勝負と賭けるたましいと人類と

勝負
って言葉は、
訓読みにすると
「勝ち負け」だ。


勝ち負けが場が好きな人は、
何かを「賭ける」のが好きな人だ。


「賭ける」のは
己の命かもしれない、
プライドかもしれない、
そして命だの運命だのの象徴としての「お金」かもしれない。


そもそも
人類には、
なんだかわかんないけど
とにかく目の前の何かに「賭ける」性質があって
その性質のおかげで
結果として今日まで
生き延びてきた、ような気がする。


アフリカの平原から
何かを「賭けて」地球の反対側まで到達した。
死ぬほど寒いところや
高山病で倒れそうなところや
波にさらわれそうなところや
トラやヒョウにくわれそうなところや
とにかくあらゆるところに
そのつど何かを「賭けて」到達した、のだろう、おそらく。


もちろん
「賭けて」負けた奴が大半だ。
この「賭け」では、負けるというのはイコール死だ。


賭けずにとどまるか、賭けて賭けて前に進むか。


ともあれ
「賭けるたましい」が、
選択されて、生き残り、
そのたましいは、おそらく
いまの人類の中に潜んでいる。


地球をぐるっと一回りし、
もはや賭ける場所は、深海か宇宙くらいになっても、
DNAに物理的に刻み込まれたであろう
「賭けるたましい」は、たぶん消えない。


そして「賭けるたましい」の強い人間は、
大海に帆を張って船を出すように
難敵に挑む。


たとえば
起業家だったり
科学者だったり
芸術家だったり
冒険家だったり
革命家だったり
スポーツ選手だったり。


だからだろうか。
起業家や
スポーツ選手はたいがい
「賭けるたましい」がひとより強い、と思う。


とにかく
「賭ける」のが好きだ。
なんでもかんでも
「勝ち負け=勝負」にする。
まさに「本性」として。


彼らの「賭けるたましい」は
おそらく「最初からこころにあるもの」だ。


だから、彼らは起業家になり、スポーツ選手に「結果として」なった。

なぜ「結果として」かというと
おなじくらい「賭けるたましい」を持っていたのに
「勝ち負け」で「負けて」、
つまり「賭けごと」で負けて、
起業家にもスポーツ選手にもなれなかったひとが、
99%だからだ。


ただし
「賭けるたましい」
は、いまの「仕組み」を破壊する力を持っている。


だから、
安定した社会は
「賭けるたましい」を忌み嫌うようになる。


その社会自体は、
誰かの「賭けるたましい」でできたのにね。

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