語り尽くされた言葉、”本当の自分”とは?

本当の自分!

誰もが本当の自分てなんなんだろう?って、ずっとさがしてる。
大部分の人は、一生探せないまま。
私もその一人です。

そんで、少なくともこの人生。
それを問い続けている。

これで決定!ではないけど
今のとこ、これ以上の答えには、まだ出会ってないので
今のとこのベター解をここにシェアするね。

アチンチャとも関連する。

例えば、自分は他人をコントロールできない。
それどころか、自分で自分のイメージをコントロールしようとしていることにも気づかない。

そんな話を、今日の朝のシュリーマド・ヴァーガヴァタムの法話でみんなで話あってて。https://www.youtube.com/@iskconjapan7779

そこで、私はね。

自分に気づいた。

私は、そこでもう一歩深く(自分では深いと思っているが、実は浅いのかもしれない)自分に入り込んでみた。

私の場合は、わざと自分のイメージを狂わせようとすることによって、自分と周りをコントロールしてることに気づいた。
自分のイメージが固定化されることを恐れている、という形の天邪鬼であるな、と。(これはユング心理学の元型で言うところの、トリックスターのことかなと思うけど)

これと、関連して考えてて。

ある一つの考え方として、無意識の中に潜む自分こそが本当の自分であり、
まだ、自分では気づけていないだけなのだ、と、考えることもできる。

でもそれは意識化されていないからこそ、思いがけない時に突然現れたりする。その時は、ちょっと焦ったりする。

無意識の中って、大きな海の中みたい。
自分では、見えないものがウヨウヨたくさんこと浮かんでいる。
それらが時々出てきて、悪さしたり、人を傷つけたり助けたりして、
その結果、自分を責めたり嬉しがったりしてる。

でもそれが本当の自分?
特に何回も出てくるやつ?
心理学的に分析したくなるけど、、笑笑。
となると、これは個人的無意識で、
本当の自分じゃなくてむしろ、意識化されていない偽の自分。

本当の自分の真逆かい!!!


だからね、そうじゃないよね!
無意識の中にある本当の自分。
そんなの、いくら探しても無数に出てくるし。
これ一つに決めるのも、もったいない話だし。

と思った、その時直感的に閃いたのであった。
無意識って大きな海の中みたいだ、って。

自分が自分に、与えてる自己イメージは、本当に無数にある色んな質のバラエティの中にあるもの。
みんなの中に、同じように同じ種類ある!!

そして、無意識=大きな海の中は繋がっている。

でも出てくるタイミングと時間と、シチュエーションが異なる。だからこの無数のイメージのどれが本当の自分か?
など探すのは時間の無駄なんじゃないか。
いくらでもあって、いくらでも出てきて、どれもこれも本当って言えば本当だし。本当じゃないっていえば本当じゃないし。

本当の自分って、その大きな海の中に漂っているから。
私はmこの大きな海の一部分、切ってもきれない、繋がってる構成部品。
だからこの海に属している。
でもこの大きな海がないと存在できない。
大きな海=集合的無意識=全体=神様=クリシュナのこと

そう、クリシュナ(私の存在を生かし続けている、全ての命ある者を魅了する人、と言う意味の神の名前)がいないと、息さえできない。
だから本当の私は、クリシュナに仕える者!
これだけで良い。

ちょっと、ほっとした。
息できる。

、、、、私は無意識の世界が好きである。
なんか安心する。

それはクリシュナと、繋がってると思うと、先は見えないんだけど

なんか安心して泳いでいられるから。

その時現れる景色=質は、色々バラエティがあってオッケー!
無意識の海の中に本当の自分を探す必要はない。
無意識の海の住人として、この全体に奉仕することが嬉しい私、
それこそが本当の自分であったのだ!

だからみんな同時に同じで異なるつまり
アチンチャベーダアヴェーダタットヴァな存在なのだ。

同じって意味は、みんなクリシュナに仕える者!ていう意味で同じです。

違うって意味は、その都度いろんな人生の場面が与えられて、いろんなカルマでいろんな質が現れてしまう!
てこと!

だから色んなバラエティを使って、クリシュナ(全体)に仕えられます。


え?本当の自分って召使なの〜ってきいて気落ちした人、なんだ宗教的な話なんじゃん!と思った人。 ごめん!そんな話なのよ。

でもまだまだ、このことを問い続けていくよ〜






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