情報リテラシー論 其ノ弐

001(浪白 大夢の場合)

 このレポートを書くこととなったのは、十月の十二日、土曜日のことである。この日は全国的に台風の日だった。台風が好きな人でも嫌いな人でも、台風の対策をしている人でもしていない人でも、日本国民ならば誰もが平等に享受することになる、台風の日。いや、場所によっては台風の影響はほとんど無かったり、すでに通り過ぎた後だったかもしれないが、とにかく、十月十二日というこの日は、各地で河川が氾濫を起こし、高速道路は通行止め、避難所が人で溢れ、地球史上最規模の台風とやらが日本を直撃した日だった。

 そんな日。

 そんな日の、午前九時。

 しかし、と、思った。

 いくら台風の日だからといっても、それでも、あまりに寂しい窓からの眺めだった。誰も外を出歩いていないのだ。今日は天下の土曜日だというのに、である。

 休日の昼間から人の気配はなく、ただ雨が容赦なく降り続けていた・・・ん。いや、一人、いた。窓の外、広場を挟んで反対側、公園の隅っこの方、鉄製の看板、案内図ーーーこの辺りの住宅地図を眺めている、小学生が一人。背中を向けているのでどんな子かはわからない。大きなリュックサックを背負っているのが印象的だった。こんな雨の中で傘もささずに風邪を引いてしまうんじゃないかと心配したが、しかし、その小学生は、その案内図にしばらく向き合った後、何かを思いついたように、公園から去っていった。そして俺だけになった。

 また一人か。

 そんなことを思った。

 ーーー兄ちゃんは。

 そこでふとーーー妹の言葉が思い出された。

 実家を離れる当日、俺の背中に、無造作に投げかけられた言葉。

 ーーー兄ちゃんは、そんなことだからーーー

 ああ。

 畜生、と俺は、地面を一直線に見つめるような、頭を抱える姿勢をとることになった。

 暗い気分が、あたかも波打ち際のように押し寄せてくる。今更のように、自分の卑小さが嫌になる。自己嫌悪とは、こういう感情を言うのだろうーーー普段僕は、あまりそういうことで悩むタイプではないのだが、むしろ悩みなんて言葉にはほとんど縁がない僕なのだが、ごくたまに、そう、十月十二日のような、そういう日には、なぜだろう、台風、イベントのような・・・そうだ。イベントじみた日には、なぜか大抵、そういうコンディションになってしまう。特別な状況、特殊な設定。そういうものに、僕は酷く脆い。落ち着きを失ってしまう。浮き足だってしまうのだ。

 ああ、平日最高。

 台風よ早く過ぎ去ってくれ。

002

 しかし、台風の方はどうなっているんだろうか。

 もしかしたらさっき公園にいた女の子も避難所に向かう途中だったのかもしれない。

 なんて考えながらネットで検索してみるといろんな情報が出てきた。こういう時に大切なのはキュレーションである。情報を取捨選択する意味のこの言葉だが、たくさんの情報から必要なものだけを選択する技術は今やなくてはならないものだ。ウェブサイトのようにメニューで選択肢を与えるなら多くて7個が限界である。これは日常生活にも言えることだ。

 今、世界は情報で溢れかえっている。情報の有る限り検索は尽きないが、情報の探し方は変化する。自分の脳を信じて、自分の脳に記憶を刻み、自分に脳に問いかけることが重要なのだ。

 考える。

 妹に謝る方法を。