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メディアの話 番外編 星新一の「ようこそ地球さん」で「処刑」と「殉教」から死と生の意味を知った。

cakesの連載でfilamentさんが、星新一さんのショートショートの世界について書いている。そこで、「処刑」と「殉教」の2つの作品の名が。https://cakes.mu/posts/6103

ぞくっとした。

まさにその2つのショートショートこそ、私自身が、死と生とは何かを中学時代に考えさせられた作品だったからだ。

2012年、とあるサイトで書評コラムを連載しているとき、偶然にも、『ようこそ地球さん』に収録された「処刑」と「殉教」について、こんな一文を書いた。シンクロニシティを感じたので、notesに再掲載してみる。


 結局、人間は「死ぬ」のが怖いのである。 
 人間の文化も文明も、根っこにある最大の課題は常に「死への恐怖」とその克服である。
 iPS細胞は、なんのために登場したのか? 

より健康により長生きするため、である。

 なぜ、宗教があるのか? 宗教は常に「死」と向き合っている。そして、天国を極楽浄土を提案する。現世より素敵な来世。
 裏を返せば、「死」が怖いからである。
 なぜ、人間は「死」を恐れるのだろうか?
 恐れないと個体としての人間は生き残るパワーを持ち得ないからである。


 では、なぜ個体は、生き残らねばならないのか?
 それは、異性を見つけ、つがい、子を産み、育て、あとに残すためである。人間の最大にして、根源的な欲望、食に対する欲望も、性に対する欲望も、つまるところ、個体として人間をサバイバルさせ、種族としての人間をサバイバルさせるための、スイッチとして備わっている。
 その個体としての人間が、生まれてからずっと持ち続ける負の欲望、それが「死への恐怖」である。
 やだなあ、と思っても、しょうがない。 
 そういうふうに遺伝子がプログラムしちゃったのだ。いかんともしがたい。おかげで人類は37億年前の生命の樹の枝のはしっこに居座ることができているのだ。「死ぬ」のが怖くてよかったよかった。

 でも、考えてみてほしい。
 人間、死ぬのが怖くなくなったら、どうなる。
 おそらく、何もしなくなる。何も生まなくなる。あらゆる脅しが利かなくなる。あらゆる暴力も意味をなさなくなる。あらゆる締め切りは反故にされる。私もここで駄文をつらねることはなくなる。なにせ死ぬのが怖くないのだから。
 では、「死」が怖くなることって、本当にあるのだろうか。自殺願望者でもないのに、究極の宗教者でもないのに、いつ死んでもかまわない、となってしまうことってあるのだろうか。
 ある。
 もし、死者の世界があって、そちらがほんとうに天国で、地上よりはるかにすばらしい世界で、その天国にいる死者たちと、お話しができるようになったら。なつかしいあのひとが、こちらにおいでよ、と誘ってくれたら。
 さて、そこで、なつかしい小説をひもとこう。
 星新一のショートショート集『ようこそ地球さん』。おそらく読者諸兄の中にも、かつて手にした方、いらっしゃるのではないか。そして数十年忘れているのではないか。けれど、人生を折り返したあなたにこそ、改めて開いてほしい、この小説を。
 本書に収められたショートショートのひとつ『殉教』。
 こちらでは、死後の世界と対話できる機械を発明した、とある技術者が登場する。彼は小さなホールに聴衆を集め、いまは亡き最愛の妻を呼び出し、対話したのち、面前で自死する。その直後、機械の中から、彼の声がする。そう、死後の世界はあったのだ。この上もなくすばらしい天国が。
 機械の前に人々が並ぶ。天国にいる誰かと話す。なんだ、こっちよりいいところじゃないか。素敵じゃないか。じゃあ、生きている意味なんてないんじゃないか……。人々は次々と自ら死を選ぶ。そして……。
 『ようこそ地球さん』には、もうひとつ「死」とは何かを根源的に問うショートショートが収められている。
 その名も『処刑』。
 未来の地球。人類が機械によって裁判を受け、処罰を受ける時代。処刑が下されると、受刑者は銀色のボールを持たされ、砂だらけの赤い星へと送られる。その星に空気はある。ただし、水がない。食料もない。頼りは持たされた銀色のボールだけ。ボタンを押すと、空気中の水蒸気を吸収し、中に仕込まれたコップに水が溜まる。食事はその水にタブレットを溶かすだけ。
 ただし。この銀色のボールは、いつか必ずボタンを押した瞬間爆発する。そして受刑者は死ぬ。そこで処刑完了。
 何度ボタンを押すと爆発するかは、もちろん受刑者には知らされていない。1回かもしれない。1000回かもしれない。かくして、受刑者は毎回恐怖する。水を飲もうとするたびに。ボタンを押すたびに。そう、「死の恐怖」に直面するのだ。
 ショートショートは主人公の受刑者がこの銀色のボールを持たされて、赤い星につくところから始まる。のどが乾いた。でもボタンを押せない。爆発するかもしれないからだ。死ぬのが怖い。どうしよう。
 何度かボタンを押し、何度か水を飲むうちに、しかし彼は、あることに気づく……。それは。
 星新一は、まず『殉教』で、個々の人間の死への恐怖と、種としての人類の継続性が、実は背反していることを、きわめて冷徹にニヒルな笑いとともに描き切った。個々の人間は死ぬのが怖い。でも、個々の人間が死への恐怖を克服した瞬間、今度は種としての人類は文明を維持できなくなる。遺伝子を残す必然がなくなる。つまり、絶滅する。
 そしてそんな個々の人間の死への恐怖の、本質的な正体を『処刑』では、明らかにする。ネタバレになるので詳しい説明はしないので、たったひとこと。銀色のボールは、あなたも私も常に持っているのだ。
 「死」を、宗教、哲学、生物学を超えて、ここまで明確に描ける星新一。かつて彼は、異星人ではないか、と評するひとがいた。いま、改めて思う。星さんこそが、そもそも「死後の世界」からショートショートを送り続けた、「この世の人ならぬ」ひとだったのでは……。ひさしぶりに、彼の世界に耽溺したくなりますぞ。

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