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自分のためか、人のためか。

※ 映画『天気の子』の重要なネタバレを含みます。見たくない人は気を付けてね。

どうもこんにちは!  やまかずです。
「自分のために生きるのか、人のために生きるのか。」この二つの方針のどちらに重きをおくかは人によって大きく違い、それは普段の行動に現れます。持っている方針はどちらでも間違いではないと僕は思うし、才能だと思うのですが、状況によっては大間違いになってしまうことがあります。今日は、この大きな問いの運用方法について考察したいと思います。


天気の子の選択は正しかったのか。

みなさん、映画『天気の子』見ましたでしょうか。

『天気の子』の最後に大きな問いを新海さんは残しました。それは、「自分のために生きるのか、人のために生きるのか。それは気づかれないならいいのか。」という問いです。『天気の子』の最後では、穂高は「自分のために生きること」を選択します。そして、雨によって大都市が沈ず代わりに、陽菜を地上に戻しました。そして、その様子がさも大正解であるかのように今作では描写されます。
では、過去のアニメ映画を振り返ってみましょう。映画『サマーウォーズ』では全く逆のことが発生します。侘助は「自分のために生きること」を選択し、侘助は作ったハッキングAIによって莫大な利益を得て、それによって世界中は大混乱になります。この状況におばあちゃん(陣内 栄)は大きな怒りを覚え、侘助に刀を向け、「侘助、今ここで死ね」といいます。そしてその後、その反省という形で、その世界中の大混乱を止めようと陣内家は立ち上がります。

世の中的にはこちらの方が正しいと思われていると思います。なぜなら、仮面ライダー・アニメ・映画・ドラマの大多数は、主人公が「人のために生きること」を選択しているからです。自分が犠牲になって、車に轢かれそうな女の子を助けるとかよく見る気がするんですよ。
では本当にそれは正しいのでしょうか?


因果応報

サービスを作るにおいて、「顧客第一」という考え方があります。
AmazonのCEO ジェフ・ベゾスは、Amazonの商品ページの評価を実装する際、社内では「否定的なものは表示しないようにしよう。」という意見があったんです。そこで彼はそれを否定し、「顧客のためを考えると、全て平等に見せた方がいい」というような事を言い、全ての評価を見せる方針にしたという話を聞いたことがあります。

胡散臭い情報商材や広告は、良いことばかり書かれていてすごく胡散臭いです。人を騙して儲けようという汚い気持ちを無くし、人のために生きることで、他人に愛されるサービスが作れるわけです。まさにカルマ(因果応報)ですね。

「人のためにサービスを作る」事をする事で信頼する人が徐々に増えていき、結果莫大な利益を手にすることができると思います。世界中の人々を幸せにすると、結果的に自分も幸せになれるんです。なので、本当に自分のために生きたいと思うなら、他人のために生きないといけないと知りました。僕はこうしたいと思います。


おわりです。読んでくれてありがとうございます。

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