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高橋源一郎の飛ぶ教室 (2024.3.22放送)ホームレス女性「小山さんノート」、市井の文章の魅力を語る。

今週の「高橋源一郎の飛ぶ教室 」のコーナー「秘密の本棚」は、ホームレス女性がノートに書き綴った文章「小山さんノート」について、内容の一部紹介と、高橋さんの感想、世に出ない文章について思うこと等が語られた。

小山さんはホームレスで、DVも受け、過酷な生活を送る中、喫茶店でノートを書き綴り、また、自分のノートを読み返す。晩年は幻覚なのか幻想なのかを書いている(様子だ)。
高橋さんは、小山さんが‘’極限の中、(何て言ったか聞き逃したか忘れたが、たぶんその極限を生きている自分を?)言葉にして生きていた‘’と、ノートの文章から感じ取ったようだ。
市井の人の文章であるからこその表現がある事、その魅力というか、感じられるものがあるような事を語られていた。

私は、「小山さんノート」を読んでみたい気もするが、今はやめといた方が良いかも、と思った。番組で紹介された部分だけでも、何だか身につまされるような気持ちになったので。精神的にきつすぎるかも、と。
また、なぜ小山さんが、そこまで(過酷で極限)になるまで、その過酷な生活から抜け出す支援がなされなかったのか?とかが気になったり、本人の死後、書籍化したのなら、本人が誰かに読んでもらいたかったであろうと思われるとしても、他人の過酷な人生を公開して、誰かが利益を得ている現実に、やるせない気持ちになりそう。
だからといって、目を背けてなかったことにすれば良いわけではなくて、書き起こした有志の皆さんは営利目的ではなかったでしょう。
ただ、現実としてそういう構図になっていることにやるせなさを感じてしまうということだ。

高橋さんは、世に出ない文章について、ヘンリー・ダーガーの書いた小説を例に出した。彼が亡くなってからか、亡くなる直前かに発見された小説があって、それは15,000ページもある長編だったそうだ。誰に見せるでもなく、その長編小説は書かれていたのだ。この例のように、自分で書いて、自分が読むための小説が存在する。
高橋さんは、それは「孤独な自分を慰めるための小説」なのだと言う。

それを聞いて、私は腑に落ちたような気がした。
自分がPCに保存しているだけの小説や散文、noteに投稿するまで眠らせたままだった絵やイラスト、投稿することもなく片付けて処分してしまった創作物についても「そういうことか」と。
自分で書いて自分で読むだけ、自分で描いて自分で観るだけのもの。なんのために書いている(描いている)のか?と思いながらも、創作をやめられなかった。それは孤独な自分を慰めるために書かれている(描かれている)ものだったのか。

番組HPはこちら

追書: 
先週の飛ぶ教室は面白かった。男性の失敗談に、「こういう所があるんだよねぇ、男は。」みたいな事を、笑い話っぽく話していたと思う。例えばこんな話、と説明できない。具体的な内容を覚えていないのだ。
ラジオって、そういうことが多い。なんか面白かったということは覚えているのに、何だったかは覚えていない。寝ている時の夢みたいだ。怖い夢とか嫌な夢を見たんだけど、内容は覚えていない時みたいな。

※投稿内容は、ラジオを聞いての情報で、私の聞き逃しや、聞き違い、記憶違いが含まれている可能性があります。🙇
「小山さんノート」「ヘンリー・ダーガー」について知りたい方は、正確な情報を発信している所で確認してください。🙏

<© 2024 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>
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