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メディアの話、その36。地図というメディア。

ジュンク堂書店に面白い地図が売っていた。

「荒川流域の高低差まるわかりMAP」

荒川の流域の地形がA1のポスターサイズでどーんと示されている。

地図をつくったのは、埼玉県立川の博物館。

こちらは埼玉県の寄居町にあって、荒川流域の上流部にある。

荒川の巨大な流域ジオラマがあるのだ。

なぜ、知っているかというと、前に『タモリ倶楽部」で特集したからである。もともと『タモリ倶楽部』は、スタジオを持たぬ「流浪の番組」で、つまり番組自体が「散歩」し続けているようなものである。

そんなタモリさんの散歩欲を引き寄せた川の博物館のつくった地図。

この地図の製作プロセスについては、川の博物館の杉内由佳さんがすごく丁寧に解説くださっている。ぜひ読んでいただき、そしてこの地図を手に入れてほしい。

http://www.river-museum.jp/archives/kiyou/No16/kawahaku-kiyouNo16_P29-32.pdf

今回は、これでおしまい。

……と自らのノルマを果たしたことにしたいが、まだ「メディアについての(こじつけ)話」までたどり着いてないので、もう少し書きます。

実はこの地図を持っていても皆さんは散歩できない。というのも、
この荒川MAPには、みなさんが普段利用している情報がまったく載っていない。それは、交通網と行政区分である。

現代の地図に欠かせない情報。それは、行政区分と交通網である。

言い換えると、住所と道路と鉄道網が描いてあること。それがないと、地図として役に立たない。

自分がどこに住んでいるかを人に説明できないし、宅急便のお兄さんに荷物を送ってもらうこともできないし、あらゆる申込書を書き込めない。

行政区分にもとずいた住所は、私たち一人ひとりにとって存在証明である。

住所を持たないひとは、文字通り「ホームレス」というレッテルを貼られる。社会的に「いないひと」になってしまう。私たちの存在は「住所」によって証明されるというわけだ。

そして、道路と鉄道という交通網がない地図は、まったく役に立たない。

なぜならば、私たちは道路と鉄道を使ってのみ移動が可能だからである。

ドローンがタケコプター化して、道路と鉄道を無視した移動ができるようになる日が来るかもしれないけれど、とりあえず今のところ、私たちは道路と鉄道によって「生かされている」わけだ。物流と移動を道路と鉄道に頼り続ける限り、道路と鉄道は私たちにとって、文字通り「生命線」である。

(ちなみにゼンリンなどは、ドローンが安全に飛行するための空中地図情報を提供していくらしい)

住所と道路と鉄道網。

これが、私たちの存在証明であり、生命線である。

現代の地図は、人間の存在証明と人間の生命線をまさに「マッピング」している。つまり、現代の地図とは、私たち現代人がこの世界でどう生きているかを、いちばん具体的に提示している「メディア」なのである。

実際に地図を持とうが持ってなかろうが、私たちは現代の地図という「メディア」上で暮らしている。住所の確定した住まいに暮らし、朝は道路を歩いて駅まで行って電車に乗り、途中で地下鉄に乗り換えて、下車して、また道路を歩き、住所の確定した職場へと向かう。フリーの人間だって、別に空を飛ぶわけじゃない。スタバにだって、ファミレスにだって住所はあるし、だいたいスタバは駅の前、ファミレスは幹線道路沿いにある。だれもが、現代の地図という「メディア」のなかで、つねに「マッピング」されながら暮らしているわけだ。

グーグルマップは、地図上にマッピングされた私たち、という現状をよりリアルに認識させててくれる。まず、自分がどこにいるかを正確にポイント表示してくれ、任意の住所を打ち込むと、そこまでの道路での最短距離を瞬時に教えてくれる。

私たちはもはや地図を読む必要すらない。

現実の景色を見ることなしに、スマホに表示されたグーグルマップの上を歩くと、なんと所定の場所についてしまう。私たちがいかに、住所と道路と鉄道網という、人間自身がつくりあげた人工空間のなかでのみ生きているか、というのを、グールグマップは証明してしまうわけである。

が、しかし、私たちは、本当に住所と道路と鉄道網のうえだけで暮らしているのだろうか。

否。

住所と道路と鉄道網でできた現代地図は、「現代社会」という名のアプリケーションソフトである。当然のことながら、このソフトが乗っかっているオペレーションシステムが存在する。

それは「地形」である。

「荒川流域の高低差まるわかりMAP」には、住所も、道路も、鉄道網も載っていない。つまり、「現代社会」に生きる私たちの存在証明も、生命線も示されていない。

代わりに載っているのは「地形」である。

もっと具体的にいうと、「流域」という地形である。

私の師匠の岸由二氏が繰り返し書いているように、世界の地形の大半は河川流域で区分できる。なぜならば、世界のほぼすべての頭上からは雨が降り、その雨が地表を流れてつくった河川の侵食・運搬・堆積機能によって、地形は形成されるからだ。(むろん、さらにその下のレイヤーとしては、プレートの移動、火山、地震などの地球規模の活動によって地形のベースそのものが形成され、変形し続けている)

が、私たちは普段、自分たちがどの住所に住まい、どの道路を移動し、どの鉄道を利用しているか、については熟知していても、自分たちがどの流域に暮らし、自分が暮らしている場所がその流域のどんな地形にあるのか、ということについては、まったく感知していなかったりする。

「荒川流域の高低差まるわかりMAP」の掲載エリアに住んでいるひとがこの地図をみても、もしかすると自分が住んでいる場所すら正確に示せないかもしれない。

なぜならば、現代の私たちは、流域に暮らしているのではなく、住所と道路と鉄道のうえに暮らしているからだ。

でも、時代を600年ほど遡ってみると、こうなる。

こちらは鉢形城。

「荒川沿い」のお城である。「荒川流域マップ」をつくった「川の博物館」がある埼玉県寄居町にある、荒川沿いのお城である。

この城をつくったのは、長尾景春。室町時代の関東の武家勢力図を揺さぶった武将で、「下克上」を起こした最初のひとりである。

景春は、荒川河川敷を見下ろす見晴らしのよい崖上に築城し、かつての主人である上杉家と戦った。実際に対峙するのはかの太田道灌。

太田道灌は、最終的に景春の軍勢を打ち破り、この城を上杉家のものとする。が、その道灌のあまりの切れ者ぶりに恐れをなした上杉家は、道灌を暗殺し、皮肉にも景春は生き残り、北条早雲と並び、戦国時代の幕開けの火蓋を切って落とす。

で、この図に注目してほしい。描いているのは、まさに流域の地形である。

川が削った崖地形。扇状地。田んぼ。砂州。流域の分水嶺となる左側の山々。

中世の武将にとって、この流域地形の図こそは生命線であった。この流域のどこに築城するか。どこに脱出ルートをつくるか。どこに敵をおびき寄せ、殲滅するか。河川をどう物流に利用し、一方で敵の行く手を遮る壁とするか。エリアの田んぼをどうやっておさえ、米を収穫し、兵糧とするか。

現代の私たちが、住所と道路と鉄道のうえで暮らしているように、中世のひとびとは、流域地図のうえで暮らしていたのである。

その流域地図は、住所と道路と鉄道だけが描かれた現代地図の下の古層に隠れてしまった。

では、流域地図はもうバージョンの古いソフトウェアとしてデリートしてしまえばいいのか。

否。

流域の地形は、アプリケーションソフトではない。あくまでOSである。

私たちがいやがおうでも自然と対峙しないといけない瞬間、流域地図があなたの命を左右する。豪雨による増水、氾濫、洪水。台風による高潮、地震による津波。流域は、水がつくった地形である。ならば、水が起こす自然災害はすべて流域のかたちに沿って起きる。必ず沿って起きる。

一方で、そのエリアの自然を再生するときも、流域地図がなければ最適な再生は叶わない。なぜならば、自然は現代地図より遥か昔から存在するからだ。自然がのっかるのは、現代地図というできたてのアプリケーションソフトのうえではない。流域地図というOSに乗っかっている。

荒川流域に住む人はぜひこの「荒川流域の高低差まるわかりMAP」を手に入れてほしい。埼玉県民のほぼすべて。埼玉と千葉と東京の県境のひとすべて。そして、東京の右半分のひとすべては、荒川流域の住民である。さらにいえば豊洲あたりも、荒川の河口であるからして、やはり流域の住民である。そして、自分の現代地図的な意味での住所をみつけて、そこから自分が所属する流域を俯瞰してほしい。

現代地図という「メディア」のうえだけではなく、「流域地図」というOSのうえに暮らしている。その実感をまずは持つ。すると、どんな都会を歩いていても、現代地図的な風景の下に隠れた、流域の古層、ビルの下におしつぶされた自然が立ち上がってくる。

そんな流域の古層と自然とが幻視できるようになれば、あなたはパスポートを手にしたことになる。そのパスポートを手にしたあなたは、ひとの間に暮らす「人間」から「生きもの」になるのである。

続きます。

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