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ケーキの切れないゲーマーたち

 タイトルはもちろんパロディで、ゲーマー「たち」とは書いているけども、もちろん「全てのゲーマーが」とか言うつもりもないし、真面目に考察・批判・論考をするわけでもないということは、ご理解いただきたい。

 ただの一例から、飛躍した内容へ。


Overwatch

 先日、Overwatchをプレイしていたときのこと。
 ヌンバーニというマップで、防衛側からスタート。第一拠点を守りきって攻守交代。相手の一人が諦めて途中抜け。攻撃側に変わり、あっさり拠点を占拠して勝利。

 諦めて途中抜けするプレイヤーは、決して多くはないが、たまにいる。今回のような一方的なゲーム展開だと、「そりゃそうなるか」とも思った。

 後からリプレイを見返すまでもなく、明らかに相手のタンクが上手く動けていなかった。普段タンクをやらないプレイヤーなのか、あるいは酒でも飲んでいたのかはわからないが、はっきり言えば相手チームはタンクのせいで負けた試合なので、イライラしていたかもしれないし、喧嘩していたかもしれない。
 (抜けたのはサポート役のプレイヤー。)

 対戦ゲームの野良マッチなんで、それは仕方がない。

 さて、私はその途中抜けしたプレイヤーに、「諦めずに最後までプレーしよう!」とか、「対戦ゲームをやるやつはマナーが悪い!」とか言いたいわけではない

 私は途中抜けしたプレイヤーを見て、『ケーキの切れない非行少年たち』を思い出したのだ。


『ケーキの切れない非行少年たち』

 宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』は3年前の2019年に出版され、そこそこ話題になっていたと思う。読んだ方も多いのではないだろうか。
 (漫画も出版されているが、私はそちらは読んでいない。)

 さて、同書の内容は、ただ「非行少年はケーキを三等分にできない」というだけのものではない。
 「なぜそのようになってしまったのか」「そのような少年少女たちに、どのような指導・教育をしていくべきなのか」というようなことが、要点である。

 認知機能が歪んでしまっている子どもたちに、他の子どもたちと同じように指導や教育をしても上手くいかないことが多い。
 認知機能とは、記憶・知覚・注意・言語理解・判断・推論のような要素が含まれた知的機能を指す。これらの機能が弱いと、様々なことを正しく把握できなくなり、適切でない行動をしてしまうようになる。

 例えば学校では、先生の言うことを無視しているのではなく、正確に聞き取れていない可能性がある。
 「黒板に書かれていることを正確に知覚し、同じようにノートに書き写す」という能力が低いと、不真面目だと思われてしまう。
 同級生と遊ぶときに、その遊びのルールを正しく把握できていないと、嫌われてしまうだろう。
 
 様々なことが上手くできない子どもが、他の子どもたちと同じように扱われると、「不真面目」「やる気がない」と思われたり、怒られるのが嫌でわかったふりをするようになってしまう。
 結果、先生からの評価は下がり、同級生とも上手くやっていけず、虐められるようになってしまうことが少なくないと。

 (そのようなことが子どものうちだけで、大人になるに連れて順調に成長していけばいいが、うまく成長できない場合も多い。もちろん、程度によるが。
 インターネット上を見回すと、そのような事象をいくらでも見つけることができる。ゲームだけに限っても、客観的な・正確な判断ができず過剰な被害意識を持ってしまっている人はたくさんいる。
 「ゲーム・運営に嫌がらせをされている」「騙されている」「負けるように調整されたマッチングが組まれている」「ネット麻雀は牌が操作されている」のような。)

 話は戻って。
 同書の全てを要約していくわけにもいかないが、例えば、「認知機能の弱さによる想像力の弱さ」であったり、「感情統制の弱さにより感情をコントロールするのが苦手」であったり、「何でも思い付きでやってしまう」ことだったり、「自分の問題点が分からない」といった原因により、様々なことが上手くいかなくなってしまう子どもたちは少なくない。

 ケーキを三等分しなければならないのに、まず半分に切ってしまう「後先のことを考えていない」「計画が立てられない、見通しがもてない」。

 そのような子たちに、例えば「ちゃんとやれ」と指導しても、意味がない。そもそも、その「ちゃんと」がわからなかったり、他人とズレている可能性がある。

 同書によると、非行少年に自分はどのような人物であるかと聞くと、8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えるという。
 殺人を犯した少年でさえ、「自分はやさしい」と答えた。それはサイコパスだからではない。引用すると、 

「君は○○して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?」と聞いてみますと、そこで初めて「あー、やさしくないです」と答えるのです。
 逆にいうと、”そこまで言わないと気付かない” のです。

同書 p. 33

 同書では「原因を解明するだけ」や、「通常と同じような指導・矯正」だけでなく、そもそもの原因である認知機能感情統制の弱さを改善する必要があると述べられている。


ケーキを半分に切ってしまう途中抜けプレイヤー

 話がOverwatchに戻る。なぜ私は『ケーキの切れない非行少年たち』のことを思い出したのか。

 Overwatchは、途中抜けにはもちろん罰則がある。レートが大きく下がってしまうし、BANの対象にもなる。
 初めの方にも書いたが、わたしは途中抜けプレイヤーに「諦めずに最後までプレーしよう」とか「マナーを守ろう」と言いたいわけではない。

 私は、途中で抜けたプレイヤーを見て、「ケーキを半分に切ってしまう」と思ったのだった

 Overwatchの試合の仕組みを知らない人にはピンとこないかもしれないが、今回のマッチの「ハイブリッド」というルールは、初めに攻撃側で第一拠点も制圧できなかった場合、防衛側ではその第一拠点が制圧された時点で敗北になる
 
 順調に侵攻できれば、第一を制圧した後に第二・第三ポイントまで進んでいき、攻撃だけでも10分程度かかるが、はじめの攻撃が上手くいかずに攻守交代すると、試合はすぐに終わってしまう。
 最長でも4分で、一方的な展開で攻撃が上手くいかないマッチなら、もっと早く負けてしまうだろう。
 
 実際に、攻守交代して途中抜けが発生した後、わずか27秒で制圧完了し、ゲームが終わった。

 途中抜けした彼/彼女は、たったの27秒を待つことができず、途中抜けをして罰則の対象となり、レートを大きく下げてしまったのだ

  繰り返しているよいうに、諦めるなとか、マナーを守れと言いたいのではない。「ゲームなんだから自分の好きなようにプレイしていいじゃん」という意見があるかもしれない。
 彼/彼女は、途中抜けすることによって自分のためにもならなかった。自分のため、すなわちレートを下げないためには、諦めているだけでよかった。

 味方にムカついていようと、諦めていようと、自分のためを思うのならば抜けることは損だ。厳密な時間が27秒かどうかわからなくとも、1分もかからないことはわかるはずだ。スマホでも見とけばいい。

 もちろん意図的な途中抜けでなく、回線落ちやPCの不調の可能性もある。しかし、それが途中抜けだというのならば、感情のコントロールができず、先のことを考えることができず、思いつきで行動してしまったというのならば。
 私は、途中で抜けたプレイヤーを見て、「ケーキを半分に切ってしまう」と思ったのだ


たかが野良マッチの途中抜けで何言ってんの

 「たかがゲームの野良マッチで途中抜けしただけでしょ。非行少年と同じに考えるなんてアホちゃう」という意見もあるだろう。(私も自分でアホだと思う。)

 少し話は変わるが、「たかがゲーム」という考え方はよくあるが、私は「ゲームだからこそ」と思うこともよくある。
 勉強や仕事などでは、本人の希望でなくとも、そう思っていなくても、自分のやりたくないこともやらなければならない。
 一方で、ゲームであれば基本的に「自分の好きにすればいい」とは、私も思う。
 だからこそ、自分の好きにできるからこそ、そこにはプレイヤーの好み・性向・本質のようなものが現れるとも思う。

 そして、昨今のゲーム界隈のアレコレについては、「たかがゲーム」で済まなくなっていることも多い

 私はあまり界隈に詳しい方ではないが、そんな私の目にも入ってくるようなレベルの問題がしばしば起こっている。
 そしてそれらの問題は、もしかするとケーキが切れないようなことが根本にあるのかもしれない

 問題が起こると、「処罰する」「改善する」「ちゃんとする」というようなことが行われる。
 しかし、『ケーキの切れない非行少年たち』でもあるように、そもそもそれでは解決しないような問題も少なくはないだろう。
 必要なのは根本の部分の改善である。

 アレコレの問題について、「プロだろうとプロでなかろうと、スポンサーが付いていようといまいと、配信していようとしていまいと、”そもそも”そんな発言しねえよ」と思った人は多いのではないだろうか。
 少なくとも私はそう思った。(いわゆる「プロ」のアレコレだけではなく、昨今のゲーム界隈、配信界隈全体のアレコレの問題について。)

 それらが、ケーキが切れないような”そもそも”の問題であるのならば、そこに「ちゃんとやれ」「指導しろ」というだけでは適切でない場合が多いだろうし、問題行為を起こした人をクビにするだけでは何も解決しない

 私は一般論的な正義を主張したいわけではない。
 問題行為を起こした人に対して、様々な意見を述べることがあるだろう。それが、そもそも間違っている指摘であるという可能性があるのだ。

 「ちゃんとやれ」「マナーを守れ」というのは、適切でない場合がある。したがってそういう指摘をするのは、本質を理解していない発言となる可能性があるので注意が必要だ
 


上辺だけの一般論ではなく、根本の改善を

 この記事の目的は、途中抜けしたプレイヤーを批判することではないし、問題行為を起こした”界隈”の人達を批判することでもない。
 「問題について考えるときは、根底にあることを考慮に入れなければならない」というようなことの確認である。

 繰り返すが、『ケーキの切れない非行少年たち』は、「非行少年たちはケーキが三等分にできない」というだけの内容ではない。
 そもそもの認知が歪んでいること、それに対して一般的な指導や矯正では意味がないこと、根本的な原因の解決をしなければならないということが要点である。

 「感情をコントロールできない」「先のことを考えられない」「思いつきで行動してしまう」というような根本の原因を解決しなければ、再び問題が起こってしまう。

 ゲームにおいてもそうだ。
 例えば、そもそもマナーを守れないプレイヤーに「マナーを守ってプレイしよう」という意味はあるのか?
 これほど様々な人たちが問題を起こして「炎上」しているのに、なぜ問題が絶えないのか?


 先にも述べたが、ゲームというのは勉強や仕事と違い、自分の好きなように遊んでもいいのだ。他人の迷惑よりも自分の都合を優先してしまうようなこともあるかもしれない。
 しかし、自分の好きなようにした結果、27秒が待てずに自分にとって不利益が生じてしまうプレイヤーもいるのだ
 あるいは、せっかくプロや有名配信者になったのに、続けられなくなってしまうのだ。

 以前に、ゲームの「指導」や「コーチング」についての記事を書いた。

 そこでは主にプレイスキルについて述べているが、やはりそちらでも、「そもそもなぜそれができていないのか」という原因の部分を追求する必要があるのではないかということを述べた。
 そして、ゲームにおいて重要なのはプレイスキルだけではないだろう。

 昨今のゲームやインターネット界隈は、昔のようなオタクやアンダーグラウンドの世界ではなく、健全化へ向かっているだろう。
 過去の記事でも述べているが、私はeSportsと呼ばれる活動も発展していけばいいと思っている。

 そうであるならば、やはり問題は起こらない方がいい。問題が起こらないようになるのがいい。
 そうであれば、必要なのは「ちゃんとやれ」「マナーを守れ」ではなく、「なぜケーキを三等分できないのか」を考え、根本の部分から改善していくことではないだろうか。

 「eSports部」というものが設立される学校も増えているという。ゲームと「教育」という部分の関わりも、今後増えていくことだろう。
 そういう場で、コーチング、あるいは指導・教育をするのならば、必要なのはゲームのスキルだけではないだろう。ゲームを通じて、様々なことを教育していく必要がある。

 そういうのを健全にしたいのであれば、いろいろと考えなければならないことも多いだろう。
 私は傍観者だし老害オタクなので、ゲームやインターネットなんて別に健全じゃなくてもいいと思ってるけども。他人事だし。ただの消費者だし。


 昔書いた、eSportsと教育に関する記事でも紹介した、タンザニアの野球教
育の動画。

 野球は多くのことを教えてくれます。
 まずは、尊敬。全ての選手はお互いに尊敬しなければならない。勝者であっても敗者を尊敬しなければならない。
 全てのプレーヤーは規律を保たなければならない。正義についても同じです。
 この大会を通じて本当に多くのことを学んでいます。

ドドマチーム・キャプテン ハッサン選手。動画内、6:39~ 

 スポーツ教育において、ただそのスポーツの技術だけを教えたり学んだりするのではない。
 読者のみなさんも、「部活」のようなものを通じて様々なことを学んできた経験もあるだろう。
 私はeSportsもこのような「スポーツ的」な活動になればいいと思う。現状はそうではないし、そういうものが望まれているわけでもなさそうだが。
 

 ここ数年は、「健全・真面目」と「たかがゲーム・娯楽」の狭間にあるからこそ、様々な葛藤・問題が生じていると思う。
 そういう事柄について考えるときは、根本にあるものを無視して、上辺だけの「ちゃんとやろうね」だけでは、上手くいかないこともあるでしょうよと。

 飛躍しすぎだが、そういう話


 
 もっと直接的に批判するか、「こんなことがありました、こう思いました、マル」と書くか。
 いつにも増して、中途半端な記事。すいません。

 『ケーキの切れない非行少年たち』は面白いので、読んでない方はぜひ。あの1冊だけで、そこらへんの問題についてわかった気になっては、もちろんダメなのだけれど。

参考:『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治、新潮社、2019年


2022/06/07 山下


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