精神障がい者が書く就労B型の盲点。時給アップとノルマと役割の制定について

先ず書いておくが、就労B型とはもともと雇用されたい人が雇用されるチャレンジ制度のようなものである。

僕の職場に帰ってきた人がいる。
復活は喜ばしい。しかし僕とは方針が合わないどうするべきか?

彼が返ってきたのは病み上がりで僕に会って即言うたことはこれ。

「職場がなってない」

僕はキョンとなった??(゜゜)

彼は何を言っているのだろか?

もともと就労B型とは、働く場所ではない、働く模擬の場所であり、そのため雇用を重視する。
一般的なカフェでは4.5人の仕事を、あまり言いたくないのだが一人七千円の補助金を種に、2.5人のパイからパートがいただき経営がいただき、七千円の残りの1500円を障害者が(もちろんこれでも破格の高額)貰い、生活している。

僕も障がい者もお金はかつかつ。なにせ四時間程度の仕事で得られる額は1500円前後だからだ。

そのためか昔は公明党が発案などとあるが自由民主党の総理が制定したこの法も、もちろん当時の有識所の障がい者は否定したわけだが。

今回はこれとは少しずれて。

「障がい者が障がい者を管理するのはおかしい」という話である。まぁ聞いてほしい。

それではじめに聞いたのは、僕の上司であり管理人のk氏。
僕「障がい者が障がい者をなってないと言ってけなすのはおかしいし、今の職場はやりくりはうまく行ってます。これ以上人を入れて補助金を減らすより、にぎやかなパーラーでいいじゃないですか?」(意訳)

木村さん。(覚えている限り)まあまあまあ。君が彼と合わないよはわかっているけど、彼と一緒だとしんどいでしょ。彼からは離れたほうがいいんじゃなあかなぁ。

・僕が気をもむ理由。
もともと、いやこの表現は定文となしているので略したいが続く。
(もともとパーラー山と田んぼは就労B型とは、働く場所ではない、働く模擬の場所であり、そのため雇用を重視する。一般的なカフェでは4.5人の仕事を、あまり言いたくないのだが一人七千円の補助金を種に、2.5人のパイからパートがいただき経営がいただき、七千円の残りの1500円を障害者が(もちろんこれでも破格の高額)貰い、生活している。)

そのため、収益を上げたいとする。
それに一番いいのはリストラである。

僕がリストラされる。だがされない。これは職場の皆の意見を合わせなければいけない。だが僕の意思できまる。

管理人のkさんはいった「パーラー山と田んぼは働きたい人を働かせる」

これの一般化である。

いや正確にはパーラー山と田んぼはパーラー山と田んぼの格を手に入れたいとする。

パーラー山と田んぼは就労B方施設でなく、木村さんは昔言った。
「パーラー山と田んぼは就労B型でなくてもできる」と。

これが木村の目的ではないか?

木村は彼を使い、職場を静粛し、生きのいい職員のみを残し、障がい者を切り捨て、使えない障がい職員を、働かないからと言って低賃金の時給150円で雇い、また仕事を低レベルなものしか与えないモラルハラスメントを「雇用契約を結ばない」からと言って行い。一年間耐えたものを時給のたった300円しか与えないとすると。。。

だがこれは使えない。

まず雇用契約がないと言っても、少なくても鶏肉を毎回スーパーに買いに行かせる、障がい者の送迎を手当をケチるようなコンプライアンスのない指導者は時代遅れである。

彼の意見を取り入れたとしよう。

パーラー山と田んぼ粛清計画。
パーラー山と田んぼは格を手に入れた。
その指導者は彼。

だが職員は疲れている。ケーキは売れる。惣菜も売れる。だが職員のパートチームは毎年一年をすぎると雇用契約で時給が900円に戻る。年金の補助はない。

なぜならばパートは流動物資であり、毎年応募が多数来る。

でもさばける。
なぜならばパーラー山と田んぼは客が来るからである。

パーラー山と田んぼは、アニソンなど流れず、流行歌もお洒落という言葉に、文字通りモザイクされた歌を聞きながら食事をとる。

食事は昔は500円でランチを食べれたものが、今は900円。

ボリュームはある。レタスはシャキシャキ。パンは誰が焼いても同じように焼ける最新の電気式。ただしこねる人は人件費がもったいないので冷凍だ。

昔は2000円で焼きたてのピザもたけてた。今はそれも売れる。
しかしそのせいでベーカリーカフェのはずの店からパンがなくなった。

すべては単価が決める。
昔はシェフが作っていたシュークリームは、障がい者が、話せないだけでほかは正常な職員がつくる。彼の時給は200円。

すべてシェフの弟子である。

シェフは自給500円。障害手帳持ちだから年金も下りる。だがシェフの元の友達はいなくなった。

シェフの弟子は、パーラー山と田んぼで修行したい障害手帳持ちの職員。毎年4人来て四人辞める。だから時給アップもない。

ホールは障がい者が貯まる。しかし彼らには自由がない。なぜならば職員が締め付けるからである。

定文系
「〇〇さんがいるとお客さんいなくなるよ」
パワハラである。

彼は正社員の友だった。

でもここにも彼はいない。なぜならば彼も粛清されるからである。

足腰の立たない障がい者職員よりも、舌がなくなった黙って作業するウエイターでなく作業員のほうが優秀だからだ。

事務所は、そんな店に夢見ている舌のない職員だかけで気味が悪い。

ホールは馴染みの客が来ても、馴染み客はケーキしか見ない。パーラー山と田んぼにきても、パーラー山と田んぼを買うのではなく、ケーキを格安で買うだけだ。

彼はそうはしたくなかった。
彼はパーラー山と田んぼをお洒落なカフェにしたかった。
お洒落なといえば聞こえがいいが、お洒落は家族を排他する。
お洒落はコストパフォーマンスが悪く、家族が来ても家族はすぐ店を回ってフルーツサンドを2個とパンを買って帰る。それでは悲しい。

ある人に聞いた。
僕「パーラー山と田んぼはカフェなんだから、カフェにいるような知識人が必要ではないですか?」
事務員「いや千葉さん、パーラー山と田んぼは事業所だよ」

パーラー山と田んぼは、カフェでなく、お洒落な場所でなく、障がい者がはたらく障害者事業所だったのだ。

彼の思いも僕の思いも違った。共生できるか?

僕は彼が馴染みの客を相手をしているところを見たことがある。
まぁそもそも彼は働かないのだが。(゜゜)

いきいきしていた。彼もなにか店番という仕事よりも熱中する何かを職場以外で見つけるべきではないか?