見出し画像

心のブロックを考える日~東日本大震災によせて

昨夜、とあるZOOM講座に出席していて。
「貴女の場合、もう少し柔らかい表現にするともっともっと良くなります」
と言う意味合いの言葉をアドバイスでいただいたのです。

正直、それについては自分でも、ここの所の課題にしていたので。
ZOOMを閉じてから、ひとしきり考えを巡らせて就寝。

そして、今朝。
朝起きて飛び込んできたのが「東日本大震災」のWord。

軽く心が、ぐらりと動いたのを感じて色々と思いを巡らせました。
全ての物ごとには、必然性があると思いたい私。

そうか、昨日からの流れは「心のブロックを再確認」というサインだったのか。自分の中で落とし込めたので、noteを書いてみようと思います。

人間誰しも、長く生きていれば
「この出来事を思い出すと心が揺れるから思い出さない事にしよう」
とか
「あれをやったら、嫌われたから、後絶対にやらない事にしよう」
など

色々なブロックを心に抱えて生きているのです。
それが、たとえ無意識だったとしてもです。

個人的には無意識に自分が作り出したブロックが、1番強力だと思っています。飽くまでも私の場合かも知れないのですが・・・。

私が今取り払いたいブロックは、3つ。

1.母から言われた
  「お前の言い方は暗いから気分が悪い、明るく喋れないなら
  黙っていて。なぜ、私からこんなネクラが産まれるのかしら」
 この言葉から産まれた心のブロックです。
 母は学生時代からクラスではリーダー的な存在。人の注目を
 集め、いつでも人の輪の中心にいた人。
 地味で大人しい娘は、悩みの種だったらしい。

今思えば、母なりに悩んで「どうにかしてあげようとしたけれど駄目だった」からの、無意識に出た言葉だったのかも知れません。しかし、娘は酷く傷付いた。
あふれ出る愛情からの嫌味だったのでしょう。
それだけ愛されていた証拠じゃ無いかと、思いつつ。

まだ時々、この「口を開けば怒られる」という劣等感が首をもたげてくることもあります。ほぼこのブロックは、外せてるのでヨシとします。

2.お金を使うことの罪悪感。
 ストレス発散に、ぱーっと散財という方が多い中。
 私はお金を使うことに対しての罪悪感が強い。
 ですから、お金を貰うことへの罪悪感も強い。

これがどういうことかというと・・・。
実家は好景気の勢いで、新築一戸建て注文住宅を買いました。
その後、急激に景気が悪くなり。
マイホームローンが、払えなくなりそうな状態が数年続き。
一家離散寸まで行き。子供も、強い影響を受けました。

愚痴にしかならないので、詳しく書きません。
ただ、お金を使うことは自分の首を絞めること。
母の機嫌を損ねること。という、子供時代。

そこからの、大人になって自分も働く様になります。
しかし、働いたお金は実家の借金補填に右から左に流れていきました。

それでも、お金を戴けるということは、いい加減な事を決してしてはいけない。働くと言うことに、自分は真摯に向かう必要がある。
そう、自分に課題を与え続けてきました。
ですから、いつでも思っていたのは
「私は稼ぎに見合った仕事が出来ているのか」でした。

それは、家庭に入ってからも、自問自答し続けることになります。
お金を稼いできている主人に、食べさせて貰えるほど妻として家庭を守れているのか?に結婚後は変換されていきます。

夫が働いているのに、家でゴロゴロしたり。
テレビを見て、笑ったり。
おやつ食べてるなんて、駄目主婦にはならない!!
これが、20代の私の頭の中です。

仕事に行っている彼が戻って、美味しく食べられるメニューは何か。
体調を見つつ、それに見合ったメニューを研究しよう。
どこのスーパーが安いか、安くても品物が悪かったら意味が無いから。
主婦として、品物を見定める目を養おう。

まあ、そんな感じでした。

もっと言うと、結婚して家庭に入った後は。
夫の仕事で転勤を繰り返しました。
1~2年で全国行脚。
働き口は中々見つからず、働けない無い自分に価値観が見いだせないままでした。このブロックは、相当キツかったです。

3.現実逃避禁止のブロック
人に話すと、それ良いことだよ。と言われそうな、この最後のブロック。
いやいやいや、それも限度があるでしょ!という、超リアリストの私。

実は、今日書きたいのは3についてなのです。
エグいほどにリアリスト、現実逃避不可。
きっつぅうううう。案件について書いていきたいと思います。
よろしければ、長くなりますがお付き合いください。

独身時代は、現実逃避が趣味でした。
元々、結構ボーッとした性格で母にお小言を言われ続けて育ったので。
嫌なことがあったら、妄想(幻想?)の中に逃げ込んで、ニヤニヤしていれば癒される。何とも「ホワン」としていたように思います。

飼っていたセキセイインコを窓際に置いて、日光がさんさんと降り注いで気持ち良さそうに毛繕いをするのをぼーっと眺めたり。
真冬の深夜に窓を開けて、布団に入ってボーッと夜空を眺め続ける。
小説に没頭したり、漫画にウットリしたり。
自分でポエミーな事を書いたり。そんな少女時代でした。

そんなボーッとした私が結婚したのは、全国転勤がある夫。
ボーッとしてたら、転勤族の妻は勤まりません。
現実に生きる事を迫られることになります。

24年程前の新婚時代。
インターネットという存在はありましたが、今のようにスマホは無し。
26年間、地元から一歩も出たことが無い過保護な親に育てられた箱入り娘が、実家から700kmはなれた土地に放り出され。
夫は仕事で、車に乗っていってしまい。田舎で足も無し。
住んだ場所は、いわゆる社宅。

当時は、夫の職場での立場=妻の社宅での立場という時代。
笑い事では無いほど、年功序列で
「やまゆきさん、貴女標準語もお話になれないの?恥ずかしいわね」
から始まり。
「そのお話のしかたですと、夫の職場に傷をつけますよ。改めることをお勧めするわ」
「奥様のご出身校はどちら?皆さん結構優秀でらっしゃるのよ」
等々。

恐ろしい洗礼の末に、上品で言葉使いが出来て初めて「恥じない転勤族の妻」という型に嵌められた新婚時代がありました。

しかも、この職場(夫の勤め先)。
非常時は緊急出動要請が出るので、妻達の社宅での絆は半端なく。

奥様のお茶会、ランチ会、転勤になれば送別会。転入してくれば、歓迎会。
若い妻達は、小間使いをしながら。
夫の上司の奥様を、いつでもヨイショして機嫌を取るとか。
本当に、悪い言葉で言えば「クソ」な環境で、もう実家に帰りたい!!
叫び続けた若い私がいました。

しかも!!
なぜか、転勤地で災害に遭遇し続ける夫。
自衛隊災害派遣に2度も遭遇している様な状態になっており。
(あっ、我が家自衛隊さんではないです)
全く知り合いの居ない土地で、誰にも頼れず。
生き抜くにはどうしたらよいのか?
そりゃ、リアリストにもならざる得ないのです。

東日本大震災の日も、色々な物が倒れてバッシャンドガシャン。
頭の上から、土鍋が降ってきたりして。
これ、いつまで揺れ続けるの。
と、頭の中が真っ白になりつつ。

揺れが収まって最初に思ったのが。
「あぁあ、こりゃ当分旦那は戻ってこないな」でした。

家の中の惨状を見て呆然とするとか。
怖くて震えて動けないとか、そういう事は思わないのですね。不思議と。
ボーッとしていたら、生きて来られなかったので。

NHKを付けて、現状を把握した後。
被災直後は、皆呆然としてるから急いで連絡だけしちゃおう。
まだ電話回線使えるだろう。(その後、混雑で電話回線はNGに)
と、実家に連絡入れようとしたら、夫から連絡があり生存確認終了。

彼は阪神大震災も経験しているので「大きかったな」と飄々としている。現状を聞くと、建物から避難している最中で、階段降りながら電話していると言う。確かに、周囲がザワついている。
「どうせ、当分建物入れないからロッカーからバック取りだしてきたわ。そのまま帰れるぜ!仮眠室から枕抱きしめて出て来て避難してるヤツとか居るけどな、バカだよなぁ」
なんて、普通に話していて、こちらも落ちついて来たのを思い出します。

次に、母に生存確認入れて電話を切り。
ガスの安全装置が動いて、ガスが止まっていることを確認し。
水が出ることを確認。

当時は、一般賃貸(マンション)住まいだったので。
建物のクラック(ヒビ割れ)を確認に、外回りを一周回って点検。
素人ながらも、見た目で分かる危険なクラックが入ってない事を確認して、自宅避難でよし!と決定した後に。ご近所に声を掛けて歩き、ガスの緊急停止の復旧方法を教えて歩くという、何やってんだろ自分状態でした。

皆、震えて「これからどうなるのかしら」とか「食器割れてしまって」「避難した方が良いのかしら」とオロオロしているのを見て。

こう言うときは、オロオロしてたら命取りになりかねないのになあ。
なんて、思いながら。

部屋に戻り、落ちてきて危ないもの(重い物)は全て床に下ろし。
一部屋に固めて、原発だめだったら窓に目張りするように養生テープとか必要かな。あそこから何キロあったっけ?我が家。
とか、距離計算し始める始末。

実は、これ。
サバイバル的には正解なのですが、これを無意識にやってしまっているということは。普段から何気ない心の動揺も、全て押さえ込んでいるのだと、後で気がつく自分がいます。

これをやることで、生き抜けるかも知れませんが。
積み重なったストレスは、ある日突然自分に牙を剥きます。

ですから、しっかりし過ぎる人が普段から気をつけたい事は。
自分の気持ちに正直になる。(本音を確認する)
自分も弱いのだと認めてあげる。
気持ちを抑え込みすぎない。ガス抜きしよう!ということなのですね。

偶には、現実逃避して。
妄想も楽しんで。
辛い時は、愚痴って。
無理だーと思ったら、周囲がどう思おうと休む。

そうなのです、私がずっと出来なかったことは・・・。
自分に素直になって、心を保つことだったようです。

これを続けてしまうと、自分の機嫌を取ることが出来なくなってくるのですよね。大人って不自由だなと思うのです。

話しを今に戻します。
東日本大震災が過去にあった日である今日。
皆さんは、どんな気持ちで迎えていますか。

「あの時の事を忘れてはいけない」とマスメディアが大々的に騒ぐでしょう。でもね、自分の心に耳を傾けることとを忘れないでほしいのです。

あの日の事を「忘れること」と、「被災地に心を寄せる」ことは別問題だと思うのです。辛かったこと、悲しかったことは時間と共に人間は忘れて行きます。

それで、良いと思うのです。
防災意識を高める為に「ああ、3月11日だ。我が家の防災を見直そう」それでいいと思うのです。あの日あった色々な事を、心でループする必要は無いのだと私は思っています。

今年の元旦、能登で大地震がありました。
あの時、私は少し強めの長い揺れに身構えました。
しかし、被災したトラウマは発動しませんでした。

それなのに、数日掛けてニュースを見ている内に、押し込めていた古い感情が堰を切って自分を襲ってくるという状況になっていました。

繰り返し、繰り返し、テレビで被災地の状況を見ることで「思い出してはいけない」と鍵を掛けていた感情が溢れ出しました。
このブロックは、良い意味で「自分を守るために」作り上げた心のブロックだったのだと思います。

心のブロックは悪い物ではなく、その人の心を守るために「無意識で作り上げた、セーフティーシステム」なのだと今は思えるのです。

私が最初に挙げた3つの「心のブロック」、ブロックを作り上げた当時は自分が壊れずに生きていくには必要な物だったのでしょう。
では、ブロックを外したい今。
そのブロックが今必要かどうか、考える必要があると思うのです。

と言うわけで、今必要なのかと考えると。

1の喋り方が暗いから喋るな、気分が悪くなる。というブロックは必要なのかと言えば。既に母とは別居しているし、私には私を必要としてくれるパートナーがいる。
夫には、素の自分を見せているし。それを「暗い」とか「うるさい」と言わないので、その他大勢の人々が何と言おうとも。付き合う相手は、自分で選べば良い。
嫌なら離れ貰えば良いだけで”自分らしさ”を出していきたい。そう思っているので、このブロックはもう不要なのでしょう。

まあ・・・まだ時々、首をもたげますけれどね。
良いの、それは人間だから。

2のお金を使うことへの罪悪感は、ここ数年取り組んできたブロック外しです。そんな中で気がついたのが「給料日前の節約レシピ」という言葉です。
実は主婦には必要なスキルでも有るわけで、どこまで強く心を節制するか。ただそれだけであると思うのです。

私の場合、自分がずっと働けずに家にいて「社会から取り残されている感」が、今のお金に対するブロックに大きく影響していたようです。

これに気がついたのが4年前です。

お金を稼がない=使ってはいけないの公式だったようです。

夫の赴任先はド田舎ばかりで。
現在、結婚24年目にして初の都会赴任。

一人一台車が無いと働けない。
転勤族は、いつ居なくなるか分からないから雇えない。
と断られる状態から、初めて派遣なら働ける(数ヶ月更新なので、転勤があることがマイナスにならない)になり派遣勤めを開始。

「私も、自分で稼ぎを得る事が出来る」という自信を付けて、心のブロックを外す切っ掛けが出来ました。

あれから4年経過し。
そこそこ良い感じに、ブロックが緩んできている状態です。
個人的には、夫のお給料日前に「おっ、今月も食費余ったな。月末だし贅沢しよう」って思える今が好きなので結果オーライです。

最後に3、これがかなり根強くて今奮闘中。

自由に心を遊ばせたい自分を許してあげる、これって1番難しい気がするのです。心のどこかで「妄想にふけっていたら、話し掛けられた時にボロがでるでしょ」とか「気持ちの切り替え下手だし、素が見えちゃうとヤダ」って思っている自分がいて、中々外せないブロックだったのです。

でも、最近気がついたのは
「完璧な人って、冷たい感じがする。少し失敗して照れ笑いする人って、人間らしくて好き。逆に好感度高め」
なんて、自分で言っちゃってるのです。

あれれ?
それなら、自分も完璧求めないでも良いんじゃ無いの。
失敗したら「てへっ」で良いんじゃ無いの。

と、自分に問いかけています。

人には「無理し過ぎないでくださいね」って心配するのに。
自分は、いつもガッツリ問題に取り組んで「無理するくらいがちょうど良い」なんて言ってるよな。アタシ、バカなのか?

と、これまた自分に問いかけてます。

最後に丁寧な言葉が美しい、相手に丁寧に話すことが敬意を示す最善の方法と思ってきたのですが。これも、何か崩れつつあり。

「〇〇さん、素敵」
って思う方って、柔らかい言葉をSNSで使われている。
凄く、話し易い。
言葉がすぅーっと染み込んでくる。

そういう方って、四角四面の日本語を使う方では無いのです。
これまた、自分の考え方と、やっていることが真逆。

どうやら、私はここ数年で大きく変わってきている様です。
それを認められない自分と、認めたい自分が大きく戦っている。

それに気がつかなくて、イライラしたり。
意味なく不安になったり。
頭が大運動会したり。

そろそろ、自分に素直に生きようよ!
誰も嫌わないしさ。
嫌われても良いじゃん、アンタも嫌いな人いるでしょ。

さあ、変わろう!
と、思えてきたようなのです。

それって、自分が変われる切っ掛けを貰えたじゃないか。
良かったじゃん、自分。

と言うわけで・・・。長々と書いてみました。
まさか、ここまで心の中をダダ漏れで書いた文章に最後までお付き合いくださっている方はいらっしゃらないとは思いますが。

もし、最後まで読んでくださった方がいらっしゃったら。
一緒に変わってみませんか?
人間、幾つになっても変われる気がしている。
50歳になった私です。

ご静聴ありがとうございました。