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忍術漫遊 戸澤雪姫 その08 『また失敗』

権「オヤッ、これはおかしいぞ。俺の胴巻がない。落す訳もないし、布団の下に入れておいたのを忘れたかな。ハテナ見えないがどうしたのだろう。まさかあの女に引き抜かれる事もあるまい。胴に結びつけておいたのだから……それともあの座敷へ置いて来たのかしら……」

金「どした権六、なにをブツブツ云ってるのだ」

権「イヤ、私の胴巻がないので……」

金「それ見ろ。貴様、人の胴巻を物しに行って物しられたのであろう。馬鹿者め。女と云うのは分らないものだ。外面如菩薩内心如夜叉(げめんじぼさつないしんにょやしゃ)と云う事はお釈迦さんが女を評して云った言葉だ。あの声でトカゲを喰うか不如帰と云う事がある。七人の子はなすとも女に肌を許すなと云う事があるぞ。馬鹿ッ」

権「どうも、今夜はどうかしたんじゃあるまいか、不思議、不思議」

と、権六め、石川金吾にボロ糞に云われながら、ノコノコ階下へ降りて来た。

雪「オヤッ、また来たかね……」

権「イヤ少々探しものがございまして……」

雪「何を探す。今度胴巻に手を掛けると踏み潰すよ」

権「イエ、どういたしまして……貴方の胴巻なんかにはモウ手はかけません。懲り懲りいたしました。しかしお嬢さん。この座敷にモシヤ私の懐中物が落ちていませんか……」

雪「ナニを……」

権「胴巻なんで……」

雪「胴巻、それは古代更紗を用いて拵えたのであろう……」

権「左様で……」

雪「これであろう……」

と差出したのを権六が見ると、自分の胴巻だから、

権「オヤッどうも不思議だな。胴にしっかり結びつけておいたものを落す訳がないが……何所でこれを拾いましたか」

雪「ホホホホホ、お前の懐中にあったのを拾ったのだよ」

権「ジョ冗談を云っては困りますよ。懐中へ手を入れて胴巻を拾われては堪るものですか、この調子で行くと、呉服屋で反物を拾いますから……」

雪「ホホホ、馬鹿を仰い。人の物に目を付けるから、懲しめのためにしたのだよ。自分の懐の中にある物を盗られる様なものが、なんで他人の物を盗み取る事が出来よう。サアお帰り。胴巻が戻ればもうなんにも云う事はあるまい。けれどもこれから先もある事、懐中物には気を付けるがいい。またそれが抜けて出るといけないから……」

権「オヤオヤこれは驚いた。お前さんは察するところドロドロをやりますね」

雪「ドロドロと云うと……」

権「ヘッヘヘヘ、しらばくれる所ではございますまい。先刻私がお前さんの胴巻を引き抜いて帰ろうとする所を捕まったが、その時に盗った胴巻がいつの間にはお前さんの手許へ戻っている。その上、今度は私の胴巻も巻き上げられた。どう考えてみても、普通の人のする事じゃない。お前さんは女でも魔法を使いますね。ドロドロをやりますね」

これを聞くとお道は目に角を立てて、

道「コレなんでお前はそんな失礼なことを云うのじゃ。このお嬢様はな、武芸十八番に渡っておられて、今巴という異名を取っておられるのじゃ。魔法なぞとは汚らわしい。サア早くお帰り馬鹿者めッ……」

権六はビクビクもので飛び出した。自分の座敷へ戻って来て、

権「ご主人、あの女は面に似合わねぇ、なんだか気味の悪い奴ですぜ……」

石「何故……」

権「何故って、どう考えてみても、私の懐中にあるこの胴巻を抜かれるのに、気が付かずにいる私じゃァございますまい。十二の時からお前様の所で養われ、随分目から鼻へ抜けると人からいわれた私でしょう。他人の物を盗むには、今迄、敗(はい)を取った事はないのだが、今夜ばかりはやり損なったばかりか、散々な大失敗(おおしくじり)、器量の悪い話。有りゃ素人娘ではないのでしょう。あんな奴が素人にいるのだったら、私は仕事が出来ません。あのやさしい顔をして、夫(そ)れでアア小手が利こうとは誰も気が注(つ)きますまい。ところでこの胴巻をどこへ仕舞ったら良かろう。首に巻き付けておくかな。イヤこいつもいけねぇ。首ぐるみ盗られては困る。待てよ、こいつァ困ったな。なにしろ同宿に盗人がいるんだから少しも油断は出来ない。どうも物騒な奴が泊り込んだものだ。人は見掛けに依らないものだというが、間違いはないな。人を見たら盗人(ぬすっと)と思えと云うが、どうも世の中に盗人了見(りょうけん)のあるやつほど厄介なものはない……というものの、俺も考えてみると正直な人間ではない。弱ったな。あの女は相馬小太郎の姉の瀧夜叉姫の様な奴に違いない。困ったわい。この胴巻の始末がつかない……」

石「コリャコリャ権六、貴様は何をグズグズ云っているのだ。胴巻の置き場に困っているが、全体幾ら入っているんだ」

権「ヘー後にも先にもたった一両二分……」

石「アハハハ、それくらいでビクビクするな。よし俺が今夜出掛けて、一番ものにしてやろう。貴様と俺とは段が違う。俺は先方の胴巻を物にするから吃驚するな」

権「エヘヘヘヘ、ご主人がいくら大胆不敵だといったって、なかなかそうは問屋が卸しませんよ」

石「ナニ見ておれ。大丈夫だ。大体貴様が頓馬(とんま)だから女風情にやられるんだ。俺が出掛けて行けば大丈夫だ」

と、石川金吾め、ノコノコ階下へ出掛けた。離れ座敷を覗いて見る。灯火(ともし)がボンヤリついている。二人の女はスヤスヤ寝入っている様子、しめたと石川金吾め、スーッと襖を開けて抜足差足入り込むと、不意に灯火がパッと消えた。ハッと思っている所をグッと首筋捕まれてアッと驚くやつをウンと脾腹へ来たから、そのまま気絶してしまった。するとまた灯火が自然につく。見ると雪姫は金吾の首筋を押えている。

雪「乳母や、乳母や」

道「ハイハイ、オヤお嬢様、そやつは……」

雪「今、斯様斯様(こうこう)だよ」

道「オヤッ、不届きなやつでございます。マアお待ち遊ばせ、こうしておやり遊ばしませ」

お道は一枚の布団を持って来て、金吾をキリキリと包んで十文字に引き縛り、

道「こうしておけば朝まで大丈夫でございます」

雪「このままここに置いては目障りではないかえ」

道「それでは私が二階へ持って参りましょう。こやつは先刻来た権六という奴の主人でございましょう……」

お道は引ッ抱えて、二階へ持って来た。覗いて見ると権六は疲れたとみえ、グウグウ鼾の声高く寝込んでいる。これ幸いとソッと障子を開けて床の間へそれを置き、僥倖(ぎょうこう)よしと自分の今へ戻って来て、一寝入り、翌朝早く宿を立ち、岡山城下を出立した。パタパタ廊下を通る音に目を覚した権六はふと見ると障子一杯日がさしている。ところへ出て来た女中が、

女「お目覚めでございますか」

権「ウム、今ようよう目が覚めた。大分遅いな。もう何時だ」

女「ハイ、五ッ半(8時)でございます」

権「ウム、それでは大分寝過したようだ。オヤ……ご主人はどこへ……アッそうだ。夜前階下へ行かれたが……時に女中、階下の離れ座敷にいた女巡礼はどうした」

女「今朝はまだ日が出ません時期に御出立になりました」

権「エッ、立ったか。一体あの女は一体どこの女だ」

女「ハイ摂洲花隈とか仰いました。なんでも大分ご素性の良いお方と見えます」

権「アハハハ、ご素性が良いが聞いて呆れるよ。あれはお前、ドロドロをやるんだよ。ところで俺の主人はどこへ行ったのだろう。一緒に立ったか」

女「イエそんな事はございません」

権「おかしいな。それでは夜前出掛けたまま一向今に帰って来ないのだが……」

怪しんでいる折しも、床の上からコロコロと転がり落ちたものがる。

権「オヤッ、なんじゃこれは……アッ布団ぢゃないか。こいつァ妙不思議だ。布団が自然に動いているぜ」

女「オヤッ、お客様……布団の中で唸く様な声が聞こえております」

権「エッ、ウーム違いない。一つ解いてみろ」

女「ワッ私は気味が悪うございます。貴方がお解き遊ばして……」

権六め不思議に思いながら布団に掛けてある十文字の紐を解き放すと、コハ如何に、中から石川金吾が転がり現われた。

権「オヤッ、こいつは奇妙だ。ご主人、ご主人、一体どうしたんです。物にしたかと思ったら、物にしられたのだな」

石「ウーム、ウーム、残念だ………クッ苦しい、ミ、水をくれ……今少しで息が切れる所だった」

権「それご覧なさい。私がボロかすにやられる位だもの、なかなかどうしてご主人でも敵いませんよ。しかし布団の中に包まれるのは情けのうございますね」

石「情けないっても仕方がない。権六、あいつはイヨイヨドロドロだ。俺が忍び込むというと、フッと灯火が消えた。途端に脾腹が痛かったかと思うと、その後の事は分らない。一向に知らぬ」

権「ヂャア、当てられたんですね」

石「フム、そうらしい。しかし男と産まれて女にやられるとは残念だ」

と、口惜しがった。

こちらは戸澤雪姫と乳母のお道の二人は岡山を立って、ブラブラ道を歩みながら、泊りを重ねて笠岡の手前にやって来た。するとお道が足を痛めた。

雪「乳母や、どうも困った事が出来たね。大分足が痛むかえ……」

道「お嬢様の前でございますが、今日はどうした事か左の足が少々腫れて参りました様で……」

雪「困った事だね。まあしっかりしておくれよ。この辺には旅籠屋もないし、もう歩けないかえ。武者修行者は諸国を漫遊する者は木の下陰を宿とすると云うから、幸いこの小山の麓で野宿でもしようか。後へ戻るも大変、前に進むもまた笹岡は一里余りもあるし、気になるのは乳母の足、幸いこの辻堂で一夜を証すことにしよう」

と、二人は幸いそこに建っている辻堂の縁に腰を掛けて、四方を見回していた。

ちょっとした解説:権六がドロドロをやりますねと問い、お道に怒られている場面は少しだけ解釈が難しいが、雪姫様を瀧夜叉姫のようだと権六が語っている部分にヒントがある。瀧夜叉姫は近世のキャラクターで、妖術を使って源家に復讐を企てたという人物だ。この章で登場する石川五衛門は、物語の中では忍術使い、瀧夜叉姫、石川五右衛門ともに邪法を使う人物である。明治のある時代、ドロドロを使う魔法使いというものは悪であり、忍術使いは正義であるといった感覚が存在していた。前章で触れた石川五右衛門の物語を面白くアレンジすることが難しかった理由はこれだ。それならなぜに忍術は邪法ではないのかというと、明治の30年代に入り、理屈で説明できるようになったからだ。明治というのは理路整然と解釈できないことは悪だとされていた時代であり、江戸のドロドロは邪道、合理的に解釈できる忍術は正道というわけであるが、この辺りは入り組んでいるので、なんとなくヘーとでも思っていただければ十分である。蒲団の中に縛り付けるというのはよくある場面、よくある場面がよく出てきすぎな気もするが、忍術を知る前の石川五右衛門が、忍術を忍術だと見抜くことができず、こっぴどくやられているというのはオリジナルの展開だ。現代の目から見ると、つまらなく取るに足らない創造性に思えてしまうかもしれないが、日々消費される娯楽なんてものはこんなもので、今のドラマや漫画もこの程度の創造性で書かれている。だからこそ私たちは解釈し、愛着を持つことができるのだとも考えることもできる。

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