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ヒッグス粒子がヒッグス粒子と呼ばれるようになったわけ

 質量の起源とされるヒッグス粒子を提唱した英国のピーター・ヒッグス氏が4月8日に亡くなりました。

 この粒子は2012年に欧州合同原子核研究機構(CERN)によって発見され、彼はライパルのF・アングレール氏と共同でノーベル物理学賞を受賞しました。

 ヒッグス氏といえば携帯電話を持っていない(もしくは持ち歩かない)昔気質の人として知られ、スウェーデン王立科学アカデミーが彼に受賞を伝えようとしても連絡が取れず、発表が1時間遅れた、というエピソードは関係者の語り草です。

 また彼は日本の南部陽一郎氏と浅からぬ縁があることでも有名です。そもそもヒッグス氏の理論は、南部さんの「対称性の自発的破れ」から出発したものですし、ノーベル賞の対象となった論文を査読したのも南部さんだったからです。

 次の資料をご覧下さい。これはヒッグス氏があるセミナーで講演した際に使った「ヒッグス粒子のストーリー」と題した手書きの資料です。

(ヒッグス氏手書きの「ヒッグス粒子のストーリー」)

 質量の起源とされる素粒子については1964年に3つの研究グループが短い期間に競うように論文を発表していて、実はヒッグス氏は2番手でした。

 資料の8月31日のあたりをご覧下さい。「Referee(Nambu)」に「F・アングレールとR・ブラウトの論文に注意を払うようにと促された」と書いているのがお分かりになるでしょうか。

 アングレールとブラウトの両氏はヒッグスより少し早く、論文を発表した研究者です。

 しかし、それにもかかわらず、この粒子が「ヒッグス粒子」と呼ばれているのはなぜでしょうか。2つ説があります。

 1つ目の説はアングレール氏たちは論文で新粒子の存在を明示していなかったが、ヒッグス氏は分かりやすく示唆していたからだ、と説きます。

 これについては南部さんがレフェリーとしてヒッグス氏に声をかけた際、少しおせっかいをやいて「新粒子の可能性にも触れてみたら」と伝えたからだ、ともいわれていますが、真相は藪の中です。

 もう一つの説には電弱統一理論(電磁気力と弱い力を統一的に扱う理論)の完成に貢献したS・ワインバーグ(この人もノーベル賞を受賞しています。あっ南部さんもノーベル賞を受賞していますからお忘れなく)氏が関係しています。

 電弱統一理論は南部さんの理論と3グループが競合した質量理論をヒントに作られました。そこでワインバーグ氏はしきたりに従って「論文のこのくだりは○○氏の論文から引用した」と明記しようとしたのですが、3グループの論文の掲載日を読み間違って、2番手のヒッグス氏の名前をあげてしまった、というのです。

 彼は大物研究者です。「ワインバーグがそういうのなら」と多くの研究者はヒッグスさんが一番だと思い込みましたーー。

 皆さんはどちらの説が正しいと思われますか。1つ目の説と2つ目の説のどちらもが当たっている可能性もあります。

 ヒッグス氏のご冥福をお祈りいたします。

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