サークル棟に神さまが棲んでいる。P.032(連載小説)


四月下旬~五月上旬――サークル合同交流行事において (九)


 鏡桜会長には「運の生き物」は見えていないわけですから、彼の目には、私と淀八森八回生が、デスクに向かって椅子を振りかぶっている様だけが映ったはずです。
 ただの破壊工作前です。
 お叱りを受け、中央自治会室から追い出されただけで済んだのが奇跡のようです。
 ただし、学生たちの同時多発的変質的行動が、淀八森八回生の指示によるものだという事実があっさり露呈したこともあって、私たちへの監視は一層厳しいものとなりました。中央自治会だけではありません。教務の方たちまでもが目を光らせるようになってしまいました。まあ、当然の結果です。国家権力が動員されなくて良かったです。
 陽が沈み、夜になりました。
「お腹が空きました」
「うむ。僕もだ」
 私と淀八森八回生は、悠々の部室にあった、インスタントラーメンを手に取りました。私はUFOを。八回生はチキンラーメンを。
 お湯を入れ、サークル棟前の階段に座り、三分待ちます。
 閉じた蓋が、湯気でぺろんと捲れ上がるのを押さえて、私は溜息を吐きました。淀八森八回生もつられたのか、溜息を一つ。真似するなよと怒る気にもなりません。
 ひもじいです。
 昼間は学食で回数券を使えば、暖かな食事が食べられます。しかし、午後六時半で学食は閉まってしまうのです。今日は慌しくて、気付いたらCLOSEしていました。少し足を伸ばせば、サービス券を用いてファミリーレストランなどで晩ご飯を食せるのですが、それは、面倒くさいです。お腹が空きました。先週までのように、深代座長に料理をご馳走になることもできません。なんと自宅までもが、中央自治会の人間によって監視されているのです。昨晩、座長から「捕まってしまいました」と悲しいメールが届きました。私は警察に電話したのですが、「学生はいいね」などと、相手にされませんでした。私は消費税くらいしか払ったことありませんけど、税金を返せと思いました。
 私は再び、溜息を吐きました。
 三分が経過しました。
 湯切りをして、麺にソースを絡めます。良い香りがします。でも、結局、これってインスタントなんだよねと思うと、胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになります。
 私と淀八森八回生は、いただきますと手を合わせ、生協で貰った割り箸を割りました。
 ソース焼きそばを口に入れて、私は目を見開きました。
「……あれ?」
 美味しい。それに、とても温かい。
 気付くと、私は洟を啜りながら、一気に焼きそばを平らげていました。
 ずずずっと音がして、横を見ると、淀八森八回生がスープを飲み干していました。
 私たちは苦笑し合います。
 私は、口元に着いたソースを拭いながら、ぽつりと言いました。
「貢ぎ物がなくても、何とか、生きていけそうですね」
 淀八森八回生は吐息しました。それは溜息ではなくて、ホッと白いものでした。
「ああ、そうかもしれない……」
 私たちは食後の満足感に浸りながら、曇ってますけど、夜空をぼんやりと見上げました。
 そうして。
 私と淀八森八回生は、新たな人生へ向けて、確かなスタートを切ったのでした。
 そんなベタな文章を脳裏に思い浮かべて、私は、自分自身に驚きました。
「わ、私は、何を考えて……」
「いけないっ」
 淀八森八回生も私と同じように、声を上げ、狼狽した様子です。
 もう少しで、一時的な感情のせいで、大切なものを見失ってしまうところでした。
 淀八森八回生は「いけない」と繰り返し、語気を強くして言います。
「皆から貢がれて来た、かけがえのない日々を忘れては駄目なんだ」
「私は、あの過ごし易い日常を、失いたくはありません」
 何でしょう。
 何かが間違っているような気がして仕方がないのですが。はて。分かりません。
 まあ、挫けそうになったけど、耐えて、決意を新たにしたことは疑いようがありません。
「新苗さん、次の手を考えようか」
「そうですね。今度は私が指図しますから、淀八森先輩は黙ってて下さい」
「いいだろう。あ、ごめん、よくない」
 私たちは階段から腰を上げました。
 それとほぼ同時に、叫び声が聞こえてきました。
「貢がせてぇ!」
 サークル棟から生協へと続く、灯りで照らされた道で、丹羽鳥代表が、中央自治会の学生二人と揉み合っていました。女性が代表と取っ組み合いをし、男性が後ろからリュックを引っ張っています。もう何度目の挑戦か分かりません。正面切って向かってくる姿勢は相変わらずですが、だいぶ、抵抗力が身についた様子です。
「実は後ろから引っ張ってること、もう分かってるんだからっ」
 もがく代表と、取り押さえる二人は、ほとんど膠着状態となりました。
 私と淀八森八回生は、空の容器を手に、固唾を呑みます。
「やはり、僕らは挫けてはいけなかったのだ」
「あんなに頑張ってるのに……。ちょっとは融通を利かせてもいいんじゃないですか!」
 私は声を上げ、半ば無意識に足を踏み出していました。
 何処からともなく、生真面目そうな男性が、私たちと丹羽鳥代表の間に現れました。
「動くな」
 諸悪の根源、中央自治会会長、鏡桜です。鋭い眼光を私に向けます。
「止まらなければ、中央自治会室での一件を教務部に報告するぞ」
「うっ……」
 それは困ります。私は踏み止まるしかありませんでした。
「全部、淀八森先輩のせいだっ」
「面目が見当たらないな……」
 会長は私たちから顔を背け、丹羽鳥代表へと視線を移して、大きく息を吸い込みました。
「丹羽鳥さん」心なしか感情の込められた声音です。
「何ですか、鏡桜くん」代表はむっすりとしています。
 どうも二人は知人同士のようです。いえ、顔を見知っているというだけではなさそう。友人同士なのかもしれません。
「貢ぐのなんて諦めて、いつものように、書道に専念するんだ」
「わたしが誰に貢ごうが、そんなの、わたしの勝手でしょう」
 丹羽鳥代表は、親が聞いたら心配しそうな言葉を言い放ちました。
「冷静になるんだ」
「うるさいなぁ!」
 丹羽鳥代表がより激しくもがきました。
 ビリッと不吉な音がしました。
 リュックを掴んでいた学生が「あっ」と、後方へ体勢を崩しました。かと思うと、リュックの中身が、まさに堰を切ったかのように溢れ出てしまいました。
 数百個もの、白くて丸い物体が、ぼろぼろと丹羽鳥代表の周りに散乱します。
 それはお餅でした。
 ぱんぱんだったリュックが、すかすかになるまで、誰も言葉を発せませんでした。
 最後のお餅が、ころんと地面に落ちました。
 丹羽鳥代表は、まばらに白くなった地面の中央に立ち尽くしています。
 沈黙から、最初に口を開いたのは、鏡桜会長でした。
「あ、あの、丹羽鳥さん」
 本人のものとは思えないような、弱々しくて、自信の欠片も感じられない声です。
 その呼びかけはいとも容易く、掻き消されました。
「淀八森さん、新苗さん!」
「あ、はい?」
「な、何だい?」
 一瞬遅れて反応した私たちに、丹羽鳥代表はとても健気に言いました。
「新しいの用意しますから、安心して下さい!」
 そして、破れたリュックを背負い直し、走り去って行ったのです。
 零れ落ちた沢山のお餅はそのままに。多分、その場に留まって拾い集められる程、余裕がなかったのでしょう。堪えられなくて、駆けて行ったのでしょう。
 彼女の小さな後姿を。
 鏡桜会長は、今にも泣き出しそうな、切なげな目でじっと、見送っていました。
 その瞳はまるで。
 なんて思っていると、淀八森八回生が呟きました。
「なるほど」
 やがて丹羽鳥代表の姿が闇に埋もれて見えなくなると、鏡桜会長は、私と淀八森八回生を振り返り、きつく睨みつけてきました。
「もう、サークルの盛衰を左右する神さまなんて、止めてくれ。学生が変になってしまう」
 迂闊にも、私の鏡桜会長を見る目は、この時点で変わっていました。
 学生、ではなく、一人の女性を想っての言葉でしょう。
 ですが、それを直接指摘するような権利を、新参者の私が持っているわけがありません。それに、そもそも、言及する必要性も感じられませんでした。
 淀八森八回生は別でした。
「鏡桜会長」
「何だ」
「君、丹羽鳥代表のことが好きなのだろう」
「えっ」
 言われた鏡桜会長は、さっと顔面を蒼白にし、次いで紅潮させました。
「図星だねぇ」
「や、違っ、ああっ!」
 会長はぐるりと目を回した後、部下の学生に「お餅は片付けておいてくれよ」と指示を出してから、脱兎の如く逃げ出してしまいました。
 私は淀八森八回生に尋ねました。
「どうして訊いたりしたんですか」
「確認したかったのだよ」
「あんなの、誰がどう見ても、丹羽鳥代表が好きだって分かるでしょうに」
「いやいや、僕が確かめたかったのは、そこではないよ」
「はい?」
「つまり、鏡桜会長は」
 首を傾げる私に、淀八森八回生は満面の笑みを見せ付けてきました。
「丹羽鳥代表から崇められる僕を僻んで、徹底的な取り締まりを行っていたのだよ」
「…………」
 私は馬耳東風を発動しました。

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