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#3 意思決定〜自分が選んだ道を正解にすること〜

祝!3回目の更新!!
なんかnoteを始めてから他の人のnoteを見る機会が増えて、みんなまとめるのうまいなーと思ったので、僕ももっとわかりやすく伝えられるような文章書けるように勉強し、反復練習します!!

本日お伝えしたいことは『意思決定』ということについてです。
前回のnoteでは僕自身の就業観についてお伝えさせていただきましたが、いくつかコメントをもらい、その中でも多かったのが、

『言ってることはわかった。でも辛いことには変わらない。』
とか
『何かしらの覚悟があるからこその言葉じゃないか。』
とかでした。

頑張れた根源には1回目のnoteに書かせてもらった僕自身の『核』があるから、と言ったらそれまでなのですが、それ以外にも仕事に対して自分自身を合わせることが出来た大事にしている考え方をお伝え出来ればと思います!

選択と意思決定の違い

ベンチャー系の会社で働いている人にはよく耳にする言葉かもしれませんが、僕の中でこの違いを自然と自分の人生の中で感じることが出来たということが大きいと思います。

<選択>
目の前にAの道とBの道があった時に、Aの道に進んだらディズニーランドで、Bの道に進んだらUSJ。あなたはどっちの道を行く?

ー今日はディズニーの気分だからAの道!

これは選択です。道の先がわかっている状態で選ぶこと。

<意思決定>
目の前にAの道とBの道があるけど、霧がかかってて何があるかわからない。あなたはどっちの道を行く?

ーよくわからないけど、Aの道の方が何か感じるしAの道!自分で選んだんだし、全て自分次第でしょ!(道中色々ありつつも・・)ほら!やっぱりAが正解だった!

これが意思決定です。(ググると『選択と決意の違い』とか他の解釈もありますが、僕はこの考えです。)

要は先が見えない状態でも、自分で選んで決めたからには、その決めたことを正解にするまでやりきろう!ってことです。

僕自身これまでの人生で大きく3回の『意思決定』をしてきました。

最初の意思決定

最初に意思決定したのは、自衛隊を退職する時でした。僕が入隊したのは陸上自衛隊少年工科学校というところで、自衛隊のエリートを育成する部隊です。しかし20歳の時に色んなことがあり(寮の門限破って3ヶ月外出禁止令が出て、そのせいで当時付き合ってた彼女に振られて、その一方で地元の幼馴染のなおとは大学生活を桜花してサークルだ合コンざんまいだと、くそう的な)その時僕の前に2つの分かれ道が現れました。

A:このまま自衛隊を続ける
B:退職し外の世界に出る


ものすごく悩みました。もちろんどっちもいいこと悪いことありましたが、外の世界に出たら5年後、10年後どうなってるのか全く想像がつきませんでした。周りの人たちからは『絶対に辞めない方がいい』の一点張り。まぁこのご時世で一生安泰なので、当たり前なのですが。
悩みすぎて寝れない日々が続きましたが、最終的には『どうなるかわからないけど辞めて外の世界に出た方が楽しそう!(大学生になって合コンざんまいの方が楽しそう!)』と決めて退職しました。

そこから大学生になるために大学受験をしようと予備校に入ったのですが、中学卒業後一切勉強をしていなかった最初のテストの偏差値は【測定不能(30未満は測定不能とのこと)】でした。

最低日東駒専、目指すはMARCHと決めていたので、そこから猛勉強の日々が始まりました。
実家の茨城から代々木にある代ゼミの本校まで往復4時間かけて300日くらい連続で通いました。授業がなくても家で勉強しないからと通い、GWもお盆もお正月も友達と一言も話さずひたすら勉強しました。この時期のことは思い出そうと思っても思い出せないくらい勉強の記憶しかありません。

その時の頑張れた根源が『受かるか受からないかなんてわからないけど、自分で大学に行くと決めたからには、やらなきゃ。やばい。やばい。』でした。

そんなこともあり結果的には偏差値を55まで伸ばし志望校には受かりませんでしたが、ギリ自分の合格ラインの大学に合格。そこから夢にまでみた大学生活が始まったのです。

2回目の意思決定

夢のような大学生活を経てエン・ジャパンという人材の企業に入社し、テレアポ・飛び込み・待ち伏せ(?)を繰り返しなんとか営業でも成績がで始めた頃、また先が見えない分かれ道がやってきました。

A:このままエン・ジャパンで働くこと
B:0から事業を立ち上げられる会社に転職すること


もちろん周りからは『辞めない方いい。まだ早い。』と言われました。なんなら『絶対うまくいかない。失敗する。』くらいまで言われました。当時は自分も何が出来るかなんてわからないし、成功する自信なんてありませんでした。またもや眠れないほど悩んで出した答えが『どうなるかわからないけど、転職して0から挑戦してみた方が楽しそう!(イケイケのベンチャーで朝から晩まで仕事して夜通し飲んでまた働く方が楽しそう!)』と決めて転職し現リアステージの立ち上げに参画。

そこからの日々は楽しいことは無く、ただただ辛く苦しい日々でした。社名やブランド、商品としての形も実績も本当の意味で何もない状態での営業は想像以上に難しく、1日5商談の24営業日で月に120商談しても結果が出ず、半年間売上が0円が続きました。その間の周りからのプレッシャーもとても重く、眠れない日々が続きました。

しかしそれでも頑張れた根源は『出来るかわからないけど事業立ち上げて一旗あげようと自分で決めたし、やらなきゃ。やばい。やばい。』でした。

その結果少しずつですが結果も出初めて、結果が出たら売りやすくなり、今では5万人以上の学生、1000社以上の企業からご利用いただける事業になりました。

まとめ

結局前回の反省を活かせずダラダラと長く書いてしまいましたが、何が伝えたかったかと言うと、先が見えない中でも自分が選んだ道を正解にするまで頑張ることが大事だと言うことです。自衛隊を辞めてから今年で13年が経ちますが、たまに自衛隊の同期に会うと『自衛隊辞めて良かったね!』とよく言われます。エン・ジャパンを辞めてから6年が経ちますが当時辞めることを反対してくれていた同期や先輩からも『山下はエン辞めて正解だったよ!』とも言われます。
いやいや俺がどんんだけ辛い思いしてきたか知らないでしょ!と言いたくなりましたが、その瞬間に『あ、これが自分の選んだ道を正解にしたと言うことか』と気づきました。気づくまでに13年かかりました。

入社当初はネガティブおばけだったのに、今ではポジティブモンスターになった3年目の女性社員が朝礼で『人生って自分の思い通りになる』ってドヤ顔で言っていたこともまさにその通りだなと。

今の現状に悩んでいる人、不平不満がある人、辛いなやだなとネガティブになってる人、色々いると思います。
しかし一回振り返ってみてください。今のその環境を選んだのは誰なのかを。そしてその選んだ道を正解にするも、不正解にするも、全て自分次第だと言うことを。

3回目の意思決定

僕たちは3年前に新卒紹介で日本一の会社を創ると言う全く先が見えない道を選び、それを正解にすべく日々働いています。ものすごく高い目標を掲げたからこそ出会う課題や問題も大きいですが、一つずつ解決し前進してきました。その結果だんだんと霧が晴れてきています。日本一の会社を創ると言う道を選ばずに、なんとなく世の中の役に立って、なんとなく稼げる会社を創ると言う道もあったかもしれません。それでもあえて荊の道を選んだことをあと3年で必ず正解にします。

このnoteを読んでくださった方の中で、自分の人生において日本一の会社を創ると言うことが人生の分かれ道にある方がいるのでしたら是非ご連絡ください。日本一とかよくわからないけどなんか楽しそうと思った方でもお待ちしてます。現在100名、来年には150名、2年後200名を目指しています。
僕自身も毎日多くの困難や課題にぶち当たりますが、その時も『いやいや日本一の会社を創ると言うことに共感して入社してくれたみんながいるからこそ俺がやらなきゃ。やばい。やばい。』と頑張るので。

つまり一緒に働きたい人募集してます!!!!!


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