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埋火のようなあたたかさと荘厳さ:梅若万三郎『姨捨』(2018.10.20)

2018年10月20日、橘香会(国立能楽堂)。

本来の仕事の一環である資料調査が長引いて、馬場あき子さんの解説、山本東次郎『箕被』は聴けず観れず、仕舞から入場。

万三郎の『姨捨』、たしかに瑕はいくつかあった。詞章の錯誤や失念(後見の大槻文藏が適切に支えて事なきを得た)であったり、何より足の弱りからくる〈弄月之型〉での二度の下居のし損ね(三度目で文藏の介添を得て弄月之型。ただ、やや寸詰まりになってしまったのは否めない)、キリでの限界にきていたであろう足の動かなさ。そういった「老い」ゆえの瑕瑾はあった。

しかし、それをはるかに上回る感銘があった。

ワキは殿田謙吉(ワキツレ:大日方寛、則久英志)。病後復帰と見えて、以前に比べて痩せた感じはあったが、むしろさらりとした声調のなかに深い趣が現れて、とりわけ着キゼリフで正中辺りに立ち姨捨山の月を愛でるくだりなど、ここで景色が描き出された感があった。

この着キゼリフのうちに、幕上げて前シテは三ノ松へ。そこで止まって、旅人の独懐を聴くような姿。いつの間にか里の女が現れ出たかのような効果があった。そのあとの橋掛かりを歩む際の詞にいくつか錯誤か失念があったようで後見が付けていたが、その歩んでくる姿の距離感の描出はすばらしい。「桂の樹の影こそ」と一ノ松で正に向き、そのあと正先方向を見遣る姿や、「今ははや」といったんワキに向いて、ワキの「なほ執心や残りけん」という詞で少し面を右下に外すようにする所作など、一つひとつの所作が連綿としてつながり、まだその女が老女の化身だとは知らされない時空間に、すっと影が差すかのような趣が滲み出る。それを受ける初同(地頭:梅若実、副地頭:岡久広)もしっとりと、しかし底強く。その地謡に乗って「薄霧も立ち渡り。風すさましく雲つきて」と右ウケ、「寂しき山の景色かな」と正に直ス、これだけの所作に姨捨山の景色が広がる。このあたりの身体扱いの上手さは、芸術祭大賞を得た『朝長』の前シテでも深く感じた印象と同一線上にある。

続く問答はさらりとして、自然な会話のよう。そこから徐々に内なる思いが昂っていくかのよう(しかし、それがことさらに外面化するのではない。穏やかさ、やわらかさのうちに勁さが滲み出るような感覚)になって、地が引き取る。「唯ひとりこの山に。すむ月の名の秋毎に執心の闇を晴らさんと。今宵現れ出でたりと」と僅かな動きのなかに、旅人に執心の念を伝えようとする心が現れていた。そして中入。

ここまでの前場、先に書いた詞章の誤りはあったけれども、息が切れることなく、やわらかさのなかにも締まりがあった。そのなかで描き出されていた、埋火のような暖かさ、人恋しさは、この日の『姨捨』に一貫して流れていたように思う。これは、冷え冷えとした外景の表現がきめ細やかになされていたからこそ浮かび上がるものだろう。

間狂言は、野村万作。気管の具合がよくないのだろう、げっぷが出てくるのは抑え得ない。が、枯れ枯れのその声から出てくる語リは、『姨捨』という曲の背景を描き出して余すところがない。

後場。ワキの待謡はのびやかに。その終わりごろに一声のヒシギ(笛:松田弘之)。鋭さはありながらも、少し柔らか味のある音色で、山中に風が吹き渡るかのよう。それを受けての大小鼓(大鼓:亀井忠雄、小鼓:大倉源次郎)は露が滴るような風情。締まりのある軽み。

そのなかを後シテの出。ちょっと険しさもある複雑な表情の姥の面(これは推量。眼の刳り方が〈姥〉に見えた)、白地に薄の文様、飛蝶の縫い取りのある長絹、白大口という出立。常座で一セイの謡。サシ謡「明けばまた」以降、抑えめながらも心が昂っていくさまが滲み出る。そのあとのシテとワキとの掛合は、両者の心が通い合う〈対話〉になっていて、夜遊を楽しむかのごとき温かな心持ちが滲む。

打掛を聴いてのクリ、最初のシテの一足がツッと出たのは堪えきれなかったものか、それとも意図的なものであったのか。「今宵の空の景色かな」と大小前に立った姿は、それだけで大きな夜空を広がらせるかのよう。万三郎の舞台を観るとき、身体の扱いでシテとそのシテがいる空間の両方を全体として描き出しているという感覚を強くおぼえる。この日も、もちろんそうである。クセも所作としては定型なのだが、一つひとつが連綿としてふくらみをもって迫ってくる感じは、荘厳さもあるが、何より包み込むような清らかさとして現れる。上端謡のあと「光も影もおしなめて」と開いた扇を出しつつ正先へと出る姿などなど、数え上げればきりがない。

序之舞は序二ツ踏んでカカリ。二段目にかかるとき、正先で扇を左手に持ち替えた一瞬、扇を見込んだのは、後に続く弄月之型との照応であろうか。その二段目オロシでの弄月之型のとき、足の具合のためであろう、膝をつこうとしてつきえず、佇立せざるを得なくなってしまった。三度目で、後見・大槻文藏の介添を得て、何とか下ニ居、弄月之型。ただ、どうしてもここでリズムに若干の狂いが生じてしまったのは事実で、扇を見込む型が少しコセついた感は否めなかった。

舞い上げてからも、足は限界にきていたものと見えて、「露の間に」と正中(大小前あたり)で小廻リするときもハコビはやっとの感。それにもかかわらず、「なかなか何しに現れて」と正を向いて立った姿の腰と背筋の徹り具合が荘厳で、ハッとさせられる。そのあとも動きは僅かながら、それゆえにというべきか、静かなうちに昂揚するさまを描き出す地謡と相俟って、ドラマティックな一連。

そして、ここで「夜も既に白々とはやあさまにもなりぬれば」と地謡は静まり、シテは正中で左ウケ、上方に空を見る姿。ここの転換は、残酷だが劇的な瞬間。ワキとワキツレが立つ間もよく、地が「われも見えず旅人も帰るあとに」とワキたちは幕へ。シテはワキたちが幕に消えるまで見送る。その見送る背中に、孤独と人恋しさが滲み出る。そして正に向き直り「ひとり捨てられて老女が」と深々としたシテ謡。そして、扇を閉じて両腕を胸前で交叉させ、自らの身体を抱えるようにして終曲。それまでに描き出されたさまざまな想いが、老女の動かぬ姿に凝縮して、さながら墓標となったかのような姿だった。囃子の残リ留のうちにシテ柱を向いてトメ。退場する際も、足が極限に達していたのであろう、横板に差しかかって以降、文藏が膝行の姿勢で右手をとり、介添して幕へ。

表面的にみれば、たしかに老いによる身体的な衰えは、否みがたいものとしてあった。序之舞や舞アトなど、ことに足のハコビがままならず、龜井忠雄が心配そうにシテを見遣る表情もあった。序之舞であえて弄月之型をせず、右ウケて佇立するという選択肢もあったかもしれない。

では、この日の『姨捨』は失敗だったのか。そうではないと、私は思う。むしろ、感銘は深かった。4月の『西行櫻』でも感じたことだが、万三郎の能はその身体によって空間を鮮明に形象化する。そして、その中心に万三郎によって舞われるシテの存在がある。どちらか、ではなく、その双方の強烈な引きあう力の緊張のなかで、その曲の動的な均衡が生じる。そこに、曲趣がシテやワキなどの舞台登場人物のみならず、見所をも包み込むように立ち現われる。対極にあるものが、単に対立関係にあるのではなく、双方向的な緊張関係にあって、そこから景色が生まれる。私が、この日の『姨捨』に感じた人恋しさ、暖かさは、冷え冷えとした姨捨山の景色の形象、そして間狂言に委ねられる残酷悲痛な内容の間語リがあって初めて、『姨捨』という曲として意味を持つ。そして、偶然にと言っては、それこそ残酷かもしれないが、舞う万三郎の身体的な衰えゆえに、自身がそれを何とか踏み堪えようとして重ねてゆく僅かな動きや佇立する姿のうちに、結果として屹然とした趣が現れ出た。こういう趣を〈荘厳〉といっても、差し支えはないだろう。

『姨捨』という曲は、冴え冴えとした月光に照らされて、老女が純白の姿で舞うという点が強調される。それは、たしかにそうである。その一方で、この曲は人間世界の温かさと酷薄さ、人とのかかわりと孤独を、変わりつつ変わることのない自然、もっといえば宇宙のなかに融け込ませている点に、大きな魅力がある。そこに、演者その人もまた一体化していくとき、『姨捨』という曲の二時間余りの長い時間が濃密なものになる。今まで観てきたいくつかの『姨捨』の名舞台を想い起こすと、同じ曲でありながら、その役者ならでは現せない『姨捨』になっている。

この日の万三郎の『姨捨』もまた、きわめて濃密で忘れがたい舞台だった。

2018年10月20日 橘香会
『姨捨』
シテ:梅若万三郎
ワキ:殿田謙吉
ワキツレ:大日方寛・則久英志
アイ:野村万作
笛:松田弘之
小鼓:大倉源次郎
大鼓:龜井忠雄
太鼓:小寺佐七
地頭:梅若 実、地謡:岡 久広ほか
後見:大槻文藏、加藤眞悟、梅若泰志

#観能記 #姨捨 #梅若万三郎


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