メディアの話、その67。AIとロボット。脳と身体。

AIが発展すると、シンギュラリティがきて、人間の仕事が全部奪われる、という話がある。しまいには、AI が人類を滅ぼしちゃうかもしれない、なんて、ターミネーターみたいな話が結構ある。

確かに、AIはおそらく思っていた以上 に進化している。

でも、人間がそもそも考えていた、AIというのは、脳みそだけを切り出した現在のAIみたいなものではなく、体をもっていた。そう、ピノキオだったり、アトムだったり、ロボット刑事Kだったり、キューブリックのAI少年だったり。

ところが、一向にアトムもピノキオも生まれてこない。

なぜか。

それは、大脳の機能を人工的に作る、つまりAIを作るよりも、なんでもこなしちゃう上に、有機物を取るだけの内燃機関を有していて、自己治癒能力までもっている、「体」を作ることが、今のところ、ロボット工学的なアプローチでは不可能だからである。

個々の作業はすごいロボットはあるけれど、料理をして掃除をして背中をかいて、キャッチボールをして、ピアノを弾いて、草むしりをして、絵を書いて、棚からコップを取り出して、ジャグリングをして、自転車を操る(以下無限)「体」は、今のところできる見通しがない。

伊達に37億年かかって進化しているわけじゃないのである。

だから、今後考えられるのは、バイオのアプローチで、人造身体を作っちゃう、というのは当然出てくるだろう。つまり、工学的アプローチじゃなく、生命科学のアプローチで、工場じゃなく、DNAに「体」を作ってもらう。

となると、AI に乗っ取られたくなかったら、人間は、もっと「体を使うこと」を色々できる、という、一芸に秀でたプロじゃなくて(こっちはロボットができる)、なんでもそこそここなせる多芸なアマチュアになる、ってのが、生き残る道かもしれない。

身体の延長としてのメディアである、ロボットが生命工学の力で生まれてくる前に。

続きます。



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