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一昔前の先祖調べ(祖父の場合)

先祖調べのnote記事にも、チラッと書いていますが。
我が家は、私で先祖調べ3代目です。

最初は、昭和の10年代に祖父とその兄が調べていたのが最初です。
彼等がどうやって、先祖を調べていたのか。
今となっては分かりませんが、2人から先祖調べを受け継いだ従伯父(父のいとこ)から情報を私が受け継いだ際。

話を聞いてみると、現在の先祖調べとは全く違う形で情報にアクセスしていたのが分かりました。今回は、知識となる部分は全く無いので、お暇な方だけお付き合いいただければと思います。

祖父と祖父の兄は、先祖代々暮らしてきた村で産まれ育ちました。
当然、近所は親戚だらけ。
我々が知らないほど、遠い親戚宅も「この家は遠縁である」と知っているという状況でした。ですから、戸籍を取った所で知り得る情報は「既に把握ずみ」であったと思われます。

ですから、彼等が最初にやったことは。
まだ個人情報がうるさく無かった為、寺に突撃してご住職に頼み込んで。過去帳を出して貰い1枚ずつ片っ端からめくって読み、必要な所を書き出す。
という事だったようです。当時は、町場に出ていた為。お弁当を持って数日掛かりで紐解いたとのこと。

その後、それを元にして。山の上にある墓に行き、墓と過去帳を照らし合わせるという行動を取ったようです。それを元に、文献を紐解いていく。戸籍ノータッチという恐るべき先祖調べだったようです。

結局、彼等の行動力のおかげで・・・。
我が家がいつ頃、総本家から分家したのかが私にも判明しました。

我が家の古い墓は、かまぼこ形の個人墓が3つ。
盛り土型の墓が2つ。一番新しい、先祖代々が1つ。
私が記憶しているのは、この数だったような気がします。

そこから、祖父達が導き出した結果が墓誌(墓石の横に戒名と俗名、没年月日と没年齢が書かれている板石)として集団墓地に残されています。
要するに、彼等は調査結果を紙で残したのではなく、墓石として先祖調べの結果を残したと言う事のようでした。

その墓誌と戸籍を照らし合わせると、盛り土の2墓が
6世の祖 夫婦になるようです。
墓石も無いので、ここを寺で調べたのでしょう。
夫が安永、妻が天明の生まれのようです。

他にも、7世の祖の妻に当たる記載が有りますが・・・。
総本家にも同じ記載があることから、分家した事実を残したかった。
そのために、掘られた物だという事が容易く想像出来ました。

ですから、7世代前で総本家に繋がるのでしょう。
このおばあさまが、宝暦生まれ。

しかし、年齢を計算していくと。
我が家で一番有名な、確実に先祖と言える方が”もう一世代上”の計算になります。ですから8世代前から、判明していると言えるのでしょう。
総本家は、2つの名前を交互に近い形で襲名しています。

ですからに憶測ですが。
8世の祖は亨保頃の生まれになりそうです。

この8世代前のオジイサマが、宮大工で某寺の五重塔の建立に携わっていた。という事までは、総本家に残された古文書から事実だと定義付けできる様です。
五重塔のあるお寺様の情報には名前は有りませんでしたが。
大きな普請で有った為、近くの村々から手伝いの宮大工を入れているというのは間違い無く事実である。とのご回答を得ています。

更に、ここから150年ほど遡って。
祖父達は、言い伝えであった落ち武者伝説にたどり着く事を目標としていました。当時であっても、たどり着くことはできなかった物。

それを、2代目先祖調べ人、そして3代目の私に託されたわけですが。
昭和10年代に、ガチガチの親戚に囲まれて探せなかったものを将来に託すというのは非常に酷なことではあるのです。

ただ、1つだけ私の手柄だと声を大にして言いたいことがあります。
祖父達が、戸籍を見ていない為に起こった誤認です。
お寺様の筆書きの達筆な文字で書かれた過去帳を、正確に読み解くだけの読解力が備わっていなかったのでしょう。墓誌の情報にかなり誤記が見受けられます。戸籍が正しいと思われます。

戸籍で見ると「卅」の記述を墓誌では「廿」に。
ひらがなの「む」に近い「者」の崩し文字を「む」と読んでいること。
※下記参照

者という文字の変体仮名

ですから、私の高祖母は「はつ」さんですが、墓碑には「むつ」さんになっています。しかも明治31年没が、21年没に。
筆字が読めてないな・・・というのは事実なのです。

同様に、7世祖の妻も「むつ」さんと書かれているのですが。
この方も「はつ」さん疑惑浮上です。こればかりは、その後に寺が火事に遭い。過去帳が燃えてしまった事もあり確認しようが無い事実となりました。

しかも、総本家と我が家の「はつ」さんの没日が微妙に違う。
これも、多分・・・総本家の記述が正しく。
過去帳から引っ張り出した時、誤認していると考えて間違い無いでしょう。

本家の記述が1月5日没。
我が家の記述が1月25日

くずし文字で、繋げてクネクネっとやると引っ張った線が「ニ」に見えた可能性もゼロでは無いと思って居ます。

色々な先人が残した情報が、先祖調べをしていると掘り出される事が多々有ります。その場合でも、まずは精査してみること。
疑って掛かる必要があるのだろうなと・・・。
最近は思っているところです。