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考 我が家のルーツ

さて、今まで色々なファミリーヒストリーネタと書いてきましたが。
ここまで知識を出しておきながら、貴女はどこまで分かったの。

そう言われる様な気がしましたので。
少し書いてみます。

祖父、祖父兄、そして従伯父。
そして、私と3代目になった先祖を探る旅。

私の先祖調べの第一歩は”現実”と”言い伝え”の
擦り合わせから開始になりました。

言い伝えは幾つか有り。

① 山城の城主であった先祖が戦に負けて落ち延びてきた。

② 白馬に乗って村にやってきたが、深い傷(?)病(?)があり。
  直ぐに死んでしまった。墓石を立てると身元がばれてしまう。
  仕方無く、墓標代わりに花の咲く木を植えた。
  木には白い花が咲くはずだったが、赤くなった。

③ 身元を特定されないため、証拠となるものは隠した。

④ 名字と家紋は変えた。本来は違う。

⑤ 一般的な名字の読み方はしてはいけない。我が家は〇〇〇〇である。

⑥ 東から落ち延びてきた、忘れるな。

⑦ 我が家の本姓は源氏である。絶対に平氏と間違えるな。

これが、我が家と同じ同姓さんの家から祖父達が集めた言い伝えです。
どこの家にも共通して残されている内容は、②で最重要だと思われる。

私からしてみたら
「名字変えるな、分からんだろ」
「家紋変えるな、同じ紋を使う家が多いのだからバレないだろうに」
「東からって、どこよ?東と言ったら広いぜ・・・おーい」
「山城、別にそんなの言い伝えなくてもな・・・調べたら無数にある」
「そもそも、落ち延びて来て直ぐ死んだらアタシ達生まれてない」
「身元の分かる物隠すはいい。百歩譲るとして、隠すのは分かる。
 でも、隠し場所が分からないなら意味ない」
「源氏家系多すぎだし、源氏なら蝶の家紋じゃない?普通」

言い伝えは、色々な文献から先祖を調べようとすると矛盾ばかりが生まれ。
戸籍以上の調べが付かず、ぐだぐだ感が否めませんでした。

細かく書きませんが。
総本家を見つけてお話を伺ったり、曾祖母、高祖母の実家を訪ねたり。
色々と調べていく内に分かったことが一つだけありました。

・婚姻関係のお宅は武田家の家臣団の末裔ばかりであった
これです!これは大きな発見でした。

某親類曰く、ここの街道(場所は伏せます)は昔は甲州に抜ける為に使われていて、この街道沿いに武田滅亡後に縁者が土着しているのだとか。

今だからこそ、色々とあるが。昔は何も無い場所で、落ち延びるには良い土地柄だったのだろうとのこと。

また、先祖調べのセオリーとして。
・身分が同等の家としか婚姻関係は結ばない。
・昔は、今以上に縁故を頼る文化があり。
 落ち延びた場所にも縁者がいた可能性がある。。
・先祖調べは、その時代のセオリーを知る事が重要。

ここから、考えると。
① 我が家も武田家の家臣団か、縁者である可能性が高い。
② 家紋を隠すということは、家紋だけで身元がばれる特殊な家紋か?
③ 住んでいた土地名を名字として名乗る事が多く。
  当家の名字も土地名の可能性あり。
④ 口伝は本当の事を隠して、何かを暗に示している可能性あり。
  暗号が含まれる可能性を考えて読み解くのが正解。
ここを加味して考えました。

①②は、有る程度調べが進めばおのずと予測がついてくるだろう。
③については、一斉に全国を調べましたが。
奈良、宮城、香川に、同様の読み方をする土地があるが。
さすがに、落ち延びるには遠い。
しかも、先祖は江戸中期には今の土地に先祖は住んでいた形跡があり、
それ以前に移住したと思われる。

そこまで分かっていた頃、再従兄弟から「お寺の住職に法事の時に聞いた話」として、少し奥(山の中)に、お宅の名字の地名と同じ地名があってね。多分、そこからこちらに来たんでしょうね。と言われた事がある。

そんな話がひょんな事から出て来ました。

言われたとおり、少し山奥の土地を調べて行くと名字と同じ詠みをし、同じ漢字のを使う土地を発見。ただ、大字ではなく小字だったため。
ゼンリンの地図には載らず、バス停の名前として残っていたという何とも見つけにくい状態でした。

そこで、なぜ先祖が移住したのか調べた所。
その土地に、戦国末期に寺社仏閣を建てる為に、土地の所有者が変わったという文献が発掘されました。土地を寺社に与えたのは、かの徳川家康。
家康によって、土地を明け渡す事を迫られ今の土地に移動して来たという憶測がつくわけです。

さすがに、時の人に立ち退きを命じられれば移動せざる得ませんし。
ルーツを残す為には、元々住んでいた土地を名字として名乗ることもしたでしょう。いや、すでにその時にその名字を名乗っていたかも知れません。

これで、江戸中期以前に住んでいた先祖の地が判明しました。
ただし、物的証拠はありませんが・・・。

また、特殊な手法で知識のある方に「地域的な名字の分布」から見る、子孫の増え方から移住の年代を計算する方法で「先祖がいつ、この土地に越してきたのか」予測をして貰いました。

移住者は親族ゼロの状態から子孫がが増えていくので、近所の親類の人数で移住した年代が有る程度推測できるそうです。
こちらの結果も、戦国末期に移住してきたと同様の推測が出ました。
裏付けが出来た様な気分になりました。

ここで、先祖は
戦国期に、武田家の縁者としてこの土地に落ちてきたと仮定。
土着数年で、寺社の建立の為に再度移転。
ここまでは推測出来ました。

墓の言い伝えも、白い花の咲く木を植えたら「赤くなった」も、理解できるかと。土着したのが武田の家臣団=赤備えを意味するとすれば辻褄が合うように感じるのです。

武田家は「赤」を基調とした赤備えをする事で有名です。
②の口伝は、我が家は武田縁者であると暗に言い伝えていると推測をしたのでした。ただ、こちらも物証は無し。落ち武者は身元を隠しますから。

また、②にある白馬に乗ってやってきたという話も、眉唾物です。
戦国期の武田家臣団で、白馬に乗っていた人物がいるか。
色々な文献を調べて見ました。

所が、戦国期に大事にされた馬は鹿毛の馬だというのです。
この時代、白馬といえば白髪になった年老いた馬という意味だったようで。

「落ち延びてきて、直ぐに死んでしまった」
という話が、怪しいと思ったのは・・・。
もしかすると、山城の城主の子供が年老いた馬(従者)に守られ、
この地に落ち延びてきたと考えると話しは繋がります。
しかも、その子を守るために。
「直ぐに死んでしまった」としたのでしょうか。

口伝をストレートに理解すれば、死ぬ=家系断絶ですが。
実は家は絶えておらず、「死んだ事にしたんだよ」という解釈も出来ます。

墓が分かる様にして、身元が分かる物を隠した。
もしかすると、身元が分かる物は墓に埋め。
場所が分かる様に、本当に何か木を植えたとも考えられるのです。

さあ、ここで手がかりが欲しくなります。
① もしかすると、死んだ事にして墓を作らないで木を植えた。
  →同様の話がどこかに残っていないか調べる。
② 一族しか使わない、特殊な家紋を使った戦国武将を探せ!これも必要。
  →家紋を変える必要があったという事実を垣間見て。

この辺りが急務な気がしていました。

①を調べた所、〇〇塚という話が出て来ました。
 山城の主である君主の幼子を、家臣が連れて落ち延びたという話でした。
 子供は1年ほどで亡くなり、墓標代わりに木をを植えたそうです。
 しかも、言い伝え通りの色の花が咲く木でした。

 驚く事に、江戸後期になり”墓が荒れ果てているのを嘆き”木を
 株分けして(掘り起こして)現在の地に改葬したというのです。
 
 私の仮説が万が一合致したのなら、木を株分けしたのではなく。
 素性の分かる証拠を掘り出し隠滅したのかな?と。妄想に走りました。
 安泰が続く徳川の世で、万が一そんな物見つかれば危険でしょうし。

ちなみに、幼子を連れて逃げた武将の名前は渡邊さん。
明治期の戸籍で唯一、婚姻先の繋がりが分からなかった家が渡邊家。
これで、繋がった気がしました。この家も武田の家臣団です。

さて、ここで残りの言い伝えを検証してみます。
山城の主の本姓は源氏。
落ち延びてきた際。その地から、落城した城は東にある。
山城の主の家紋は、確かに特殊。
変えなければ、素性は一発で分かってしまう。
名字も同じ。

後は、この山城の主の名前と、言い伝えがイコールになれば良いのですが。
残念ながら、我が家には山城の主の名前が伝わっていませんでした。

いや、正しくは自家の神社にあった木板の絵画に初代の名前=山城の主の名前が書いて有ったと言う話は曾祖父から伝えられていました。
ただ、江戸末期くらいまでは絵画の文字が読める状態だったそうですが。
明治期には、既に古くなり読める状態では無かったそうで。
曾祖父が、その名前を伝え聞いていたという・・・。
何とも、心許ないお話です。

曾祖父は、私が生まれる13年前に他界しており。
その話を息子である祖父が聞いており、私に話したという流れで伝わっていますが。祖父が早く他界したため、子供の私は名前までは記憶に無いという致命的な状態でした。

所が、先日。
本家の再従兄弟さんから、昔自宅にあった家系図をみたことがある。
初代の所の名前を思い出したから、伝えるね。との連絡が。
もう舞い上がりました。

そして、出て来た名前は山城の主と同じ名前でした。
これで、私の中で確信が持てる状態になったというわけです。

ただし、ここまでして隠した物証。
出てくる訳が無いのです。
残念ながら、ここで我が家の先祖調べの遡り最終地点とするしか無いのでしょう。言い伝えから導き出した部分と。
立証出来る部分、この二つを区別して子孫に残すべく。
これから、まとめをしていこうと思っています。

以上、我が家の先祖話でした。