メディアの話、その54。心の闇。

今日、レギュラーでコメンテイターを務めている「abema prime」に、松本麗華さんが出演した。

松本麗華さん? 誰? そう思われる方がいらっしゃるかもしれない。

でも、アーチャリー、と書けば、ピンとくるだろう。そう、オウム真理教の松本智津夫死刑囚の三女である。

1995年3月20日のあの事件当時、彼女は11歳。ちなみに松本智津夫被告は40歳。案外若かったのだ。

https://news-prime.abema.tv

オウム真理教による地下鉄サリンテロが発生した瞬間、私自身は、平河町のオフィスについたばかりだった。いつもより早い出社。おそらく何か用事があったのだろうけれど、思い出せない。私が利用している永田町駅と、事件のあった霞ヶ関は目と鼻の先。テロが起きたすぐあとに、永田町界隈までが騒然として、サイレンが鳴り響いていた記憶がある。

が、私自身とオウム真理教のテロ事件との接点はそれだけだ。記者としても編集者としても、かかわったことはない。森達也さんの映画は見たし、村上春樹さんのルポルタージュも読んだ。江川紹子さんの丹念な取材も拝読した。オウム真理教事件については、多くの人々が、文字通り生命をかけて追いかけ、メディアに載せた。

私自身は、ごく一般の視聴者や読者と同じ、ただの傍観者にすぎなかった。

そんな私が、松本麗華さんに、ひとつ聞きたいことがあった。

彼女が2015年に出した書籍『止まった時計』。番組で同席する前に読んでおいた。同書には、父親としての松本智津夫被告の事件以前からの幼少期から捕まるまでの10年以上の思い出が描かれている。そこで描かれた、彼女にとっての、松本被告は、そしてあのテロを起こした信者たちは、「やさしいお父さん」であり、「いい人」たちだった。彼女はいまでも、父のことを大好きだと明言する。

「やさしいお父さん」、「やさしい信者」たちが、大量殺人を犯した。

松本被告自身は逮捕後、しばらくして精神鑑定を必要とするようになり、彼自身の訴訟能力を疑問視する声も出ている。が、それは逮捕されてからの話だ。坂本弁護士一家殺害事件は1989年に起きており、松本被告が、麻原彰晃としてテレビ番組に出まくる2年以上も前のことである。宗教団体としてのオウム真理教の信者たちが起こした事件であることは明白であり、その宗教の開祖として、麻原彰晃こと松本智津夫被告に、一連の殺人と犯罪について責任があることは論を待たない。

一方、松本麗華さんの言葉によれば、教団が殺人を犯していたその時期も「やさしいお父さん」「やさしい信者」であった。

私は聞いた。

「いま思い返してみて、そんな凶悪なことに手を染めるような兆候や、雰囲気は、お父さんや信者のどこかにあったりしませんでしたか?」

松本麗華さんは、しばらく黙ったあと、答えた。

「いいえ。そんな兆候はありませんでした。ほんとにやさしいひとたちだったんです」

松本麗華さんは、続けた。

「殺人事件をニュースでみた人は、ふつう殺人犯のことを、悪魔のような『人間じゃない』存在と思ってしまいます。自分たちと違う、悪魔のような。私だって、ニュースにとりあげられた殺人犯について、そう感じるかもしれない。でも、ほんとうは違うと思うんです。殺人を犯したひとも、別のところではもしかするとやさしいひとの側面があったりして。悪魔じゃなくて、人間なんです」

殺人を犯した者は、人間じゃない。悪魔だったり、鬼だったり。つまり、自分たちと違う、恐ろしい、別の生き物。

実際は違う。殺人を犯した者は、どこまでいっても人間である。では心の闇が起こしたのか? 心の闇などない。心の闇、というのは、思考を停止した意味のない表現だ。

鬼や悪魔だ、というのと変わりはない。精神障害者が殺人を犯すこともあるが、精神障害も人間の病のひとつである。心の闇、などではない。

鬼でも悪魔でもない人間が、他の集団ではとてもやさしい人間が、排除したい別の集団に対しては、やすやすと無慈悲な殺人者となる。

松本智津夫被告の実の娘である松本麗華さんの言葉は、つまり、そういうことを意味している。

続きます。



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yanabo

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コメント3件

>鬼でも悪魔でもない人間が、他の集団ではとてもやさしい人間が、排除したい別の集団に対しては、やすやすと無慈悲な殺人者となる。
これは本当にそうですね。
僕は小室直樹という学者さんが大好きなのですが、小室さんはそもそも宗教とは恐ろしいものだと理解することが大切だ、とおっしゃっていました。そのことを理解するのに分かりやすいのは、旧約聖書のヨシュア記を読むことだと。そこには、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されているのですが、もう虐殺につぐ虐殺です。生まれたばかりの赤ん坊から年老いた老人まで全員を皆殺しにするお話が書いてあります。キリストの言う「隣人を愛せ」はキリスト教徒の隣人であり、キリスト教を信仰していない人間にはこのようなことができるのです。なので、アメリカ開拓時代の先住民への虐殺も、アフリカから奴隷を連れきて物のように扱うことも、「心の優しい人間」が出来るわけです。
イスラム過激派のテロも、外から見るとなんて恐ろしいんだ、と感じますが、イスラム教の中では論理が通っています。コーランの教えでは、「宿命論的予定説」という、因果律と予定説のいいとこどりをしたような論理構成をとっているので、敬虔なイスラム教徒(心の優しい人)こそ、テロを起こしてしまう論理になっています。「宿命論的予定説」は、人生で起こること全てはアッラーの意志ではあるのですが、自分が死ぬときに、良いことをした総量と悪いことをした総量が測られて、地獄に行くか天国に行くかが決まるという、少し因果律の要素も入った説です。そしてコーランではジハード(聖戦)を肯定しています。これでは、敬虔なイスラム教徒ほど、テロ(聖戦)を起こして、イスラム教の救いを受けたいと思ってしまいます。
とはいえ、そのテロで彼らが達成したい目的がどれだけ達成されるのかと言う視点が欠けているので、彼らはもっと上の人に宗教の教えをもって利用されているのでしょうが。。。

小室さんの著書を読んで、世界は宗教で動いているな、それなのに日本は宗教を学ぶ機会が少なすぎるな、と感じています。
二面性、あるいは多面性は自分自身にもある、と肯定する。だからこそ人間で、その意味ではこの女性の言葉は間違っていない。そんな人間存在に、何らかの心理的圧力が加わったときに人はその怖ろしい一面を増幅させるのでしょうか。そして、その圧力の最たるものが、団体、例えばこの事件ではオウム真理教であった。
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