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森下佳子脚本「桃太郎裁判」に評決を!

2021年3月29日に放映されたNHKの「昔話法廷」。なんと森下佳子さんの脚本で「桃太郎」が題材に。とても面白かったので、自分も裁判員になったつもりで評決を考えてみた。

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2021年4月5日時点で「桃太郎」は未配信。

この番組、昔話の登場人物を裁判にかけ、裁判員の立場で評決を視聴者自ら考えるという構成になっている。
今回は、桃太郎が鬼ヶ島の鬼に対して強盗殺人を働いたという容疑で裁判が行われる。最終尋問までが展開され、判決の場面はない。
あくまでも見ている人間がそれぞれに評決をくだすのだ。

事件の概要(ネタバレ少なめ)

桃太郎は、犬、猿、キジを連れて鬼ヶ島にいき、鬼1名(鬼ノ助さん)を刀で切り付けて殺害、30名以上に重傷を負わせ、財宝を奪った容疑で起訴された。(銃刀法違反については裁判では触れられていない)

起訴状の内容を被告人の桃太郎はすんなり認めている。共犯者の犬、猿、きじの3名(3匹?)は起訴を免れており、傍聴席にいる。

冒頭弁論によると事件前、SNS上に鬼たちによる人間へのテロが予告されており、桃太郎はこれを未然に防ぐために鬼ヶ島を襲撃したとのこと。

ちなみに鬼たちは見た目が違う(肌のいろが違う、角が生えている)という理由だけで、人間から鬼ヶ島へと追いやられたという経緯を持つ。

鬼ヶ島は土地もやせており、農作物の収穫もままならず、生活に苦しむ鬼たちの中には人間の土地から盗みを働いたり、人間相手にひったくりを行ったりという犯罪行為を行う者もいる。

その後、裁判が進むにつれて意外な事実が判明していく・・・

評決を考える(ネタバレ多め)

弁護側は死刑を求刑。被害者遺族も桃太郎の死を望んでいる。

被害者数は、死亡が1名、重傷者が30名以上。
なお、このドラマの設定として鬼たちは「人間と見た目が違うだけ」の存在であり、人間と同等の権利(人権?鬼権?)を持つと考えてよさそうだ。

動機は、桃太郎が村の人間やSNS上のネット民たちに対する、ある種の復讐心にあり、被害を受けた鬼たちにその直接の責任はない。

無防備かつ有効的な鬼に対して予告なく斬りかかっているため、
ほぼ無差別で残虐性は高いと判断される。またSNS上のテロ予告を偽装したり、犬、猿、キジなどの仲間を集めている点からも計画性の高い犯行である。

これらを総合すると、計画性の高い、自己中心的な動機による強盗殺人という解釈となり、犯行自体は「死刑」に相当するように思う。

ちなみに、戦後日本の刑事裁判では、殺害された被害者が1名の場合は死刑にならないことが多かった(永山基準によるのだろう。)しかし、裁判員制度の導入後は被害者が1名でも死刑になるケースが増えているという。そもそもが「市民感覚」を判決に取り入れるための裁判員制度なのだろうから、過去の判例に固執するのは、かえって制度の趣旨に反することもあるだろう。

ということで、自分が裁判員としても「死刑」が妥当としたいところなのだが、迷うポイントが2つ。まずは「情状酌量の余地」である。

桃太郎は裁判冒頭で起訴状の内容をすんなり認めているが、「テロ予告」を偽装した件については指摘を受けるまで黙秘していた。この点から、十分な反省の態度を見て取るのは難しく思える。

当初はほとんど感情表現をみせなかった桃太郎が、終盤一気に感情をあふれさせる。その生い立ちや境遇に深く同情してしまうのだが、桃太郎から被害者側に対する謝罪や共感の言葉はなかったように思う。この点からも情状酌量に踏み切りにくい。

もう1つの迷うポイントは、判決がもたらす「社会的影響」である。

最終弁論での検察の主張はこうだ。
「桃太郎は(鬼と人間との間に)さらなる憎しみを植え付けた。死をもって償うほかない」
対する弁護側は「差別のない社会を構築するためにも桃太郎を死刑にしてはいけない」と締めくくる。
両者ともに事件および判決の社会的影響を踏まえて(正反対の)主張をしているわけだ。

結局のところ、自分としては社会的影響を考慮せず、純粋に桃太郎の行為自体への評決を重視したいと結論付けた。以上より、自分の評決は「死刑」とする。とはいいつつ、心情的には更生の機会を与えたいところ。しかし無期懲役で出所した桃太郎は、「前科者」に対する風当たりをしのいで更生できるのだろうか。身内であるおじいさん、おばあさんは高齢なので、出所後の桃太郎を支えてくれるかどうかも微妙。

結論を出しておきながら、つい思考が脱線してしまうのは、この事件に割り切れない思いが残るからだろうか。

うならされた脚本上のポイント

脚本担当の森下佳子氏といえば、私にとってはNHK『だから私は推しました』、TBS『天国と地獄 〜サイコな2人〜』の2作品がとくに印象に残っている。

今回の脚本は、「死刑か否か」という視聴者による評決が賛否半々になるよう匙加減を調整しているのだとか。

さすがだな、と特に強く感じた箇所は以下。

被害者である鬼ノ助さんは、単なる平和主義者でもお人よしでもなく、オニイモの作付けなど、人間との確執を争い以外の方法で打開するため知恵を絞り、地道な努力を続けている人物として描かれていること。桃太郎の行為との対比が際立っている。

鬼が人間相手に犯罪行為を繰り返している点について、被害者遺族は「差別される弱者だから仕方がない」という論調で反駁する。対して弁護側は「あなたたちのいう仕方がないという悪事のせいで家族を奪われる人間、生活を壊される人間がいるということを想像したことがありますか」と被害者遺族を黙らせる。

これだけならただの「正論による論破」なのだが、この正論が終盤でブーメランとなって弁護側に帰ってきてしまう。こういう全体構成の妙も、森下脚本ならではとうならされてしまう。

最後に検察側が桃太郎に語ったセリフを。
「どんな笑いであれ笑えるだけいいですね。鬼ノ助さんはもう笑えない。」

こんな風に、命を奪うことに対する決定的な「怖さ」を突き付けられると、
「死刑」という自分の結論がいっそう揺らぐのだが・・・。


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