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メディアの話、その60。喫茶店ランドリーに行ってきた。

江東区森下に、その店はある。

喫茶ランドリー。地下鉄の駅から地上に出て、大通りを少し歩いて、路地に入る。周囲は小さなビルが多い。印刷会社に繊維問屋。東京の下町は印刷会社と問屋の町でもある。なぜ、印刷会社と問屋がこんなに多いのか。世界でも珍しいのではないだろうか。

右手にソメイヨシノが満開の公園。人通りのなかった街ではじめて人の声を聞く。ベビーカーのお母さんたち。

公園の脇の、さらに細い道を隅田川方向に進む。古いマンションの1階にあるのが、「喫茶ランドリー」だ。

おそらく中に蛍光灯か電球が内蔵されているであろう乳白色の看板が、道路にぽんと出ている。横にはたくさんの植木鉢。ちょうど花が咲き始めている。

「常連になった近所のお母さんたちが、勝手に持ってきて、勝手に咲かしてくれたんですよ」

田中元子さんが教えてくれる。喫茶ランドリーの店主である。

「こっちの黒板には、可愛いイラストが貼ってあるでしょ。これもやっぱり、近所のお母さんで、イラスト上手なひとがいて、勝手に描いてくれたの」

黒板にはこうある。

どんな人にも自由なくつろぎ。

みんなの「○○したい」がかなう空間。

ベビーカー、ペット、車いすOK!

ドリンク注文された方は、食べ物持ちこみできます。

木枠に大きなガラスがはめ込んだ扉を開いて、中に入る。

入ってすぐ左手は半分地下に下がっていて、向かい合わせの机と椅子がいくつか。

仕事模様のおじさん二人が打ち合わせをしている隣で、大学生らしい女子が本を読んでいる。

右手のメインスペースは、大きなテーブルがあって、この日は若いひとたちがなにやら相談をしている。ひとりの男性がキヤノンEOS一眼レフを持ち、迷彩服模様の男性が指示を出す。女の子二人の手には絵コンテが。どうやら、この店で何かの撮影を行うようだ。

私は、彼らの隣の小さなテーブルと椅子に陣取ることにした。おっと、その前に、荷物を置いて、田中さんにもう少し店内を案内してもらうことにしよう。

喫茶ランドリーのユニークなのは、なんといっても奥の一段あがったところに「ランドリー」があるところである。

ただし「コインランドリー」ではない。エレクトロラックスの業務用のランドリーがずらりと並んでいる。


「お代はコーヒーと一緒で、レジではらってもらうのよ」
なるほど。

このランドリーのスペースには、大きな台があってミシンが置いてある。使いたい人が使っていいそうである。


レジの前には段ボール箱が3つあって、古いレコードを売っている。モダンジャズが中心で、なかなか魅力的なラインナップ。レコードプレーヤーが家にあったらうっかり何枚か買ってしまうところであった。


喫茶ランドリーは、店内が明るい。直射日光は入らないのだけど、ニ面がガラス張りだからだ。路地からも中がのぞくことができるし、店内から外を見ることもできる。ただし、この路地はすぐ先が隅田川の土手にぶつかるどんづまり。そのため、通る人の大半は、喫茶ランドリーの来訪者である。


外を見ながら、田中さんと並んで、話をする。


「田中さんの本、『マイパブリックとグランドレベル』を読んだときのイメージでは、もっとサードウェーブっぽい、なんというか、ポートランド風味のお店かな、と思ってました。行ったことないんですが、ポートランド」

https://www.amazon.co.jp/dp/4794969821/

「わはは。わかります。このお店をつくるとき、最初から、なるべく、かっこよくなりすぎないように、決め過ぎにならないように、と決めていたんです。デザイナーにも、建築家にもそれをお願いしました」


なるほどなあ。

喫茶ランドリーは、イケてる。実にイケてる。でも、神経症的にデザイン志向に走っているところがない。私が座っている椅子は、テンポスバスターで安く揃えたものだというし、壁には、子供のクリスマスパーティに使われそうな三角がずらっと並んだ紙の飾りが貼られている。一歩間違うと、ものすごくダサくなる。


喫茶ランドリーはそれでもイケている。なぜだろう。


「ひとつは、天井が高いから。天井が高いから、いろいろと雑多なものがあっても、狭苦しい感じにならないんです。窓が広くて、光がいっぱい入ってくるのも、ポイントですね」
なるほどなあ。なるほどとうなずいてばかりのワタシである。

(と言いつつ、この木枠のガラス戸と、マルタイルの壁のセンスは、半端ないのですが)


喫茶ランドリーは、なぜランドリーと喫茶の足し算だったんだろう。
田中さんは喫茶店には興味があったのだけど、喫茶店単体では立ち行かなくなるだろうなあ、と思っていたそうだ。そこで、ランドリーを合体させた。ランドリーは、その地域の不特定多数、あらゆる人が使う。そして、いざ洗濯が始まると、実は手持ち無沙汰である。おいてあるマンガを読んだり、ちょっとどこかにでかけたり。だったら、最初っから、ランドリーのなかに、時間を過ごせる場所があればいいじゃないか。


かくして、喫茶店とランドリーは、種族を超えて結婚したわけである。


ランドリーという業態の性格上、地元のお母さんたちがどんどん集まってきた。いまレジに立っている、とてもチャーミングな関西弁の女性もご近所からのお客さんだったという。


さきほどまで打ち合わせをしていた集団が、なにやら私の頭上越しに撮影を始めた。ランドリーの台の前に女子二人がすわり、監督(たぶん)が指示を出し、AD(たぶん)が絵コンテを持って走り回り、一眼デジカメを持ったカメラマンが撮影位置を決める。


「映画ですか?」「コマーシャルです?」「喫茶店だけにコーヒーの宣伝?」「ナイショです」
うーむ、フリーダムである。


喫茶ランドリーの前をあなたがもし通り過ぎようとしたら、必ず立ち止まるだろう。そして、店の中をのぞくだろう。そして時間さえあれば、思わず入ってしまうだろう。そして、コーヒーを頼んで、ぼんやり外を眺めたり、サイドテーブルに置いてある雑誌でも読んでいるうちに、もう一杯コーヒーをお代わりしてしまうだろう。そして、店を出る頃には、次いつこようかなと思っているはずだ。


喫茶ランドリーは、田中元子さんという店主自身の本性と経験と主義と趣味を拡張した、まさに「メディア」である。そして、田中さんが喫茶ランドリーから発信した何かを受け取った、私たちはその何かを受信して、店に入る。あるいは店で何かを始める。そんな人たちがある程度の数になり、たとえばこの森下の街に別の何かを生んだとするならば、こんどは喫茶ランドリーを受信したメディアであるお客さんたちが、発信者としてのメディアになり得る。


なるほど(今日何回目だろう)。喫茶ランドリーは、まごうことなきメディアである。そして、このメディアの性格は、コミュニティの生成装置、である。さまざまなひとが、躊躇なく入店できる、のんびりした開けっぴろげさ、キメてなさ。にも、かかわらず、圧倒的にかっこいい。かくして、ご近所のお母さんから、謎のビジネスマンから、大学生から、CM撮影チームまで、まったく属性の違うひとたちが、一緒に店の中の時間をすごす。もちろんランドリーのユーザーもいる。


田中さんは、作家というよりは編集者だ。自分の美意識だけにこだわり、誰の手も入れさせない完成度はこの店にはない。いや、その手の完成度をむしろ避けている。代わりに、この器に意外なひとがやってきて、意外なことが起きるのを、田中さんは楽しんでいる。


自分の作った器に、思いもよらない食材がのっかって、思いもよらないシェフが、思いもよらない料理にする。


これ、編集者としては最上の喜びである。


喫茶ランドリーとは、まあ、そういうところであります。

続きます。




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