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そしてウッディは人間になった

幼いころに初めて見に行ったトイストーリー。
昨日見に行ったトイストーリー4を見ている私はすっかり大人になった。

アンディが子供から大人になったように、今回は見ている大人たちも子供のころに見たな、なんて懐かしんだりしているであろう。

賛否両論あれど、トイストーリー4の内容は、いまの自分に痛いほどつきささった。


※ネタばれ注意




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表題にある、「人間になった」は、本当に人間になったことを表しているわけではない。
あくまでもウッディの中身が人間らしくて愛おしいということを表す。

今回のトイストーリー4は一貫して「自分がどう生きたら幸せになれるのか?自分の心に問いかけて。」と終始問いかけてくる。

これは、「持ち主がいるおもちゃでいること」と「自由に生きるおもちゃ」どちらが幸せか?
というセリフよりも、「今まで生きてきた人生を振り返って、第2章の人生はどうしたら幸せになれる?」というセリフのほうがしっくりとくる。

ウッディはこれまで、「持ち主がいるおもちゃであること」がこの上ない幸せであり、それこそがおもちゃとして生まれた使命であり信念であるという想いのもと生きていた。
だけど、懐かしい友達との出会いや、フォーキーの誕生、ギャビー・ギャビーとの出会いから「自由に生きるおもちゃ」への道を選ぶ。

この選択は、ウッディが今までの信念を捨てたというわけではない。
今まで1人の子供を幸せにすることに喜びや幸せを感じていたウッディが、今度はもっと多くの子供を幸せにしたい、というより大きな信念へとステップアップしたにすぎない。

私はこのウッディの選択が非常に人間味にあふれていて、子供への愛情と仲間想いの強いウッディなら、そのような考えになって自然だとすら思う。

トイストーリー4が伝えたかった、第2の人生の選び方は私たち人間も真剣に考えなければならない。
新しい付き合いや別れを考えるとき、子育てを終えた親が喪失感を感じるとき、若かかった身体が言うことを聞かなくなり辛く感じるとき、私たちは生きていくうえで何度も何度も違うステージに立たされてその度に選択を迫られる。
今がどんなに楽しくても、悲しいことにそれは一生続かない。
でもだからこそ、今この瞬間を愛しく感じることができるし、少しでも長くこの幸せが続くように、毎日を精一杯生きているのだろう。

だけど、やってくる選択のときに何を基準に選ぶのか。
自分の心に声に従える人間はどれだけいるだろうか?
しがらみや制約がある中で、どんな選択が最善なのか、そのときにある情報と経験をもとに決めなければならばならない。

しかし、私たち人間がこの選択時に1番大事にするべき判断基準は「自分がどうしたら一番幸せになれるか」という一点に尽きる。

作中、ウッディに見限りをつけて帰ろうとするボー・ピープは、やっぱりウッディを助けたいという思いから引き返す。

また、ハーモニーのおもちゃになることが幸せだと思っていたギャビー・ギャビーは、彼女に捨てられたことですべてが終わったと思っていたが、泣いている女の子を見つけて人生をかけて助けたいと気持ちから行動する。

この物語の素晴らしい部分はこのように、すべてのキャラクターが自分の出した選択に疑問を持ち、絶望し、それでもほかの選択を見つけて幸せを探す部分にある。

きっと今、トイストーリーを見たらまた違う物語が見えてくるはず。
私たち人間の1番面白い部分は、知識や経験によって見ていたまったく違う世界に見えてしまうところだ。

トイストーリー4は大人にこそみ見ててほしい映画だと感じた。
そして、見終わったあとには別の誰かと、ウッディの選択について、どう思ったか話合うまでが最高に楽しいので、おすすめ。


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