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忍術漫遊 戸澤雪姫 その1 『雪姫の生い立ち』

今回は風変りな忍術談を紹介する事にする。

何時の世にも悠悠と天下を闊歩し、弱者を助け、強者を挫(くじ)き、世のため人のために尽し、なお諸処の要害、秘密、地理なんぞを探って大名の荒肝を挫いた忍術の名人達人というものは、全て男子である様に思われるが、忍術の極意を極めた者は男子ばかりではなかった。女にして奥義(おくぎ)を極め、堂々たる男子をしてアッと仰天せしめたる人物があった。その名を戸澤雪姫と云い、甲賀流忍術の開祖、摂州(せっしゅう)花隈(はなくま)の城主で五万石、戸澤山城守(やましろのかみ)の息女であった。

イデこれから、女にして忍術の名人たる雪姫の痛快なる活躍振りを述べよう。

戸澤山城守は石高こそは少ないが、なかなか有名な大名であった。それは山城守が忍術は古今の名人であったからだ。この山城守には二人の子供がある。兄を虎若丸と云い、妹を雪姫と言った。虎若丸と雪姫とは三つ違いだ。兄の虎若丸は十五の時より父山城守から武術を授かり、傍ら忍術を仕込まれた。すでに十八の時には虎若丸は、武術忍術ともに天晴れの腕前であった。

雪姫が六歳の時、母はこの世を去ったので、それからは乳母(うば)の手に育てられた。雪姫は武芸の家に産れただけあって、武芸が好きだ。だから兄の虎若丸が毎日父より指南を受けているのを見ると羨しくって仕方がない。

雪「乳母や、私も兄様の様に剣術や柔術が習いたいわ」

乳母「ホホホホホ、お姫様としたことが……女は女らしくなさらねばいけません」

雪「それでも乳母や、昔の巴御前や坂額と云う様な勇婦は、男より強かったではないか」

乳母「それは強うございました。巴御前などは敵の大将の首を引き抜いたほどの力強でございました」

雪「私も力はあるよ。一つお父さんに願ってみよう。戦国時代には何時このお城へ敵が攻めて来ないとも分らぬ。その時には女ながらも武士の娘、泣いていても敵に辱めを受けるばかり、私は天晴れの勇婦になりたい」

雪姫は自分から云う通り、大層な力強だ。なかなか二人や三人が掛って来たとて、力では負ける様なことはないのだ。雪姫はどうしても武術が習いたいと思ったので、ある日、父の前に出て、

雪「お父様」

山「オオ姫か。なんじゃ」

雪「一つお願いがございます」

山「願いを申してみよ」

雪「私は兄様の様に武術を習いたいと存じます。お許し下さいまするように」

山「アハハハ、つまらぬ事を申すな。女はどうも天下に出て役に立つものではない。女は女らしくするに限る。つまらぬ事を申すものではない。その方は一八にもなれば、どこかの大名に縁付けたい所存じゃ。マアマア女一通りの業を覚えておけば、それで結構、女が出しゃばるのは、あまり見っとも良いものではない……」

と、てんで取り合ってくれない。雪姫も仕方がないから、思い込んで乳母のお道に相談をすると、

乳「いいえ、貴女、女でも習えない事はございません。お姫様がお覚え遊ばそうと云う思し召しがございますれば、必ず出来まするけれど、お殿様がお許し下さいませんと云うと困ります」

雪「それ故、お前に相談するのだよ。そこで私の考えでは、女は刀を差して歩く事は出来ぬ。懐剣や短刀くらいを持っていた所で、これは嗜みのために持っているので、大勢の敵に出会った時には、なんの役に立たぬもの、すると剣術もあまり習いたくもなし、いっそ私はお父様より忍術を習いたいと思うけれども、武芸さえ教えて下さらないのだもの、なにか良い方法はあるまいかね、ねえ乳母や……」

このお道、実はなかなか天晴れな女であったから、この話を聞くと膝を乗り出した。

乳「それではお姫様、こう遊ばしませ。私も元は武士の妻でございまして、父はよく柔術をやっておりました故、一手二手は教わっております。女は刀を持てぬとすると、柔術なれば役に立ちましょう。私がお教え申しますから、内々でお稽古をなさいまし」

雪「お前は柔術を知っているかえ……」

乳「ハイ存じております。男の五人や八人には負けませんつもりで……」

雪「オヤオヤ人は見かけによらないもの、それではどうか柔術を教えてくれ」

乳「かしこまりました。なんとお姫様、御城内ではお稽古は出来ませんから、貴女が御菩提寺の本堂なれば、めったに知れる気遣いはございません。稽古着は私の父の許にございますゆえ、それを取り寄せます」

雪「それでは乳母や、どうかそうしておくれ」

と、翌日から雪姫は妙な夢を見た故、御菩提寺に日参をすると云い立て、乳母のお道を連れて城内を立ち出で、戸澤家の菩提所宗源寺にやって来て、和尚には事情を明して頼んだ上、乳母のお道は父の許より稽古着を取り寄せ、頭に埃のかからない様に、紙の袋を拵えて被せ、本堂の四方を閉め来って、

乳「サアお姫様、いらっしゃいまし」

と、三十九になるお年増と、十六になるお姫様とが、ズドンズドンと柔術の稽古をする。これが毎日だから、寺の小僧や役僧番僧は、珍しき事に思い、覗きに来ると和尚に叱られて、小さくなっている。雪姫は一所懸命になって習うから、僅かの間に大層な腕前になった。早いものだ。一年ばかりやると、雪姫はお師匠さんのお道を投げる様になった。

雪「乳母や、お前のおかげで、大分出来だしたね」

乳「お姫様、この位お出来になれば、確かでございます。モウ大概の者にお出会い遊ばしても、手込めにされる様な心配はございません」

雪「どうであろう。武士に打ッ付かってみようか」

乳「ご冗談を仰ってはいけまん。無闇にお侍に打ッ付かっては危のうございます。それよりはお試しなさるには御城内へ御帰り遊ばして、あの風呂炊きの可内(べくない)、あれは恐しい力自慢で、四斗俵(七十二キロ)を二俵軽々と持って自由にいたします。あれはまたお城の石臼は百貫(三百七十五キロ)あると申すのでございますが、あれを御城内で持つものは、御家来衆にもございませんが、可内は平気で持ちます。それゆえ可内を斯様斯様にしてお試しなさいましては……」

雪「ホホホ、それではそういうことにしよう」

と、主従が相談をして城内に帰って来た。

城内の風呂は朝から沸いている。雪姫は良い加減の時を見計い、湯殿へ来た。もとより雪姫付きの腰元が二人付いて来て、身体を流すことになっているのだが、今日は雪姫考えがあるから、ただ一人で歩いて来た。湯の中へ入って温まり、それより身体を洗って出た。チャンと着物を着て、窓から覗くと風呂炊きの可内が働いている。五万石のお姫様が風呂炊き風情に口を利くことはないのだが、今日は雪姫ニコニコ顔、窓から顔を覗かせて、

雪「可内、可内……」

と声を掛けると可内は吃驚して、ハッと見上げると、美しい雪姫が顔を出して、ニコニコ笑っているから、大地に平伏して、

可「ヘヘッ、お姫様でございますか。ナナ何の御用で……」

雪「可内や、私は頼みたいことがある。頼まれてくれるかえ」

可「ウンヘヘヘェ、な、なんでございます」

雪「なんでも良いから、チョイと武器蔵の二階まで来てくれます様、人目にかからない様に……」

可内はお姫様が頼みがあるから、人目にかからない様に武器蔵へ来てくれと云うから、

可「畏りました」

と、裏手の武器蔵へ歩いて来た。武器蔵は、平素は番人がいて、なかなか勝手に出入りは許されないが、今日はどういうものか戸が開いている。

可「エッヘ、お姫様、可内でございます。なんの御用で……」

雪「オオ可内、誰か見ていないかや」

可「エッヘヘヘ、誰も見ておりません」

雪「誰か参るといかぬから、網戸を閉めておきや」

可「サアお姫様、閉めて参りましてございます。モウ誰も参る気遣いはございません」

雪「あの可内や、そなたは幾つだえ……」

可「ウフフフフフ、そんな事をお聞き遊ばすものではございません」

雪「それでも聞かせてたも」

可「では申し上げます。私は四十六歳になりますので……五十まではまだ四年も若うございます」

雪「国は何所だえ……」

可「大和の十津川在で……」

雪「そなたは国にお内儀さんや子供があるのであろうね」

可「ナニお姫様、女房や子供があれば一人で奉公なんぞに出て来はいたしませぬ。私は独り身でございます」

雪「ナニ独り身かえ。そんなことはどうでもいいから、力を出してたも」

可「ヘイヘイ、それではこの長持ち(大きな箱)を持ち上げてみましょうか」

雪「イヤイヤそんなではない。私の胸づくし(胸ぐら)を取って、グイと締めて見や」

可「アハハハハ、お姫様の胸づくしを取って、私が力一杯に締めたらお姫様は息が止ってしまいます」

雪「大事ないからやってみいや。そなたの力がどの位あるか、見たいのじゃわいな」

可「エッヘヘヘヘ、それでは御免くださいまし」

と、野郎試される事とは知らないから、雪姫の向うに廻って、胸倉を掴んでグイと締めた。雪姫は十分に気合の満ちた所で、素早く可内の手首を掴んで、エイッと叫ぶと、アッと云う間もなくコロコロと二つばかり筋斗打(もんどりう)って転がり、長持ちの角へゴツーン頭を打ッ付け、

可「アイタタタ、お姫様も投げるなら投げると仰って下さらなければ……ウーム」

雪「可内や。そなたはそんなに弱い力かえ」

可「ジョ、冗談を仰っては困ります、アイタタタ」

愚痴ってる途端(とたん)、向うに隠れていた乳母のお道はバラリと現われて来て、

道「可内、無礼であろうぞ。なんでこんな所へ来て、お姫様に悪ふざけするのだえ。お殿様に申し上げたら首はないよ。早く彼方(あっち)へ行っておしまい」

可内は肝を潰して、慌てて出て行った。

ちょっとした解説:実話という体裁で書かれているが、もちろんフィクション、実話として読む人、荒唐無稽なフィクションとして楽しむ人、それぞれ存在しているというスタイルであった。摂州(せっしゅう)花隈(はなくま) 今の兵庫県神戸市中央区。戸澤山城守は明治大正の娯楽物語では天狗昇飛切之術を様々な豪傑たちに教えてた人物で忍術家、祖父の戸澤白雲斎は猿飛佐助の師匠ということになっている。誰の台詞か分かるように、会話文の冒頭には、頭文字が書かれているのは昔の娯楽物語でよく使われていた形式である。ちなみに講談速記本には、基本的に改行がない。句読点も『、』のみである。慣れれば問題なく読めてしまうのだが、本作では改行を施してある。


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