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Both Sides Now


spotifyプレミアムの広告で、「あなたが少しずつ変わっていくように、聴いている音楽も少しずつ変わっていく」というようなキャッチコピーがある。わたしはこのキャッチコピーがわりと好きで、30分に1回だかに流れるこの広告を、楽しみにしている。そうだなあ、少しづつ変わっているなあと、しみじみと思う。
 
三月は学期末。進学や就職でがらりと環境が変化する人も多いだろう。
私の記憶に残る初めての引っ越しは、地元の広島から進学先の神奈川へ引っ越し。実家から離れ初めての一人暮らしだった。
お世辞にも治安が良いとは言えない相模原で、商店街の騒がしさと昼も夜もやってくる救急車のサイレンの中で(近くに救急病院があったのだ)、四年間暮らした。
 
最近見始めた韓国ドラマで、主人公がソウルの夜景を眺めながら、「こんなに沢山家はあるのに、私には帰る場所がない。」と嘆いていた。
暖かいご飯を食べる場所と、ゆっくり休めるお布団。ある日、それらが急になくなってしまった彼女は、ボロボロの部屋しか借りることが出来ない状況に陥りながらも、壁をかわいいピンクに塗ったり、おしゃれな間接照明をつけてみたり、瞬く間に自分の好きな空間に変身させる。
新しい環境の中でも、家の中をおざなりにせず、自分の落ち着ける居場所を整えることが出来る人。すごいなあと思った。
 
自分の居場所に妥協しないというのは、とても体力を使う。食べて寝るという、最低限の事さえ出来れば死ぬことはない。
一日中働き、クタクタになり、毎日毎日同じような事の繰り返しの中で、とりあえず生活できているからまあいいかと、ついおざなりになっていきがちだ。
 
恥ずかしいけどここ数年、私は汚れても良い布団で寝ていた。子どもが吐いたり漏らしたりするかもしれないからで、そうそう吐くことも漏らすこともなくなったというのに、キレイでふかふかの布団を使うのが怖かった。目の前の事に必死で、自分の睡眠をおざなりにしていた。
 
ある時点ではそのような状況でいることしかできないときもある。
そこから、ふっと抜け出したいなと思った。もう春だし、新しいシーツに変えてみようかな、みたいな事を、これから沢山味わうために生きていこうと思う。
 
思えば、6年→3年→3年のスパンで、環境が変わっていく子ども時代って、そりゃあ成長するよなあと思う。
その度に、必要ないものは捨て、新しい制服、新しいルール、新しい人間関係に適応していこうとする。変化は疲れるけれど、小6と中3では、もはや同じ人間ではない。
それは成長期だからとかではなくて、大人になってもたった数年でこれくらい変わることが出来るんだよという、一つの目安みたいなものでもあると思う。
たった数年だけど、その時間の内包する変化の可能性は、誰もが経験上知っている。
 
年をとればとるほど、生活スタイルをガラリと変える事って、なかなか無い。
それでもゆるやかに、自分も周りも変化しているはずで、今生きている全ての人々はみんな平等に年をとる。
人生の終わりに死が訪れる事だけは避けることは出来ないのだから、変化を変化として受け入れ、その都度後悔しない選択をしていきたい。
 
例えば、新しい布団で寝るという事も、髪を短くするという事も、私にとっては幸せに生きるための大切な選択の一つだった。
それが変わっただけで、何かがどうにかなるなんてことは、すぐにはわからない。
spotifyで流れてきたジョニ・ミッチェルも、“人生を勝者と敗者の両側から見てきたけれど、人生の事など結局全然わからない”と歌っているし。
 
しかも大体の人は、両側から見る事なんて出来ない。選んだほうの、片方の人生しか、知ることはない。だから何もかもわからなくて当然だ。
選択し、選んだほうを後悔しないように、おざなりにならないように生きていくしかない。
 
空に浮かぶ雲も、愛も、人生も、その時その時で形を変え、一瞬先の保障すらない。
片方から見た姿と、もう片方から見た姿は、きっと何もかも異なる。
 
片方しか選べない人生だ。
ささやかでも、自分の幸せをおざなりにしない選択を積み重ねていきたい。

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