュミーレヴィッチです。

彼の専門はもともと財務論や計算制度(いわゆる会計)で、その後、方法論や経営学原理にも鋭い視座を提示しました。シュミットもそうですが、シュミーレヴィッチも60歳前後で亡くなったのが惜しまれます。

シュミーレヴィッチは企業の価値運動を捉えるために、損益計算書と貸借対照表だけでなく、資金運動計算書の三位一体枠組を構築する必要があると提唱しています。これは、コジオールやシュミットの収支的計算論をさらに深めたものです。キャッシュフローという言葉がありますが、こちらの資金運動計算は文字通り、資金の出入りを計算を通じて描写するのがねらいです。

そして、ここから算出される利用可能な余剰から、それぞれのステイクホルダーから要求される期待内容を実現できる可能性を考え、判断するための視座を提供しているのです。この記事のタイトル写真の文献は、当時、ドイツ労働総同盟の研究グループから提唱された労働者 / 従業員利害の包摂可能性の解明、より具体的には賃金上昇ポテンシャルの測定を試みています。

ここから、シュミーレヴィッチは企業体制や社会科学方法論の提唱にまで歩を進めています。

5.  ということで、続きはまた今度

さて、新幹線が品川に着きました。時間切れなので、続きはまた今度。

続きは、ブライヒャーの統合的マネジメント構想や、最近の学説についてあたりに触れる予定です。

#経営学史

#価値循環

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