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メディアの話その16。少年ジャンプと260円とおそ松さんと240円とメディアの値段

今週、ひさしぶりに週刊少年ジャンプを買った。

冨樫義博さんの『HUNTER ×HUNTER』の連載が再開されたからである。

『HUNTER ×HUNTER』が少年ジャンプ誌上に登場したのは1998年6月4日発売号から。ほぼ20年前である。来年成人式の大学1年生は、連載開始時に生まれたわけだ。

『HUNTER ×HUNTER』は人類の宝である。かつて私が子供の頃読んだジュール・ベルヌの「海底二万マイル」や「15少年漂流記」のように、いつどこから読んでもすばらしい。読んでないひとはみんな読もう。

本題に戻る(一応、ある、本題が)。

朝一番、7時過ぎに近所のファミリーマートに私は向かい、しめしめと少年ジャンプを書棚から取り出し、なじみの店員さんに差し出した。

「はい、260円になります」

え。260円。

ひさしぶりに買ったので、少年ジャンプの値段を忘れていた。

21世紀も18年も過ぎたご時世に、『HUNTER ×HUNTER』が載っている少年ジャンプが、たった260円?

私的にはこんなに安いんだったら国民の3分の1くらいが買っちゃうはずである。ざっと4000万部は売れちゃうはずである。

少年ジャンプのこの号は462ページ。載っているのは『HUNTER×HUNTER』ばかりじゃない。『ONE PIECE』も『銀魂』も『僕らのヒーローアカデミア』も『ハイキュー‼︎』も『食戦のソーマ』も載っている。初老のおじさんにもわかる漫画がこれだけ載って、お値段260円。

数えたら連載陣は21人。

漫画雑誌の頂点『少年ジャンプ』で連載を持つというのは、漫画編集のひとじゃないからわからないけど、一漫画ファンの実感としては、バトル漫画後半の天空競技場に出てくるツワモノたちばかりである。

そのツワモノたちが毎日毎週死ぬ思いして振り絞って描いた漫画が21本載って、しつこいようだが260円。

お値打ちすぎる。

やはり国民の4分の1くらいは買うべきである。

260円で、ほかに何が買えるか。

特に、ネット上で何が買えるか。

漫画に関係するコンテンツで何が買えるか調べてみよう。

LINEスタンプ。

さまざまな漫画キャラが売っている。

私が生まれた頃に流行った漫画、赤塚不二夫さんの『おそ松くん」がアニメーションとして生まれ変わった『おそ松さん』。そのスタンプ、「しゃべるおそ松さん」というのがあった。

「おつかれさんっす」とおそ松さんが喋ってくれる。

いくら?

240円。1つのスタンプが、240円。シェーっ!(おそ松くんに敬意を表して)

少年ジャンプより20円安いだけである。

高いっ! LINEスタンプ高すぎだ!

2円くらいでいいじゃないかっ!

と思うひとがちょびっといるかもしれない。こうやって比較すると。

でも、実際にそんな比較をしながら

スタンプを購入するかどうかを決めるひとはいない。

そういう比較をするひとは、そもそもスタンプという市場を知覚しない。

メディアコンテンツにかかわらず、ものの値段というのは、

ユクスキュルいうところの「環世界」的である。

つまり、その市場の商品やサービスに興味を持ち、さらにその価格帯を「知覚」し、その価格だったら買える!と「認識」し、実際に「購入」するにいたる者だけが認識できる世界。たとえ商品やサービスに興味を持ったとしても、その「価格帯」が知覚できないと、その市場はそのひとにとってないのと一緒、だったりする。

たとえば、お寿司で考えてみる。

予約のとれない超高級お寿司屋さんのお寿司は食べてみたい。けれど、価格帯が「3万5000円から5万円」と聞いた瞬間、その市場は「ないも同然」となったりする。この感覚は当人が「払えるかどうか」というので持てるかどうかもあるけれど、むしろその価格を知覚できるかどうかが、まず先、のような気がする。つまり、先に「超高級寿司」の存在を知覚するかどうか、があって、そのあとに「払えるかどうか」がくる。

だから、年収200万円でも知覚して「さいとう」に行くひとがいるかもしれないし、年収2億円でも「寿司は回転寿しでいいよ」というひともいるだろう。つまりこの2人は、寿司にかんして、別の「環世界」に生きている。

面白いことに、いろいろな商品の「環世界」の価格というのは、だいたいライバル同士が常に価格競争をする、というよりは、似たようなところに落ち着くケースが多い。

ある商品やあるサービスの市場ができる過程で、それぞれの市場における「中心価格帯」が自然選択的な競争を経て、形成されるからだろう。

とりわけメディアコンテンツは「価格競争」をしてこなかった。

さきほどの週刊少年ジャンプの260円というのもそうで、「少年」漫画はだいたい同じ価格である。

これが週刊モーニングになると350円(だったかな)になるわけで、顧客層が「少年」漫画より高く、かつ部数が相対的に少ない、というところからおそらくこの価格帯が形成され、ライバル誌も同じような値段で売っている。

その理由として、雑誌や書籍の場合、値引き販売のない再販価格制度のうえに載っているということがある。そもそもが「価格競争」がない市場なんだと。

ただ、「中心価格帯」がなんとなくある、というのは、再販価格制度で価格競争が起きにくい出版の世界以外にも当てはまる。

家電だろうが、ケータイ電話のプランだろうが、だいたいなんでも同じである。ぼったくり店を除くと、スナックはおひとりさま飲み放題歌い放題2時間で5000円前後。さきほど例にあげた予約のとれない超高級お鮨屋さんはおまかせでお酒を飲んで3万5000円から4万円といったところかな、やっぱりそれぞれの中心価格帯がある、ような気がする。

なぜそうなるのか。

ひとつは、それぞれの商売のコスト構造が「だいたいおんなじ」になるからだろうが、もうひとつは、お客さん(我々ですね)が、いちいち「何が適正価格か」を把握しきれないから、ではないか。

にわとりか卵かの議論になるけれど、私たちは自分が知覚できる商品の環世界的な中心価格をなんとなく把握している。

そうじゃないと、やってられない。

世の中に無数ある商品の、どれがお値打ちで、どれが割高か、チェックしていたらきりがないからである。

ひとは、商品市場ごとに「標準価格」を市場から教育される。あるいは洗脳される。すると、それぞれの市場の中での価格の差には敏感になるが、ほかの市場との価格差を気にしなくなる。誰しもがそんな習性を持っている。

ただし、インターネットの普及でメディアの市場均衡が崩れると、なんとなく住み分けをしていたコンテンツ市場の「環世界」が崩壊する。

インターネット上では、検索サービスと巨大データベースと広告ビジネスが組み合わさり「無料で無限の情報が手に入る」ことが可能になった。かつてならば、大学や国会の図書館に行き、場合によっては海外の研究機関に足を運び、膨大な資料の中から探し出さねばアクセスできなかったような資料を、キーワードを3つくらい入れるだけで、10センチと動くことなく無料で手に入れることができる。全部じゃないけど、かなりできる。

かつて有料だったさまざまなコンテンツが合法違法入り混じって、やはり無料で閲覧できる。

これが、インターネットがつくりあげた新しいコンテンツの「環世界」である。この「環世界」の住人になってしまうと、本屋さんや図書館に足を運ぶのがおっくうになる。コンテンツにお金を払うという習慣が消え去る。

過去15年ほどのあいだに、インターネット上で起きてきた、ネットシフトの正体は、メディア市場の環世界の変質、そしてインターネット上のメディアコンテンツの環世界が「無料で便利で、写真も、映像も、音楽も、テキストも、漫画もアクセスできちゃう」という「お手軽さ」でいったら最強の場になっちゃって、多くのひとが利用するようになった、ということにある。

ただ、インターネットが普及して20年近くたつと、「無料で便利」だけが売り物のメディアコンテンツの「環世界」だけじゃなく、むしろ本来の商品やメディアコンテンツの「環世界」がそうだったように、特定のトライブ=部族のための個別の市場を作り出す動きが出てくる。

というのも、インターネットは無料でたくさんのひとに利用してもらうのも得意だけど、一方で趣味や嗜好が共通の特定のひとたちのための「秘密クラブ」をつくるのも得意だったりするからだ。

実はさきほどとりあげたLINEスタンプがそうだ。

LINEスタンプの値段を見るとだいたい240円。この手のLINEスタンプの標準小売価格は240円に誰かが設定したわけである。すると、人々は「LINEスタンプを買う」モードに突入した瞬間、別のコンテンツ市場の値段と比較しなくなる。240円の小銭を手に握りしめ、その中で比較して、これは!と思うスタンプをダウンロードする。

でも、「おそ松さん」のスタンプを買うひとは、たぶん不特定多数ではない。特定の「おそ松さん」好きがまず最初に購入する。なんとなく買うのではなく「おそ松さん」好きが買う。そのひとがスタンプを使っているうちに「あ、かわいい」と「おそ松」さん好きじゃないひとに認知される。かくしてお客さんの層が広がる。

つまり、入り口は明確な「おそ松さん」好きがいてこその商品だ。LINEスタンプにかなりニッチなキャラクターがあるのも、それぞれのキャラの「環世界」を知覚できる人たちが一定数いるからである。

それに「おそ松さん」もぽっと出のキャラクターではない。

天下の赤塚不二夫先生が60年代に創り上げたキャラクター。50年、サバイバルしてきた知名度の高さ。しかも2年前、テレビ東京で、アニメで復活し、新しいお客さんをがっつりつかんだ。

LINEスタンプ240円で売れるのも、過去投入されたコストと知名度とがあったからこそ。

じゃあ、LINEスタンプがそんな著名キャラばかりかというとそうでもない。

なんというか、ハリウッドスターと町で見かけた女の子が並んでいる。

なぜそれが可能か。

インターネットコンテンツは在庫コストという概念がない。さらに増刷という概念もない。無限にコピーができるから、1個しか売れないコンテンツも、100万個売れるコンテンツも、置き場のコストはさして変わらない。だから、マスコンテンツとニッチコンテンツを同じ場所における、ロングテールビジネスが成り立ちやすい。

この文章を書いているnote自体が、そんな時代の漫画コンテンツのデリバリーの仕方をいち早く変えた。田中圭一さんのベストセラーでもある『ウツぬけ』はnoteでの有料連載がはじまりである。現在、noteには、さまざまな漫画家がさまざまな作品を掲載している。値段はもしかすると、21人の著名漫画家が毎週書いている260円の少年ジャンプより、高いかもしれない。

でも、ビジネスとして成り立つ漫画家さんはすでにいる。なぜならば、「少年ジャンプ」じゃなくその漫画家さんにアクセスしたい、その漫画家さんの「環世界」があって、その「環世界」を知覚できるファンの数が一定数を超えて存在すれば、もしかすると週刊連載するより実入りが多く、安定した作品執筆ができる可能性だってあるからだ。

インターネットは、このようにメディアコンテンツごとの「環世界」をつくることが容易になる。そしてこの「環世界」は、消費する側からすると、ひとつの「部族社会」的である。つまり、進化生物学者ロビン・ダンパーが訴えるダンパー数150人の村が、無数にできている、ともいえるわけだ。

最後に蛇足。

コンテンツをつくる側からすると、インターネット上で自らのコンテンツの「環世界」をつくって、お客さんを集める、という方法論は、今後ますます進んで多様化していくだろう。そんな「環世界」を複数集めた、バーチャルな雑誌、新聞、テレビ局的なものもできるかもしれない。

でも、一方で読者として、利用者としての立場にたってみると、いま一度過去の市場になろうとしている、オールドメディアのコンテンツが、これほど「お値打ち」になっている時代はない。なにせ、値段がほとんど上がっていないデフレ市場だからだ。

天才漫画家たちの作品が束になっている少年ジャンプが260円で買える。英国王立協会が「史上最高のサイエンス書」と認定したリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は3000円を払えばお釣りがくる。ハリウッドの名画が、ジョンフォードの名作西部劇が10本合わせて3000円くらいで売っている。

いま、最前線の作り手たち、インターネット上でさまざまなビジネスモデルをつくり、コンテンツを小分けにし、楽に消費できるサービスをつくっているアントレプレナーたち。

彼ら彼女らは、案外消費者の立場に戻ると、こうした「古いメディアの極上のコンテンツ」をせっせと摂取していたりする。

なぜならば、コンテンツそのものは古びないからだ。古いメディアをバカにするのはかまわない。でもその古いメディアに載っているエバーグリーンなコンテンツをうっかりバカにするのは、もったいないです。

続きます。


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