メディアの話、その27。アルマーニと小学校とブランドマーケティングと。

ジョルジオ・アルマーニ、というのは、80年代後半にファッションに興味を持っていた人間にとって特別の存在である。

ときは、プラザ合意以降の円高輸入品ブーム。

当時、日本における舶来ブランドで人気を博していたのは、ラルフローレンやブルックスブラザーズなどのアメリカントラッドが中心で、グッチやサンローラン、ディオールといった、かつて隆盛を誇ったイタリアやフランスのブランドは元気がなく、「ババくさい」イメージがあった。

もっと人気があったのは、日本のデザイナーズ&キャラクターブランド。いわゆるDCブランド、である。

そこにイタリアから登場したのが、アルマーニだった。

私が最初にアルマーニを知ったのは、渋谷西武のA館とB館の地下通路である。この通路には、詩集や映画本がおいてある「ぱろうる」(だったかな)という小さな本屋さんがあったり、西武のバイヤーさんがおそらく海外からかき集めたであろう、まだ日本の正規輸入されていない海外のブランドを売っているコーナーがあった。

私がみつけたのはモスグリーンの洒落たMA-1風のフライトジャケット。アルマーニ。はじめてみるブランド名。セール対象で、ちょっと高かったけど、買いました。私が最初に買ったイタリアブランドである。大学4年生か、就職1年目か。80年代後半のこと、です。

同じ頃、ジョルジオアルマーニは、日本で正式に輸入され販売網を一気に広げつつあった。仕掛け人は、現在伊藤忠商事を率いる会長の岡藤正弘さん。伊藤忠が独占販売権を獲得し、西武百貨店などに店がオープンした。

時代はバブル景気に突入する。

そしてアルマーニはブームになった。

アルマーニの看板商品はスーツである。そのアルマーニのスーツは、それまでの「背広」とはまったく異なっていた。

アルマーニのスーツは、軽かった。

生地が軽い。ふわふわのシフォンのような生地を使っていた。

アルマーニのスーツは、色が違った。

それまでのスーツは濃紺かドブネズミ色が中心。アルマーニの色は、紺もグレーもちょっとくすんでちょっと明るくて、そうだなあ、和菓子のような色合い。

アルマーニのスーツには折り目がなかった。

アルマーニのスーツのパンツには、折り目がなく、ひらりひらりとスカートのように、パンツの裾がたなびく。

アルマーニの登場で、それまでのトラッドなスーツはとたんに古びたオヤジファッションに見えるようになった。

かくして、街にはアルマーニもどき(ほんものは高いからね)のスーツを着た若者があふれた。当時のトレンディドラマを見れば、サラリーマンの主人公たちが、明るいぶかぶかのスーツをきて、合コンにいそしむ姿がおがめる。

アルマーニの軽さ、明るさ、柔らかさは、偶然かもしれないけれど、日本のバブルの軽さ、明るさ、はかなさの象徴だった。

バブル景気が終わり、金融崩壊の足音が聞こえてきた90年代半ば、アルマーニ的ファッションは、日本において急速に衰退していく。

代わりに台頭するのが、トム・フォードがプロデュースし、見事再興を果たしたグッチのスーツスタイル。真っ黒で、タイトで、無駄がなく、筋肉質。アルマーニのスーツのまったく逆の提案。このトムフォードが提案した、スーツスタイルは、その後20年間、現在にいたるまで主流となった。

アルマーニ的なるものを20代のときにまとったことのある人間にとって、アルマーニ的ファッションは、なつかしいものであるとともに、終わってしまったバブルの幻影のように思える。少なくとも私にとって。

アルマーニの名前をひさしぶりに見たのは、そう、銀座の公立小学校、泰明小学校が、アルマーニに制服を頼むことにした、と校長先生が決定したのをニュースが報じ、話題になったのを見たからである。

こういうニュースは、ディテールをちゃんと追わないと、どんな理由があって、どんな意図があって、というのが見えてこないから、アルマーニが泰明小学校の制服になることの是非そのものについて、私自身はなんの判断も下せない。

こうしたニュースは必ず「公立小学校に高級ブランドの制服はそぐわない」「10万円近くかかる制服の購入を義務付けるなんて、買えないおうちがあったら差別じゃないか」という意見が出てくる。

こちらの論については、あえて口は挟まない。取材をしているわけでもない私は、この方向の話の是非は、本件についてはできないし、するつもりもない。

私が反応したのは、そっちの方向ではない。

泰明小学校に「アルマーニの制服」と聞いた瞬間、どう思ったか。

「ダサっ!」と感じたのだ。

「トホホ」と思ったのだ。

その自分の反応が興味深かったからである。

なぜ、ダサっ!と感じたのか。トホホ、と思ったのか。

銀座の名門、泰明小学校を改めて銀座ブランドとして打ち出すにあたって「アルマーニ」に頼ろうとした心根がダサっ!と思わせたのである。

この「ダサっ!」には、実はかつての自分の心根が含まれている。

軽やかで華麗なアルマーニをまとえば、かっこよくなる、もてる、と盲信した、80年代後半の自分。

あのときの自分のダサさを、なぜいまさら2018年の小学生に背負わせるようとするのか。

お断りしておくが、ダサいのはアルマーニではない。銀座泰明小学校でもない。泰明小学校をブランディングするのに、銀座とゆかりがあるわけでもない(店はあるけどさ)アルマーニにすがろう、という姿勢がダサいのである。

そもそも、これは学校教育の話ではない。ブランド戦略の話である。校長先生は「服育」なる言葉を使って教育の一環、とおっしゃっているようだが。

アルマーニの制服を着せようというのは、知育教育ではない。学校のブランド戦略だ。私が言っているのではない。当の校長先生がおっしゃっている。


「銀座の街で発展するために、海外有名ブランドの力を借りるのも一つだと思った」http://www.yomiuri.co.jp/national/20180209-OYT1T50118.html

(読売新聞の2月9日の記事から)

そして、「約3年前からシャネルやエルメスなど海外の高級ブランドにデザインの打診を続け、唯一前向きな反応を示したアルマーニとの交渉を自身で行った」とも。

で、思うわけである。銀座の泰明小学校のブランドを強化するうえで、アルマーニの制服の採用はありか。あるいは、シャネルは。エルメスは。

「ないでしょ」。アルマーニは有名なブランドだけど、銀座とも、泰明小学校とも、相乗効果が見込めるイメージがうかばない。

洋服というのは、人間の持ち物のなかでもっとも「メディア」的なものである。こんなブランドが好き!って着ているひとだけじゃなく、「洋服なんてなんでもいいぜ」といって服装に構わないひとがいたら、その構わない服装そのものが、そのひとを表象する「メディア」となる。


つまり、何を着ようと、そのひとのファッションは、メディア的な力をもっているのだ。


そして制服である。


「制服」というのは、きわめて意識的にファッションを「メディア」化する仕組みである。どこに所属するどんな技能の人間か、というのを、言葉を使わずに示すことができるからだ。


制服は、強いメッセージを持ったメディアである。その制服をまとう集団のブランディングツールとしては、だからこそとても強力である。

学校以上に軍隊が制服のデザインに注力するのはそんな側面があるからだ。

だから、泰明小学校の校長先生は、制服をかっこよくしようと思ったのだ。

そこまでは、わかる。

でも、アルマーニ、じゃないよね。

瞬間、私はそう感じた。

長考せずに、そう感じた。

感覚的にダサい、と思った。

ここがブランド戦略の難しいところである。いくら、御託を並べようとも、瞬間的に「ダサっ!」と思われたら、戦略失敗なのである。

感じたのは、私だけなのかもしれない。

だから、これはあくまで私の感想である。

ただ、なんとなくではあるが、同じように感じたひとが、けっこういるのではないか、とも想像している。

メディアの話は、論に落とす必要があるけれど、メッセージとしてのメディアを受け取るとき、ひとは体感的に、瞬間的に、考えるのではなく、感じ取る。その受け取る側の習性を忘れていると、メッセージは伝わらない。そして好かれない。

(そもそも制服でブランディングすることについては、泰明小学校においては、まったく意味がない、と思う。アルマーニが高すぎる、からではなく、高級ブランドの有名性に頼る必要がないからである。泰明小学校に通えるひとが暮らしている中央区は富裕層が多く、かつ泰明小学校は、有名校で、区内であればどこからでも入学するチャンスがある。その意味で、「選んでわざわざ行く」小学校であって、学区が決まった「そこにいかなければいけない」小学校でなない。じゃあ、泰明小学校に通わせることのできる富裕層は、そもそも制服がアルマーニのような高級ブランドであることに価値を覚えるか。そのブランディングではじめて泰明小学校を知り得るか。どっちもないですよね。中央区という限定されたエリアに暮らしている、子供を持った教育委熱心な富裕層は、アルマーニに頼らずとも泰明小学校については、よーく調べているに決まっている。だから、制服でブランディング、ということそのものには意味はない、とわたくしは思うわけであります)

話を戻す。

この校長先生の「泰明小学校にアルマーニの制服を」がダサくなくなる、新しいニュースがひとつだけあり得る。

それは、この校長先生自身が「アルマーニの長年のファン」だった、というニュースである。

今に至るまで、ずっとアルマーニを愛し、身にまとってきた。私は身をもってアルマーニを銀座の小学校にふさわしいものだと思ってる!ということばである。

もしそうだったら、私はこの投稿のすべてを撤回し、面識もないけれど、校長先生に謝ります。

校長先生は、これまでにアルマーニを着たことがあるのだろうか。今も着ているのだろうか。愛しているのだろうか。

記者の方、ぜひ聞いてください。


話がつきた。

まだ続きます。

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