誰もが不可能と思った、知的障がい者の雇用と経営を両立‼️

病気がちの父に代わり、家業に入り経営を担う
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ある日、養護学校の先生が訪ねて来る
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「生徒を就職させてほしいのですが…」
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知的障がいがあるとはいえ、読み書きが不得意なだけ
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思い悩んだが、今はとても雇えるような余裕がない…
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「すいません…お断りさせてください…」
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1週間後、再び同じ先生が訪ねて来る
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「すべての企業さまに断られました…」
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「なんとかあの子たちに働く喜びを味わせてあげたいんです」
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「自立させてあげたいんです!」
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先生の熱意と生徒への同情心から、
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限定的に受け入れることに
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「2週間だけ…体験実習ならいいですよ…」
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初日は商品へのラベル貼り
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しかし、出来上がったものは貼り方がバラバラ、すべて廃棄
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社員には「あの子たちには無理、どうせ2週間だけだし…」という雰囲気が流れる
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翌日、社員が出社すると、すでに生徒の姿が
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全社員よりも早く出社して会社の前で待機
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昼休憩は弁当を食べ終わると、休憩中にもかかわらず、すぐに作業場へ
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無駄口一つせず、黙々と作業を始める
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ラベル貼りも徐々に上達
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社員からの理解と信頼が生まれる
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やがて2週間が経過し迎えた最終日
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全社員から驚きの言葉が
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「あの子たちをこのまま働かせてください!あんなに頑張る子なんてほかにいないです!私たちがサポートするので雇ってあげてください!」
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社員たちの熱い気持ちに心動かされ、正社員として採用することを決める
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その後、会社の業績も右肩上がりに上昇
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2人だった知的障がい者の雇用はいつしか10人にまで拡大
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しかし、うまくいっていた流れにほころびが生まれてくる
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数を数える…重さを計る…持ち場を離れる…
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知的障がい者の得意不得意はさまざま
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社員の負担は日に日に増加し、いつしか知的障がい者に対する不満が蔓延
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作業効率も下がり、生産量も激減、最悪の状況に
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このままでは会社の経営が悪化してしまう…
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知的障がい者の雇用はやめた方がいいのだろうか…
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しかし、ひとつわからないことがある…
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何度も失敗し、何度も怒られ、体調が悪くても出社してくる…
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彼女らはなぜそんなに責任感が強いんだろうか…
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その疑問を解くべく、知り合いの僧侶に相談
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「なんで…あの子たちは…辛い思いをしてまで働き続けるのでしょうか…」
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『それは当たり前のことです』
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『人間には究極の幸せが4つあります。愛されること、褒められること、役に立つこと、必要とされること。愛されること以外の3つは働くことを通じて得られる幸せなんです』
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『真の幸せは働くこと、だから会社こそ、彼女たちを幸せにできるんです』
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ハッとした…
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うちは本当に小さな会社だ…
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それでも、社員たちに働く幸せを提供することはできる…
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知的障がい者の雇用と経営の両立、周りは不可能というかもしれないけど、チャレンジしてみようじゃないか!
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知的障がい者の雇用を積極的に進め、
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今までにない会社を作ることを決意する!
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翌日から行動するも、周りの社員からは大反発
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それでも粘り強く説得
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自ら作業方法や工程、道具を改良し続ける
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目盛りの読めない障がい者には、色付きの重りを使うことを発案
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数を数えられない障がい者には、あらかじめ溝のついたプレートを発案
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太さが図れない障がい者には、太さの分かる専用の道具を発案
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そんな姿に社員も奮起
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知的障がい者に寄り添い、できることが増える工夫を施し
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垣根を越えて全社員がやりがいを感じ生き生きと働く会社へ
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現在、全従業員93人中67人が知的障がい者
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誰もが不可能と思った、知的障がい者の雇用と経営を両立させ
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日本トップクラスのチョークメーカーにまで会社を成長させた!!!
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なお、1960年に入社した第一期の知的障がい者の社員は、60歳の定年を迎えた後も嘱託社員として働き、50余年間、無遅刻無欠勤で勤めあげた

「知的障がい者だからできないんじゃなく、仕事の与え方が本人に合ってないからできない、人を工程に合わせるのではなく、工程を人に合わせればいい」そう話すのが、

日本理化学工業株式会社
元代表取締役会長 大山 泰弘さん!

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