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忍術漫遊 戸澤雪姫 その11 『芸州屋長兵衛』

すると先刻より宿屋の前に佇んで、様子を見ていた一人の男、

男「エエモシ御婦人」

雪「ハイ」

男「お前さん等はお見受け申せば、大層血だらけの御武家を背負っていられますが、どうなすったので……」

雪「よくお尋ね下さいました。実は斯様斯様(こうこう)で……」

と今迄の次第を物語る。すると件の男は、

男「ヘエ……然うでございましたか……夫れはマアお気の毒な事で……宿屋が泊めねぇと言うのも無理はねぇ、跡で災難を喰らうと思うからでしょう。私は此の城下に住んでいる毛利家の人入家業……と言うと、貴女方はいやな奴だと思いましょうが、ナアニこれまで悪い事の一つもした事のねぇ男なんで……ヘエ芸州屋長兵衛と言うものです。自慢じゃァねえが、困るものは助ける。強いものは飽迄(あくまで)立てつくと言う妙な気分なんで……銭はねぇが三度の飯は無事に喰らって、子分子方(こかた)も相当に持って居ります。宜しゅうございます。私がお宿をいたしましょう。ナニ貴女心配はございませんからお出でなさいまし」

雪「それはどうも有難う存じます」

長「サアサお出でなさいまし……」

と、長兵衛は先に立って連れて行く。地獄に仏と喜んだ。雪姫とお道は、芸州屋長兵衛の宅をさして歩って来る。

長「オイオイ開けねぇ、開けねぇ」

女「ハイハイお前さん……」

長「サア貴女、御遠慮なしにお這入んなさいまし」

女「どうしたのお前さん……オヤオヤ大層血塗れの……」

長「今其処でお目に掛かったんだが、とんでもねぇ御災難にお遭いなすたんだ。敵のために返り討ちにされようとした所を、このお嬢様が危うい所をお助けなすった上、御親切に斯うやって背負って、宿へつこうとした所が、何所の宿屋でも断わられて、途方に暮れておいでなすった。だから乃公がお泊め申しましょうと言ってお連れ申したんだ。サア嚊ァ、心配しねぇで、何か食べ物を拵えて上げて呉んねぇ、モシ皆様、此方へお上んなすって下さいまし。夫れからヤイヤイ野郎居るかえ」

△「ヘエ親分……」

長「オヤッもう寝ていやァがるな。サア起きて早く医者を呼んで来ねぇ、夜分でお気の毒だがチョイと怪我人が出来たから、お出でなすってと言って来い」

子「ヘエー宜しゅうございます……」

と子分は飛び出す。雪姫とお道は夫れ夫れ挨拶をして上に上がり、大八郎を夫れへ横にして、小光を介抱してやる。其の上女房は食事の支度をして運び出す。

女「マアなんにもございません。ホンの出来合いでございます。サアどうぞ召し上がって下さいまし。とんでもない御災難でございましたね……」

と、流石は侠客の女房、血を見ても夫れほどに驚かない。蒲団の上等を奥へ敷いて大八郎の女房と小光とを寝かせる。雪姫とお道は食事を頂戴して、二人の看護をする。小光は夫れほどでもないから、矢張り起きて兄の看護をする。ところへ医師が来る。十分に傷口を縫って療治をして呉れる。小光も手当を受けた。其夜は寝すんで翌日になると、雪姫は金子五十両を差出して、

雪「長兵衛どの、この中の十両は二人の薬礼に差し上げて下さる様、また十両はお宅へのお礼、また五両あ子分衆へ差し上げて下さる様、夫れから残りは傷全快迄の費用として、お前様へ御渡し申して置きます……」

と、言うと、長兵衛は吃驚して、

長「イエ滅相な、何もこんな事をして頂こうと思ってお世話申すのではございません」

雪「イエイエ、私等二人は暫く此の時に逗留して諸処を見物する考え、どうかお納め下さる様……また何れ出立の歳には御礼をいたしますが、是非共これは納めて置いて下さる様、でないと心苦しゅうございますから……」

と強いて言われて長兵衛も仕方がないから、

長「夫れではマアお預り申して置きます」

と快く納める。雪姫はまた別に金子二十両を取り出して、小光に渡し、

雪「これは小使いに持っていらっしゃいます様……ナニ私はまだ沢山持って居りますから、決して御心配には及びません」

と無理に取らせる。雪姫等も掛り合いになったのだから、ウムウム唸っている怪我人を置いて見物でもないから、十分介抱手当をしてやったが、重傷(ふかで)を三ケ所受けている為、諏訪部大八郎、余病を発して、十日ばかりすると死去いたした。妹小光の嘆きは如何ばかり、死骸に取り縋って嘆き悲しむ。夫れを一同が慰めて、ようやく野辺の送りをすましたが、こうなると雪姫とお道で、小光を助け、仇討ちをさせてやらない事には此処で突き放す事は出来ぬから、雪姫はイロイロと考えた末、

雪「乳母や、何うであろう、この小光殿を連れて歩いては……」

道「ハイ、然うでもいたしませぬと、誠に可哀想で、仇敵を討つ事もできますまい」

此処で相談して、小光に委細を話すと、小光は大いに悦んで、

光「何分、頼りない身の上でございます故、どうかお姫様宜くお願い申します。お乳母殿も我が子同様に思召して、お連れなすって下さいまし」

と、嬉し涙にくれる。芸州屋長兵衛はお姫様、お姫様と言うのを聞いて、

長「オヤッ、此奴は可笑しいぞ。あのお嬢さんはどうも品が違う。なんとなく気高い所があると思ったが、お姫様、お姫様と言う以上は、立派な素性に違いない」

と、思ったから、

長「モシ乳母どの」

道「ハイ」

長「チョイとお尋ね申しますがあの貴女の御主人はありゃァ一体何所の御方でございます」

道「ホホホホ、今迄隠して居りましたが、親分、実は斯様斯様のお方でございます」

と氏素性を物語ると、長兵衛はアッと驚いて、

長「エッ夫れじゃァあのお嬢様は、摂州花隈の城主戸澤山城守(やましろのかみ)の御息女でございましたか、夫れとも存ぜず、今迄失礼な事ばかり申して恐れ入ります」

と俄にペコペコ頭を下げる。この時分、戸澤山城守は、他の大名と違って忍術の家柄だと言う事は日本六十余州に知れ渡っているから、誰でもよく知っている。其の姫君と聞いて町人の藤兵衛の驚くのも無理はない。或る日の長兵衛、仲間奉公の事に就いて毛利家の家老桂能登守(のとのかみ)の屋敷へ出かけた序(ついで)に、雪姫の事を話すと、能登守も驚いて、

能「ナニ其方の宅に戸澤山城守の息女雪姫と申さるるが参って居らるるとか、夫は以外な珍客で有る。丁重に御扱い申せ、決して粗末にしてはならんぞ」

長「ヘイヘイ、イヤモウ出来るだけ念入りに御世話申して居ります……」

長兵衛は引き取った。桂能登守は其の跡で直ぐ登城をして、毛利右馬頭(うまのかみ)輝元公の奥方巴(ともえ)の前(まえ)に此事を申し上げると、

奥「夫れは珍しい、中国にも聞えた戸澤家の美人娘、今巴と異名有る雪姫が見えているとな。妾は是非逢いたく思います。能登守、城内に雪姫を召し連れる様……」

と仰せが下った。能登守は快くお受けをいたして下城、此の事を長兵衛に伝えた上、翌日、桂能登守自身、長兵衛の宅で出掛けた。なんしろ相手は大名の姫君、今は諸国漫遊中とは言え、家老位は出迎えねば失礼で有るから能登守自ら出掛け、雪姫に逢って、奥方巴の仰せを伝えると、

雪「誠に有難う存じます。中国の大守毛利家の奥方よりの御招き、無碍(むげ)に御辞退申すも失礼でございます故、明日参上仕るでございましょう」

と、お受けに及んで能登守を返した。代替(だいたい)此の毛利家は中国十州の太守で有ったが、羽柴筑前守が中国へ攻め込んだ時、和睦をして以来は筑前守の幕下同様となり、今では芸州広島に居城を構えて、六十有余万石になっているが、中国切っての大大名であるから大した勢い、殊に奥方巴(ともえ)の前(まえ)は、女性ながら文武の嗜みが深かった家柄で有るから、腰元を召し抱えるにも一権式(けんしき)有る。他の家々は腰元を抱える時には、器量の宜い事、行儀の正しい事、文字を書く事、生花、お茶を立てる事等が一通り出来れば夫れで宜いとしたものだが、毛利家の奥方が腰元を抱えるには、ちと趣が変っている。身に一芸一能を覚えて居るほどの女は、仮令(たとえ)顔は黒くとも不器量でも少しも差し支えなかった。遊ばせ言葉で支えた三つ指が、擂古木(すりこぎ)の様で有ろうとも、ちっとも夫れは苦しゅうなかった。只、女丈夫の血さえ通って居れば夫で結構と言うので有った。されば広島城内に居る腰元共は、エイヤッの掛け声を出す位の事は、皆心得ている。こんな所へ出掛ける雪姫、これはよほど確りしていないと失敗(しくじ)るかも知れんのだ。

然し雪姫は平気、五万石の城内に生れ、行儀作法は申す迄もなく、武芸十般、及び忍術の極意に達しているのだから、どんな所に出ても、押しも押されもする女ではない。十分身支度をして、翌朝桂能登守の屋敷へ出かけると、能登守は雪姫を召連れて登城した。モウ城内奥御殿には此の事が知れ渡っているから、腰元どもは色々に話し合って居る。ところへ雪姫はやって来た。静々廊下を通る姿を見ると、頭は下げ髪、打掛けを裾長に着て悠悠と老女を先に立て、桂能登守の案内にて奥殿へ進んで行く。意地悪の腰元や局衆はこれを見て、

△「フフフフ、アア、勿体振った姿を御覧遊ばせ、高の知れたる五万石位の端た大名の娘の癖に、なんと言う取澄しでございましょう」

と、言う者さえ有る。雪姫はなんと言われても平気だ。奥方巴の前へ見参もすみ、奥方は上機嫌で四方山の話をいたして居られる。折しも廊下をバタバタバタ、

女「アレ大変でございます、アレ大変でございます、狼藉者でございます……」

と、腰元共が金切り声を揚げて、口々に叫ぶ。

ちょっとした解説:『こんな所へ出掛ける雪姫、これはよほど確りしていないと失敗(しくじ)るかも知れんのだ。』といった本作の文体を、講談の舞台で演じることが出来るのかというと、かなり微妙なところがある。講談速記本はかなり分岐をしており、明治35年代あたりには、すでに話芸を速記したものとしては成り立たない作品がちらほら出てくる。もっとも講談自体も、明治とそれ以前のものは質的に異なる部分があったそうだ。私が把握している範囲であれば、スピーチの技術が取り入れられ、名前の羅列など繁雑な部分が省略されている。本作にも、どこか書生言葉を匂わせる部分を見ることができる。本章は義侠骨の町人が武士を助けるといった場面、こちらもありきたりな設定ではある。本作の長兵衛はいわゆる侠客だが、宿屋の主人から乞食まで、様々な町人、果ては河童と町人の間の子までもが英雄豪傑を助けている。

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