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メディアの話、その49。3月11日について。

2011年3月11日は、日本中のひとたちが、自らがメディアとなっていることを自覚した瞬間でもあった。自分が情報の発信源となる。自分が情報の受信者となる。発信者としての自分の行動が、なにかを動かす。受信者としてのの行動が、なにかを動かす。

でも、いろいろな情報発信があった。そんななか、後にいたるまで、多くのひとを支えたのは、その場その場の「事実」を伝え、なるべく多くのひとに「知ってもらう」ことを目的とした情報発信だった。

あの日、私は東京のオフィスにいた。

東京は震度5弱で、直接大きな地震被害はなかった。でも、鉄道は止まり、主要幹線道路と高速道路は移動しようとする自動車が溢れ、電話はつながらなくなり、東京の物流と交通と電話回線は麻痺をした。地震に対する恐怖だけで、瞬時に東京は麻痺したのだ。

デビルマンの新作アニメーションがNetflixで配信されている。

「恐怖」にかられた人間が行う「正義」は、伝染病のように人々の心を支配し、理性を失わせ、悪魔的な行動を引き起こす。デビルマンで描かれた「恐怖」は、あらゆる戦争や革命で実際に人間が起こしてきた理性の喪失と悪魔的行動を想起させる。

2011年3月11日。東京で、直接震災被害にあっていないにもかかわらず、東京の住人は、「被災」した。自分たちの「恐怖心」によって、自ら「被災」した。その「恐怖」は消えるどころか、原子力発電事故により、変質し、拡大した。

私自身が「恐怖」した。

物理的に何の被災もしていない自分自身が言葉にならない「恐怖」を感じ、理性を失いかけた。

「恐怖」を克服するのは何か。まずは、結局「知る」ことしかない。「知る」と恐怖が消えるとは限らない。ただ、「知らず」に恐怖が消えることは、たぶんない。

そこで、「知ってもらう」情報発信が重要となる。

当時、東大大学院教授だった早野龍五さんが、放射線被害の状況をツイートしたのは、まさに、なるべく多くのひとに「知ってもらう」ことを目的としたからだ。イエスやノーを迫ることよりも、まず現状を、そして仕組みを、「知ってもらう」。それが、多くの恐怖を和らげ、理性を取り戻す助けとなる。

「恐怖」したら、「知ろう」。あのとき、早野さんのツイートに教わったことだ。

最後に。私があの日以来、変えたことが2つある。

1つは、靴をスポーツシューズに変えたこと。スーツでも合うスポーツシューズを履くようにしたこと。もう1つは、両手が自由になるリュックサックを使うようにしたこと。理由は、いうまでもない。

続きます。

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