自然選択と自分を疑うこと。大オーロラ、mtgの話。

なんで大オーロラが起こったんだろうか?
僕は2007年にあるカードゲームをしていた。

マジックザギャザリング。世界で初めてできたトレーディングカードゲーム。

僕は大学にはいうとt君という茶道部の仲間に誘われこのゲームを始めた。
僕が初めに触ったのは10版というやつで、基本セット。
それからローインというスパンに取り組んだ。

ローインという世界は、人間がいない次元。

森にはエルフとツリーフォークがいて、海にはマーフォークがいて、山にはエレメンタルとゴブリンがいて、平地にはキスキンという小人がいる。

だが人間はいない。なぜだ。

大オーロラ、これはローインというスパンからシャードームーアという恐ろしい世界に入る予兆。ローインは平和だった。

エルフは姿の美しさから社会秩序を構成し、ツリーフォークは長年生き世界を記憶し語り、マーフォークは口が達者で親切で、エレメンタルは自然を表し、ゴブリンは無邪気に迷惑をかけながら遊び、小人のキスキンは思念の糸というもので世界を警戒した。

大オーロラが起きる予兆。ゴールドなんたらという街でお話会という、自分の思い出を各部族が話す場所が時がある。年に一度だったはず。
そこでお話会が終わる時に稀に大オーロラという現象が起きる。

大オーロラは次元の行き来を表す。

大オーロラが起きると次元が変わる。ローインならシャドームアに、シャドームアならローインに変わる。

僕はある部族を思い出した。フェアリー。当時世界大会が起きるとこの部族は最強を誇った。

フェアリーのコアパーツはディスカードのインスタントもあるが、苦花というパーツもある。

場に置く置物の粘着物で、効果は、
あなたのターンに毎ターン一点与える。あなたの場に1パワー1タフネスのフェアリートークンを出す。という能力だ。

フェアリーは自然に発生する。
だが発生するメカニズムは不思議である。

フェアリーはある場所から自然に不自然に湧き起こる。
だからこのカードは、フェアリーのいぶきを表した。

ライフというエネルギーをフェアリーに変換する。息吹が起きるところにフェアリーという生物を沸き起こさせるという息吹そのものを表した。

すると自然に解釈がいく。

エレメンタルは、感情をそのままにクリーチャーに名前にした。
例えば現代ならば激情。
ハンドから赤のカード追放すると③点自由に割り振りできる。
クリーチャーとしてパワー3 2段攻撃を持つクリーチャー。

クリーチャーのエレメンタルは自然と感情を表す。

小人のキスキンは、感情を起こすのを恐れて、みんなで思念の糸を出し固まり。
エルフは傲慢な完全者よろしく容のみを評価し、
ゴブリンは知能が低く、迷惑をかけながら遊び、
マーフォークは。

これはこの次元の世界を表す。

なぜ人間がいないのか。それは神を考えなかったからだ。

だから僕は考える、なぜ東日本大震災が起きたのか?大オーロラが起きたのか?それはあの当時の人は神を考えず傲慢だったから。

当時僕は、2011年の僕は大学に戻りたかった。しかし戻る直前の311に大学は大損害を受ける。そして僕は。

もちろんマジックザギャザリングも傲慢だった。この描いたストーリーも、
神様がいない世界を表し、世界の終わりに神が現れるいう構成。

マジックも傲慢だった。

僕はこれに対して「自然選択」という言葉を寄付する。

自然選択とは、自分の選択が自然という、その時々の世の風潮に評価され、思想に評価される。というもの。

もちろんその世とは世界であり、各思想ごとに評価は変わってもいいということである。

あるカードはあらわした。
花のシャーマンのテキスト(言葉)。


神とは、人の上にあるから神であり、神はいろいろいていい、人よりも優れた何かがあるから。神様はいろいろ居ていい、神はその国や思想に居ていいから。となる。

また新しい息吹、フェアリーのような自然発生によるものも神である。

人の何かを表現したいことも息吹である。

最後に自分を疑うこと。
人は神ではない。自分を疑い、話し、理解し合う。理解には文化を表す。文化は感情を生み、感情は神を息吹し、息吹は人を疑わさせる。疑うことをし続け、理解を生む。

理解は文化を生み、文化は自然を息吹し敬意を表す。

今の僕に息吹させられることはこの程度で。