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メディアの話その5。トットとドリフとひょうきんと。

ここ数年、黒柳徹子さんの半生がドラマになっている。

そのひとつが、1年ちょっと前、満島ひかりさんが黒柳徹子さんを演じたNHKの「トットテレビ」。黒柳さんご自身も、狂言回しで登場する。

黒柳さん=トットちゃんは、テレビ局としてスタートしたばかりのNHK初の専属女優だった。たしかそんな立ち位置だった。いまでは考えられないけれど、国営放送に専属女優がいたわけである。

私自身が最初に黒柳さんを認識したのは、ご本人ではなく、声だった。

黒柳さんがNHK専属となったおそらく10年ほどあと、1960年代半ばに放映された英国の人形SFサンダーバード。ピンクの6輪ロールスロイスを、元強盗のパーカーに運転させ、華麗に諜報員を務めるお嬢様、ペネロープの声として。

記憶に残っているはじめてのカラーテレビ放送は、サンダーバード。ということは、私が一番最初に認識したタレントは黒柳さんだった、ということになる。

いまにして思えば、60年代のドラマというのは、テレビ放送が本格的に始まってまだ10年ちょっとしかたってない頃に作られていたわけである。

そんな時代に、サンダーバードは、いま見てもまったく色褪せない。そして、たとえば、ほぼ同時期におそらくはサンダーバードの影響も受けながら作られた、ウルトラマンやウルトラセブンも、現代の子供たちがお父さんと一緒にDVDで鑑賞し、当たり前のようにファンになっている。

つまり、コンテンツとしてのクオリティに関していうと、テレビ黎明期からわずか10年後の番組が、すでにテレビというメディアにとって「完成品のコンテンツ」となっていた、ということになる。

なぜか。

黒柳さんの話にもどる。

トットテレビで面白かったのは、女優黒柳さんが、当時、生のテレビドラマに出演していたシーンである。相手役はなんと若き日の渥美清。中村獅童さんが演じていた。

ドラマを生でやっちゃって、そのまま放送する。

なんておっかないことをするんだ。

と、一瞬思ったりもするけれど、いやいや、当時もいまも、常に生でしかやっていないドラマは、毎日そこらで流れている。

そう、

舞台です。

歌舞伎だろうが、新劇だろうが、子供向け人形劇だろうが、舞台は物理的に常に「生」である。

ここで、わざとらしくマーシャル・マクルーハンの話を差し込むわけですね。新しいメディアのコンテンツは、前のメディアそのものである、とマクルーハンは言った。

初期のテレビが、まさにその典型だったわけです。

電気的メディアであるところのテレビを見て、60年代初期のマクルーハンは、つくづく思ったのだろう。なんだ、前のメディアが流れているじゃないの、と。

つまり、テレビのコンテンツは、前のメディアである「舞台」だったり、「映画」だったりするわけですね。

トットちゃんの生ドラマ。それは、人類最古のメディアのひとつである「舞台」をそのままスタジオに持ってきて、舞台同様役者に演じさせ、それをそのまま生放送に流して、お茶の間(この頃はほんとにお茶の間にテレビがあった)のテレビに届けたもの。

サンダーバードにウルトラマン。ウルトラマンはいうまでもなく、東宝でゴジラを始め特撮怪獣物をすでにいくつも手がけ、世界的にも有名になっていた円谷英二が監修し、特撮班とドラマ班とが並行して番組を制作する、まさに映画をテレビに持ち込んだもの。

前からあるメディアで成熟したコンテンツをテレビという新しい器に流し込む。すると、スタートして10年余りで、ちゃんとメディアとして成立する。

ハードウェアとしてのテレビは20世紀初頭に生まれ、前回書いたように、1920年代に高柳健次郎博士によって、放送技術の基礎ができた。

そこで流れたコンテンツは、カタカナの

「イ」

1920年代といえば、舞台だのオーケストラだの、「ずっと前のメディア」のコンテンツはとっくに成熟しており、「ひとつ前のメディア」の映画も20世紀初頭に無声映画として登場したのち、チャップリンなどが今でも見られる作品を作り、音声の入った映画が公開され始めていた頃だったはず。

そんな時代に生まれたテレビが最初に放送した、はじめてのコンテンツは、しつこいようだが、

「イ」

舞台や映画で、「イ」だけ出しておしまい、だったら、まあ怒られますよね。いや、案外前衛芸術として、うっかり褒めちゃう人がいるかもしれないが。

実際は「イ」だけで埋めるわけにはいかない。テレビ放送が始まったら、埋めてくれたのは、「前のメディア」であるところの、「舞台=生のドラマ」だったり、「映画(を安くつくったもの)」だったりしたわけである。時には「映画」そのもの、「舞台」そのものをそのまま放送コンテンツとして流したりするわけである。「前のメディア」がコンテンツにならなければ、新しいメディアには、流すものがない。「イ」ぐらいしかない。

ドリフの話。

「8時だよ!全員集合」もまた、生でお笑いをやっていた。

テレビ局のスタジオから飛び出して、地方の公民館なんかでやっていた。一回くらい見たかった。土曜日の午後8時ぴったりに「えんやっとっと」とはじまって、8時45分(だったっけ?)に、「また来週!」で終わる。見ているこっちはアホな小学生だから、翌週の月曜日に、学校の先生の机のうえで「ちょっとだけよ❤️」なんてやって、先生に出席簿の角でぶたれていたりしたわけだが、地方に行って、さまざまなタレントを毎回ブッキングして、公民館に凝ったセットをつくって、最初のコントでセットをバーンと出して、コントが終わったら、ちゃちゃちゃちゃっちゃちゃちゃちゃ、とセットがぐるりと回って、歌手が登場。次は聖歌隊の舞台になって・・・、というのを45分間で次々と繰り出す。すべて、生である。見る側でよかった。つくっている側だったら、どのポジションであろうと長生きできそうにない。

あの「8時だよ!全員集合」は、テレビが「前のメディア」であるところの生の舞台、生のお笑いをそのままコンテンツとして届けていた、わりと最後の番組だったのかな、と思う。

「8時だよ!全員集合」が「ひょうきん族」に追い落とされる瞬間をリアルタイムで覚えている。私はすでに高校生で、「8時だよ!」の練りこまれた、それであるがゆえに予測のつくお笑いの「型」が決まっているものに対して、アドリブと楽屋落ちとさらに大人向けのきわどい、いや一線を越えたギャグを繰り出す「ひょうきん族」が、新しいおもしろいかっこいい、と見えてしまった。私のように感じた連中がたくさんいたからだろう、王朝の明け渡しはあっけなかった。

「ひょうきん族」は、生ではない。収録番組だ。アドリブや楽屋落ちも、だからハプニングでもなんでもなく、演出の一種だ。つまり、テレビが成熟したメディアになって、そのメディアの箱にとんとんと実は綺麗に納められたのが、アドリブや楽屋落ちまでをも編集しちゃう「ひょうきん族」のようなコンテンツ=番組だった。

その意味でいうと、最後まで「前のメディア」の「生」っぽさ、黎明期のテレビの空気をそのまま21世紀まで持ち込んでいたのは、ゆるーく続いていた「笑っていいとも」であり、あらゆる人間を「生」で応対していたタモリさんだったのかもしれない。

その「笑っていいとも」も終わり、タモリさんが自由に全国を飛び回り、テレビの箱に綺麗に収まる「ブラタモリ」の人になったのが、インターネットという「次のメディア」が出てきてテレビそのものが「前のメディア」として、インターネットに載り始めたのとおなじタイミング、というのは、メディアの更新の常を示している、のかもしれない。

前のメディアをコンテンツとして飲み込むことで、新しいメディアはスタートする。まるで、マトリーショカのようである。舞台演劇を、映画が飲み込み、映画をテレビが飲み込み、テレビをラジオをすべての前のメディアをインターネットが飲み込む。

よく、インターネット独自のコンテンツにはまだまだ面白いものはない、面白いものは結局、テレビや映画や雑誌や新聞や書籍のコンンツじゃないか、なんて話があるが、これはメディアというものの性格として正しいわけである。デジタル技術を利用しているインターネットは、あらゆる前のメディアをデジタルコンテンツにして飲み込めちゃうわけだから、瞬時に成熟したコンテンツを配信できる。

というわけで、ますますネタ切れの様相ですが、まだ続けます、ふう。




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