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III. 鬼は誰だ

敵を知り、己を知れば、百戦あやうからず。

鬼って一体、誰なんだ。

鬼を理解しなくちゃ、僕のレースに鬼を引きずり込むことなんてできない。

鬼に会って情報収集したい所だけどそれは出来ないから、思考実験でイメージ戦略を練るしかない。


鬼は二足歩行で、僕らと言葉が交わせる事からして、元々、人間だったんじゃないかって僕は思う。

現世で悪い事をしてきた人間だから、三途の川を泳いで渡る羽目になって、泳げないから溺れて地獄に落ちた。

長い間、地獄で苦しんでいた所に、「鬼になれば解放してやる」と誘惑されたから鬼になった。

まぁ、そんなストーリーじゃないかと、僕は思うんだ。


表のストーリーだけみれば、そりゃ僕だって「自業自得だろ」って思うよ。

他人の失敗を批判していれば、自分の正義を信じていられるからね。

でも、鬼がこの世で歩んだ「人生の裏ストーリー」を知ってしまえば、憎む気持ちとは反対の感情が湧いてくる。


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鬼は「自分の人生とは何の関わり合いのない新人」を、川に突き落として地獄へ送るのが仕事。

鬼自身がそうであったように、最初はツッパって反抗していた新人極悪人も、地獄となれば「助けてください」って懇願するわけよ。

この世の苦しみだって耐え難いのに、終わりのない苦しみに耐えられる人なんているはずないから。


地獄の生活で疲弊しきった「過去の自分と同じような苦しみを抱えた人間」に罰を与え続ける仕事の動機が、

「仕事に対する責任感」とか「本当は嫌なんだけど仕方ないからだ」と考えるのは無理があるでしょ。


鬼が鬼の仕事を続けていくからには、そういったものとは違う何がしかの「強い動機」が存在しているはずで、その強い動機は「正義」だと僕は思うんだよね。


人間だって正義のために人を殺せるんだから、鬼だって「心の奥底にある葛藤」を「正義の大義」とすり替えて、鬼としての任務を遂行しているはず。

だからこそ、鬼畜生に見えるひどい事もやっていられるんだと僕は思う。


だって、「正義」の「隠れた動機」は、妬みや憎しみからくる「強い怒りの感情」でしょ。

「正義の対極にある強烈な負の感情」が「正義」を支える力になってるから、戦争であれ、子供の喧嘩ですらも、正義を主張する時はみんな怒ってる。

鬼の怒りも「世間という掴み所のない漠然とした存在」に向けられた「鬼の中にある正義感」から来ているはず。


だって、鬼も極悪人になるために生まれて来たわけじゃないでしょ。

どんな人も、泣くほど恐ろしい大冒険をして生まれて来たんだから、この新しい世界に対して、何がしかの明るい夢や希望があったはず。

そういう明るい希望を打ち砕かれて、辛い人生を歩まざるを得なかった「この世の不条理」に対する強い怒りが心を荒ませ、「荒んだその心から生まれた正義」が鬼として生きてゆく「心の支え」になっているはず。


そんな「鬼の正義」にすがって生きざるを得ない深い悲しみを僕は支持する気にはなれないけど、批判する気にはもっとなれない。

「同じ辛い環境でも、悪人にならない人もいる」といった正義の主張は、「幸せな立場で育った人が持つ贅沢な視点」だと、僕は思う。


「誰かの助けが必要だった、誰か」が誰の人生にも、どこかでいたはずで、

「その時助けてあげなかった、その人」が鬼になったのかもしれないのだから、

そこから目を逸らして鬼を批判する気には、僕はなれない。


「マナーが守れない」のではなく、辛い事情を器用に吐き出して生きていけないから、「幸せな立場にいる人の価値観」である小さなモラルよりも、自分自身の問題の方がはるかに大きくなってしまっているだけで、それはきっと、「分かって欲しい」という「心の葛藤」であるはず。

自分自身の目の前にある大きな問題よりも「社会人としての価値観」を優先してしまえば、誰だってホームの端を歩いたり、目を瞑ったまま交差点を渡ったりしてしまう。

それが人間でしょ。


神でも仏でもいいから、一回でいいよ、なぜ、手を差し伸べてやらなかったんだ。

鬼になるのを指をくわえて見ていた奴が、「悪人は泳いで渡れ」なんて、そんな残酷なルールを作って、どれだけ歪んだ心を持っているんだよ。

強いから鬼になったんじゃなくて、弱いからこそ鬼になっちゃったんじゃないか。


鬼が鬼のまま、こんな所で働かされ続けているなんて、僕は許せない。

鬼の職場は、僕のレース会場でもあるんだ。

人生最後のレース会場にまで、この世の不条理を持ち込まれちゃ困る。


これは鬼のための慈善活動なんかじゃない。

人生最後のビッグイベントを最高のパフォーマンスで迎えるための活動なんだ。


produced by yamato bear. 2019.05.03

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