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国道16号線の話。その2。柏と、大学。

「ここが、終点なんですか?」

私は彼女に尋ねた。

「そう。ここが、終点なの」

トングでチョココロネをつかみ、ビニール袋に入れながら、彼女は答えた。

「寂しいところでしょ」

アリス。

国道16号線の終点に待ち受けていた煉瓦の壁にステンドガラスを埋め込んだパン屋さんの看板には、不思議の国の少女の名が記されていた。


国道16号線の話は、実際に走ってみないと始まらない。

というわけで、走ってみることにした。

この日は、普段あまり足を運ぶことのない「千葉県の16号線」を走破することにした。

柏から、終点の富津岬まで。

距離にして120キロ弱。国道16号線の総延長は350キロ弱だから、3分の1強になる。今回はこのルートを走ってみる。

早朝6時30分、相棒のAM氏が某駅に到着する。

私の車に乗り込み、首都高速を経由して柏を目指す。

気温は4度。春になろうというのに氷雨が降る朝。

首都高速は、板橋ジャンクションから荒川土手を抜け、常磐道に入り、柏インターで降りる。

あっというまに国道16号線に合流。ちょうと7時。

柏インターを降りて、最初に目につくのは柏の葉キャンパス。

常磐線のつくばエクスプレスができたと同時に開発された。

一度入ったことがある。2013年の正月。そのときは橋本から国道16号線を福生、川越、野田を抜けてぐるりと回り、最後、この柏の葉キャンパスで一服した。小綺麗なショッピングモール。三井系だから、ららぽーとか。マンション、オフィス、各種研究所。そして東京大学に千葉大学のキャンパス。朝7時にいきなり寄るところじゃない。そのまま右目で眺めつつ、先を進む。

この柏の葉キャンパスだが、実はきわめて16号線的な要素を秘めている。もともとここは「米軍の施設」=「柏通信所」だったのだ。

戦前、柏には日本陸軍の柏飛行場があった。建設は1938年。まさに、いま柏の葉キャンパスがある真っ平らな土地は、軍の飛行場だったのである。

1945年、日本が戦争に負けると、全て軍施設は米軍に接収された。この柏飛行場も例外ではない。横須賀や横田、座間の軍施設は(もちろん、いずれも国道16号線沿いである)、そのまま米軍の基地に転用されたが、ここ柏飛行場は、いったん米陸軍が接収したのち、戦後の食糧事情改善のため、日本に返還、農地に転用された。ところが、1950年。朝鮮戦争が勃発する。日本の戦争設備は、米軍によって朝鮮戦争の前線基地となった。この柏も例外じゃない。すでに飛行場はなくなっていたが、農地になった膨大な土地がある。ここは、米軍の通信所として、再スタートを切ることになったのだ。

その後数十年を経て、柏通信所は1979年、全面返還される。

そしてバブル期を経てなんと20年以上経ってから、柏の葉キャンパスの開発が進み、2005年にはつくばエクスプレスが開通して、30分ちょっとで秋葉原と電車でつながるようになり、2003年以降、東京大学と千葉大学が様々な施設を移転し、今の「街」になった。

影の立役者は三井グループである。もともと明治初期に、柏のこの地を開墾したのは三井財閥で、柏通信基地の横には三井が作った名門ゴルフ場が戦後長らくあった。そのゴルフ場も含めて全て再開発したのが、三井不動産。だから、駅前に「ららぽーと」があるわけだ。

そういえば、三井は国道16号線の西側、八王子近辺にも縁がある。幕末から明治初期、絹景気で沸いた時、三井は八王子近辺に投資をしている。

日本軍。米軍。大学。ショッピングモール。郊外住宅。都心と地方を結ぶ鉄道の駅。柏の葉は、これから触れて行く国道16号線の要素がほとんど詰まっている。

再び国道16号線に戻ろう。

このエリアの16号線は片道三車線。すでに平日の午前7時を過ぎ、ところどころで車の進みが悪くなる。目立つのはなんといっても大型トラック。国道16号線は、まずは物流道路なのである。実際、柏近辺でも倉庫やロジスティクスセンターが目立つ。常磐道のインターチェンジがあり、千葉の沿岸部と東京の中心と水戸方面と埼玉方面とがここで交わる。物流の要所となるのは自明の理である。

そしてトラックが多いこのエリアは、ともかくラーメン屋が多い。

ラーメン屋の出店数とトラックの交通量とは、相関関係がある。

ーーーたぶん。

柏インターから20分ほど走っていると、前方に「二松学舎」の文字が見えるバスが走っている。相棒のAM氏がすぐにスマホで調べる。

「近所に二松学舎大学のキャンパスがあるみたいですね。あ、その先が手賀沼だ」

16号線を大学の送迎バスが走る。とりあえずついていくことにした。

バスは途中で左手の路地に入り、ワインディングロードを器用にすり抜ける。大きな庄屋さんの家が見える。柏の手賀沼ちかくは、庄屋さんふうの歴史のありそうな家が16号線沿線でも目立った。屋敷林なども見える。このあたり、おそらくは古くから使われていた街道がそのまま国道になったものと思われる。国道16号線自体は、明治以降にできたもの。16号線を構成する各地域の古い街道を探し出し、現在の16号線のマップに重ねると、どんな絵が浮かんでくるだろうか。やってみよう。

バスは1キロほど山の中に入り、二松学舎大学のキャンパスに到着した。芥川賞作家の村田沙耶香さんの名前が書いた垂れ幕が目立つ。彼女は卒業生のようだ。もしかして、「コンビニ人間」は16号線沿線のコンビニの話か。二松学舎のキャンパスはどん詰まりにあり、我々はバスの駐車場でUターンを強いられた。警備員が不審そうな顔でこちらを眺める。はい、不審者です。

実は、国道16号線の沿線には「大学」が多い。

西側の町田・八王子に多いのはよく知られている。大学紛争のあと、東京の私立大学の多くが、いっせいに16号線沿線の西側へキャンパスを移した。中央大学、法政大学がその筆頭である。さらに都心の地価高騰もあり、大学のキャンパスは16号線近辺の西側に、というのが流行りとなった。青山学院大学、麻布大学、東京女学館大学(たしかもうない?)、大妻女子大学、桜美林大学、帝京大学、恵泉女子大学、実践女子大学・・・。多摩美術大学のようにもともと向こうにあった大学もある。東京造形大学もそうかな。武蔵野美術大学はやや内側か。いま、何も見ずに書いているので、こぼれや間違いがあるかもしれない。が、とにかくたくさんの大学が、16号線の西エリアに集結している。

それは知っていた。が、この日、柏インターを降りてから、私は千葉サイドの16号線の沿線もまた、大学の集結地帯であることを知った。

まず、冒頭で触れた柏の葉キャンパスの東京大学と、千葉大学。いま触れた、二松学舎大学。さらにその近くには東京基督教大学。東京電機大学の名前も見える。東京成徳大学。秀明大学。千葉経済大学。ちょっと先になるが、千葉大学の本キャンパスも遠くない。

国道16号線は、大学キャンパスがめったやたらとある。いったいいつから。どんな理由で。こちらもマップを作らねばならない。

そう、国道16号線を調べるということは、いくつもの地図を重ねていく、ということでもあるのだ。

そういえば、国道16号線の西エリアには米軍関係の施設がずらりとある。福生、座間、横浜、横須賀。じゃあ、東エリアは、というと自衛隊の施設がこれまたずらりと並んでいる。柏には陸上自衛隊の習志野駐屯地がある。おなじ習志野には演習場もある。それから下志津駐屯地がある。千葉市には地方協力本部がある。木更津には航空自衛隊の航空補給処と陸上自衛隊の駐屯地が並んでいて、その近くには自衛隊の募集を行う木更津募集事務所がある。そう、自衛隊の施設がずらりと16号線沿いに並んでいるわけだ。

こちらの軍事マップもつくるべし。地図だらけになりそうである。

大学と軍の話は、また改めて。

せっかくここまできたので、手賀沼に寄ってみることにする。
道の駅があるのでそちらに向かう。道中、手賀沼沿いの綺麗な舗装路沿いには、大きな病院と付属のリハビリテーション学校の建物が目立つ。

16号線のちかくは大きな病院が多い。それから、このあたりは「樹木葬」の宣伝をしている葬儀屋さんの看板も多い。ついでにいうと、ラブホテルのある。なぜか柏近辺は少なかったが。圧倒的に八王子近辺のほうが多い。千葉のほうが古来草食系だからか。ちがいますね。ともあれ、16号線はえろすとたなとす、である。

手賀沼は、思ったより大きい。そのはしっこに、道の駅はあった。

看板には「しょうなん」とある。

なぜ、千葉で「しょうなん」なのだ。

「「沼南」なんじゃないですか、手賀沼の脇だし」

AM氏が賢いことをいう。なるほど。

そして私たちは知るのであった。国道16号線は、かの「白樺派」も愛でていた事実を。なるほど、仲良きことは美しきこと哉。

続きます。



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