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結婚の奴

結婚していた時のはなし。膝が痛くなり町の整形外科に行った。鎮痛剤を処方され、胃を守るために胃薬を処方するか否かの話になった時のこと。
「専業主婦にはストレスが無いから、胃薬は必要ないよね?」と、医者に舐め腐った事を言われ、ウケる事に本当に胃薬が出なかった。
あまりの事に頭が真っ白になりながらも、自分がボス的立場である上に自分以外全員女性の職場で、平然と悪びれもせずそんな事を言ってのける様子を見て、もう完全にこちらの常識は通用しない相手だと悟った。もう二度と行かない。

専業主婦歴のある実母に愚痴った。「その医者も、専業主夫になりたいならなれば?なれないわけじゃないんじゃけえね?」と、凄みのある広島弁で彼女は答えた。
そうだ。いつだって、自分の抱えている消化しきれないモヤモヤを、自分よりも楽な生活を送っているであろうと勝手に認識した相手にぶつけ、見下し、「羨ましいな」という言葉に乗せて攻撃してくるヤツがいる。なんなんだ。あれは。


男だって、専業主夫になれば良い。平成の最後らへんに、当時勤めていた高校で男子高校生に、「女の人は良いですよね。養ってもらえるから。」と、面と向かって言われた事もある。男の人だって、養ってもらえば良い。養ってもらえないことはないのだから。そこに自分の幸せがあると思うならば、全力で養ってもらえば良い。
まずは「養ってほしい」と言え。女は羨ましいだの、きっとストレスはないだろうなどネチネチ言わずに、働きたくないなら「養って♡」と言え。言えないくせに、見ず知らずの、関わりの浅い、私に言うな。

みんな働きたくない。自分のペースで寝て起きて、自分の好きな事を好きな人とやりながら、お金の心配をせずに生活したい。
しかし、もちろんそうはいかない。実際問題金を稼がないとヤバいし、稼ぐためにはモチベーションとして家族が居たほうが良いように思う。皆もすなる恋愛といふものを、私もしてみむとしてしてみる。そして、なんの違和感も感じなければ結婚し、子宝に恵まれたら育て、できるだけ多くの金を稼ごうと生活は続く。

自分が選びとっているようで、実は慌てて世間の常識のメインストリームに乗りにいく。自分が慌てている事にも気が付かないくらい、世間の常識は強い。
恋愛も、恋愛を経ての結婚も、「そうあるべきだ」の圧力は計り知れない。子どもの頃から様々なメディアによって伝え続けられるこの圧は、恋愛のれの字の段階で躓いてしまう人間にとって、世間と自分との価値観の違いを如実に表わす。誰もが当たり前に恋に落ちるわけでも、異性を好きになるわけでもないからだ。


能町みね子の著書「結婚の奴」を読んだ。この本との出会いは、お盆にワールドリー・デザインさんで開催された「本をつかって考えよう」というワークショップに参加したのがきっかけだった。
参加者が“自分のロールモデルとなる本”を持ち寄り、語り、ここぞという一節を紹介する時間の中で知った一冊。
「結婚の奴」というタイトル。そして、この本をロールモデルと挙げた参加者の方が言った、「私も能町さんのように、“100万回生きた猫”が響かなかった。」という言葉に惹かれて、ワークショップの後すぐに読んだ。

私も“100万回生きた猫”は響かない側の人間だ。子どもの頃から読書家で、毎週末のように図書館や本屋に入浸っていた。どこの図書館や本屋に行ったとしても“オススメ”コーナーで見かけるあの絵本。私は一度しか読んだことがない。一度読めば、もう、充分だと思った。ついでにいえば“幸福な王子”は大キライ。自らを犠牲にすりゃあ良いってもんじゃないよ、アンタ…と、言いたくなる。

愛する人がいれば何だって乗り越えられるって、一生懸命だった時期もあった。好きな人と結婚し、子どもを産み育てるのが幸せだと信じていた。だって、巷の流行歌は総じて恋愛がテーマで、ドラマも映画も童話もアニメも、紆余曲折あった挙げ句好きな人と結婚して終わる。王子様のキスで呪いは解け、2人は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。大人になった後、知りたいのはむしろその後のストーリーだ。子どもが産まれた場合、2人はどのように育児をするのか。また、子どもを望んでも授からなかった場合、どのように気持ちを整理し生活を歩んでいくのか。意地悪な隣人にどう対処し、ふりかかる不条理にどのように立ち向かうのか。

結婚したとして、その後ひたすら続くのはグチもストレスも溜まる普通の生活だ。が、しかし、そんなものはストーリーには組み込まれない。結婚しちまえば、その後はなんとかなるらしい。結婚さえしちまえば、あとは勝手になんとかしろという事だ。ああ、本当に、結婚の奴め。


「結婚の奴」で語られるのは、能町みね子さんが“結婚”にトライする話だ。
ある人と“結婚を前提に”お付き合いをはじめ、週イチのお泊りやデートをしながら、“結婚”に至る。お互いに恋愛感情はなく、完全に“結婚”するための、“生活”をするための夫(仮)との日常。世間とのズレを感じながら、だからこそ自分の幸せのアウトラインを一から描き続けるしかなく、世間の大多数の人がいちいち悩むことのない恋愛やセックスやパートナーシップに関するあれやこれやにいちいち立ち止まる能町みね子。

日記を見せてもらっているような赤裸々な描写は、恋愛やセックスやパートナーシップにいちいち悩むことのない、世間の大多数にとっても、“結婚”虎の巻となっている。
人が当たり前にしている事が心底向いていない人がいると知るだけで、無用な幸せの押し付けが減り、おそらく世界は平和になる。そのための虎の巻だ。幸せな奴ほど読めやと思う。


私の事を話せば、私は結婚が向いていない。嫁も母も妻も向いていない。
愛があれば我慢できると信じていた事が我慢できず、子どものためなら嫌な事も我慢でき、有象無象をサラッとかわせる良い母になれると信じていたが無理だった。私はなんにも我慢できなかった。
最初から向いていないと知っていれば結婚はしなかったはずだけど、こればっかりは試してみないとわからない。試した結果、ピチピチの20代を棒に振ったものの、最初から向いていないと気づいていたら出会う事はなかったであろう、世界で1番かわいい息子と暮らしている。だから良い。向いていないなりに、やってみて良かったなと思う。人生で今が1番健やかで平和だ。


どれだけ平和に暮していようと、世間は私に再婚を勧めてくる。「まだ若いんだから、またすぐ良い人が見つかるよ。」「真実ちゃんにも、誰か良い人がいればいいのにね。」と、面と言われた事もあれば陰で言われた事もある。うっかり男を紹介されそうになった事も。(相手にマジで申し訳ない。だって、私だぞ?私はなんも我慢できんぞ?)
私はそんな事を言われたくらいでその人の事を嫌いになったりはしない。その人はその人なりに私の事を考えてくれているのはわかるからだ。そんな事でいちいち嫌いになっていたら、毎晩のように呪いの藁人形に釘を打ちにいかにゃいけん。そのほうが辛い。
ただ、「世間の常識とやらが仏の顔に化けて、その人に憑依しているな。」と思う。そのくらい、世間の常識は、結局のところラスボスだ。

ぺこりんが「ぺこりんは常識的な人だし、若いしかわいいから次があるよ!(意訳)」と言われてるのを見かける。ちがくない?ぺこりんはまじで素晴らしいけど、そういう事じゃなくない?そういう事じゃない事が伝わる人としか、私は友だちでいたくないよ。ぺこりんはぺこりんのままで最強なのに。


私は私のままで最強で、人生で1番穏やかに暮らしているというのに、世間の常識に憑依された人々の言葉は、私の生活の中で本来あるべきものが無いという事にスポットライトを当てる。
誰かに何かを言われなければ充分幸せなはずなのに、うっかり誰かに何かを言われてしまったばかりに、「いや、私世間一般的にみれば不幸なんだわ。不幸の面を被らなアカン。」とチクチク気付かせにくる。仏の顔した世間の常識が、私を殺しにかかってくる。その度に、私の心の中に住むもののけ姫のモロ(cv.美輪明宏)が、「黙れ小僧!世間に私が救えるか!」と牙を剥いてくれる。ありがとう、モロ。

私が再婚したくないとつぶやくたびに、「それは本当に愛する人と出会えてないからだよ。」などとほざく奴がいるが、私は誰よりも愛情深いのだ。愛する人とは幾度となく会ったわ!ただ、その移ろいやすく変化して当たり前の愛だの恋だのの上に、生活や経済を乗せてしまうことが、本当に恐ろしい事だと知っているだけだ。世間よ、離婚を甘く見るな。結婚にくたびれはてている奴に、気安く再婚をすすめるな。黙れ!小僧!


“死にたい死にたいと言って周りの人に散々心配をかけ、迷惑をかけ、いつまでも死なない人がいる。それはとてもすばらしいことだ。それに対し、マジメに生きて他人にも真摯に優しく対応し、自分の辛い気持ちは奥底へ抑え込み、結果として死んでしまう。これはダサい。ものすごくダサい。生きたほうがいいに決まっている。”


能町みね子が、友人の死についてこの本の中で書いていた事を抜粋する。そうだそうだ。生きたほうがいいに決まってる。もののけのように少数派で、世間に歯向かえばズドンと銃でふっ飛ばされるような存在だけど、どんなに煙たがれようがこじらせキャラになろうが、死にたい辛いしんどいワイワイガヤガヤ言いつつ100まで生きてやる。だって素晴らしいから。能町みね子か素晴らしいと言ってくれたから。

世間がすなる結婚とやらを、してみたい人、した人、している人、したくない人、出来ない人、やめられない人、やめた人。幸せな人、しんどい人、幸せに蓋をしている人、しんどさに蓋をしている人。

みんな生きようね。ウザがられようが、迷惑かけようが、辛いなら大騒ぎしながら。自分の幸せのアウトラインを何度も描き直して、自分がハッピーになれる日々を積み重ねていこう。幸せの形が他人とぴったし重なるなんてあり得ない。そもそも、なにもかもが、ちがう。

ひとりひとりが勝手に幸せになりやがれ。結婚の奴に負けるな。

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