(日記2/14) 努力量が作品の評価にまで影響するという推測の続き。

先日のnoteがだいぶ伸びた。いろんな方々に見て頂いて、新しい視点が増えたとか、面白いと言って頂いて凄く嬉しかったです!


この中で推測を1つ深掘りしたいと思ったので、この日記で展開してみます。


もしかすると、人は他人の努力量までを評価している

という推測が、色々な作品や、展示を見ていて思ったことです。思うと、努力を評価するのは当たり前なんですよね。でもそれが個人だけでなく、作品の評価まで影響してるのではないかと思ったんです。

学校の授業で「どうでもいいものでも収集しまくれば価値になる」っていうのを教えてもらったんです。

みんな知ってるもので例えると、「貯金」という概念自体がそもそも数枚じゃ価値がないけれど、大量に貯めたことで価値になってる例だと思います。

これなんで人が評価してるのか考えると、「よく集めたね!」と言えるだけだと思うんです。つまり、コレクションになれば人は評価すると思うんです。


これって1つだけなら凄くないので、「よく集めたこと」が評価されてるんですよ。で、なんでよく集めたことを評価するのか考えると、もう答えが出なくて。そこで絞り出した答えは「人は努力量まで評価している」だったんです。

でも、他に推測があります。大量のものに人が圧倒されてる姿これまでよく見かけたことがあります。それは「大量」って概念を評価するんじゃないかと。

例えばたらこのcmとか。大量によるインパクトが凄い。

あと、ピカチュウが大量発生したイベントとか。見てる人が凄い注目してるし、笑ってる。インパクトとその意外性が人を笑わせてるんだろうなと思います。


「作品量」と「努力量」を両方評価してると考えると疑問で、努力してても評価されない例なんてこの世にはいっぱいあると思います。売れない路上ライブしてる人って路上でライブしてる時点で、ハートも強いし、努力してる。でも全く見向きもされてない人だってよく見かけます。

もしかすると、人は他人の努力量までを評価している

すると、この推測は「努力量を評価してる」のは間違いで、「作品量」をただ評価しているだけだと自分は思いました。だから正しく訂正すると、

人は作品の量を評価する

となります。全く価値ないものでも量あれば評価してしまう。ただ、それだとティッシュって紙が大量にあるけど?普通だけど?ってなると思うんです。なので、

人は作品の量が予想を超えた時、それを評価する

とおもわれます。あくまで推測ですが...。

これを実際作品で検証するところまでやりたいので、また見ててください。

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