見出し画像

無茶をせず、無理をしない。悩みを抱えた時に思い出したい言葉がある。


わからないことをたくさん抱えている時って、すごくモヤモヤする。

もう考えることをやめて投げ出したくなるけれど、気がつくとどうにかして答えを突き止めようとまた考え込んでいる自分もいる。

結果的に答えが見つかれば、そんな日々も「あの時期があってよかった。」と言えるようになるのかもしれない。

でも、それまでの道のりは出口の見えないトンネルをひたすら歩いているような感覚で、寂しさや不安が波のように押し寄せては消えていく。

先を歩く人の背中を見つけると、自分への無力感や劣等感を感じずにはいられない。その背中がたくましくあるほど、嫉妬さえも覚える。


そんな時、無茶をしたりムリをしたりすると、自分を見失ってしまう。

そうならないように、言い聞かせる3つの言葉があります。

『手がない時は端歩をつけ。』

『偶然や直感を味方につける。』

『憧れや理想を深追いしない。』


          * * *


手がない時は端歩をつけ。

(photo by https://grapee.jp/226412

僕の心の中には、いつもこの言葉があります。

初めてこの言葉を知ったきっかけは、前人未到の永世七冠を達成された羽生名人。彼の書かれた本の中で、将棋界の格言として紹介されていました。


“ 手がない時は端歩をつけ。”とは、明確な次の一手が思い浮かばないときには「端歩(はしふ)」を使うといい、という意味です。

他の駒たちに比べると、たった1マスしか動けない非力な「歩」の駒。その中でもまた端っこにある駒が「端歩」と呼ばれます。一見すると、この駒1つの影響力、存在感は極めて小さい。この端歩の一手だけで形勢が大きく揺らぐことはないかもしれない。

でも、迷ってなかなか次の決断が下せない時はその端歩を突いて様子を見るといいとされる。

つまり、形勢を優位にできる手が思いつかない時は、むやみにリスクを負わない。決してマイナスにはならない手を使いながら、じっと耐えてチャンスを待つんです。


じゃあ、例えば。
こんな迷いとはどう向き合えばいいのか。

「今していることがやりたいことではないけれど、今いる場所を飛び出したからといって次にやりたいことがあるわけではないんだよなあ。」

それでも、新しい視座を手に入れるために思い切って飛び出すか。それとも、現状のまま新たなタイミングを待つか。迷うところ。


そんな時は・・・

ゆるくも、大人な蛭子さんのお言葉。

向こう見ずな思い切りの良さが評価されるのをよく見るけれど、勇気を持って踏みとどまり、したたかに準備をして待つこともまた同じくらい大切。


迷いや悩みを抱えている時も、きっとそう。ただ真正面から考えつづけるだけではなく、その問いに答えを出せるだけの自分の経験や周りの環境が整うまで待ってみるというのも1つの向き合い方だと思います。



偶然や直感を味方につける。

迷ったり悩んだりした時は論理的に原因や解決策を探るのもいいけれど、まったく別の方法でアプローチすることもできる。

その方法とは、偶然 直感 です。


以前、考え事をいろいろと抱えていた時期があった時のこと。

1人で部屋にこもって考えてみても答えが出ず、もう投げ出してしまいたくなっていた。そんな中、息抜きをしようと友人と買い物へ出かけると、ふと目にした雑誌や広告、なにげない友人との会話から思いもよらないヒントが見えてきたことがあった。後日、その偶然ひらめいたヒントから悩みは少しずつ解消し始めた。

ここでヒントを得た雑誌や広告、友人の話は、僕だったら手に取らないようなものや考えもしないようなものばかり。もしあの時部屋を出ようとしなかったら、友人と会話をしなかったら、こうして書いている今もまだあの答えを出せずにいたかもしれない。

こうした幸運な発見は「セレンディピティ」と呼ばれ、ヨーロッパでは同じような意味を表すことわざも使われています。


▼ セレンディピティ

“ セレンディピティ(serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。”(出典 : wikipedia 『セレンディピティ』)


▼『見つめる鍋は煮えない。』

“「早く煮えろ」と思い詰めた気持ちで鍋を見つめていると、なかなか煮えてくれません。鍋のことをいったん忘れてほかのことをしていると、もう煮えたのか、と感じます。”“「ひとつのことを集中して考えていてもなかなかまとまらないが、いったん考えることをやめて放っておくと、ある時ひらめいて考えがまとまる」という意味で使っています。”(出典 : GROW Magazine 『「見つめる鍋は煮えない」ヨーロッパのことわざ』)


こうしてみると、いくら考えても答えが見つからない迷いや悩みを解消するためには、自力で考える時間の量や質の他に、こうしたひらめきや直感も必要なんだろう。

そして、その幸運は悩める僕らに見つけて欲しくて、今もどこかで待っているかもしれない。


だから、考え込んでみても答えが出ないような迷いや悩みを抱えている時こそ、辺りの季節の移り変わりを感じられるくらい、顔を上げて、肩の力を抜いていたほうがいいと思う。



憧れや理想を深追いしない。

迷いや悩みは、「もっとこうなりたい。」「もっとこうしたい。」という理想と現実の間に生まれるものが多いと思います。

だから、もし悩みが尽きないのであれば、自分が思い描いている理想自体を見つめ直す必要があるのかもしれない。

“ 世の中には、「自分にもできそうだから羨ましい」ことと、「できないからこそ羨ましい」ことの2つがある。”“ 何かを「やりたい」「羨ましい」と思うとき、この2つの願望のどちらをもっているのかを見極めないと、自分が苦しみ続けるだけなのではないかと思う。”(出典 : 自分にできないからこそ、うらやましいこと。|最所あさみ|note)


悩みが多かった頃の僕は、この2つの願望を混同してしまっていた。惹きつけられた人の生き方や考え方を全部ミックスして、完璧な理想を作り上げようとしてた気がする。

いま思えば、そこに僕自身の価値観や感情は無かったなあ。あったとすれば、偽物や借り物の価値観。

でも、あの頃はそれが正義だと信じてた。目一杯の憧れや理想を夢の中に詰め込んで、ただひたすらに追い続けてた。

そんな僕の想いとは裏腹に、その偽物の理想と現実との間の溝はどんどん深くなっていく。どこにいても、何をしてても、嫉妬や焦りにかられ続ける。やがて、簡単には取り戻せないほどに自分を見失ってしまいました。

こんな言葉をかけられるほどに。

この時ほど暗く、苦しく、怖かった時期は他にありません。

なんとかしてここから這い上がろうとした僕は、いろんな人に問いかけてもらいました。「ホントはどうしたいの?」「あなたはどう思ってるの?」って。長い時間をかけて向き合っているうちに、自分が手にしていた価値観は見栄や劣等感で作られた偽物だったと気づきました。


今と比べたら、あの思い悩んでいた頃のほうが友達は多かったし、お金も持ってた。美味しいものも食べてたし、ちゃんと自分の部屋もあった。

それでも、今の自分のほうが好きだし、あんな苦しい想いはもう二度と味わいたくない。


自分以外の誰かにジェラシーを感じた時は、一度立ち止まってこう問いかけてみてほしい。

『そこに見栄や世間体、劣等感で作られた偽物の感情がないか。』



最後に

迷いや悩みと直面した時、自分を見失わないように言い聞かせる3つの言葉について書きました。

『手がない時は端歩をつけ。』ただ真正面から考えつづけるだけではなく、その問いに答えを出せるだけの自分の経験や周りの環境が整うまで準備をして待つ。
『偶然や直感を味方につける。』想像の範囲外に思いもよらないヒントが転がっていることがある。自力で考える時間の量や質も大切だけど、肩の力を抜いて偶然のひらめきや直感も味方につけることも大切。
『憧れや理想を深追いしない。』見栄や劣等感で作られた偽物の感情や価値観で世界を見ていると、自分自身とはかけ離れた憧れや理想が出来上がってしまう。これを追い続けている限り、迷いや悩みは無限に作られ続ける。


人生において迷いや悩みと向き合うことは、とっても大切だと思う。その数だけ新たな学びや感情を手に入れ、僕らは成長する。

でも、それらと向き合うことは簡単ではなく、プレッシャーや劣等感、嫉妬などの感情に押しつぶされそうになることがある。

そんな苦しい時は、あえて真正面から向き合わなくていいし1人で解決しようとしなくていいと思う。

不器用なままでいいし、臆病なままでいいと思う。


迷ったときこそ無茶をせず、悩んだときこそムリをしない。


おわり。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます!


▼ 過去の関連記事はこちら。

『ただ待っているだけでは、幸運はやってこない。苦難の多いリヤカー生活で身につけた “運” との付き合い方。』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?