メディアの話、その14。広告はいつから嫌われ者なのか。

広告は、いつから嫌われ者なのだろうか。

メディアをひとつの事業としてみたとき、広告がないと存在できないビジネスモデルをとっているメディアは実に多い。

まず、なんといっても地上波のテレビ。

それから、ラジオ。

この2つに関しては、受信料を徴収するNHKを除くと、広告収入なしでは、テレビやラジオのコマーシャルなしでは、事業が成り立たない。もちろん、不動産で稼いでいる局もあるけれど、テレビやラジオの番組放映事業については、あくまで広告が稼いでナンボである。テレビやラジオの人間じゃないけど、コンテンツを売らなくてもビジネスが成立しちゃうって、すごいことですね、改めて考えてみると。

新聞はどうだろう。

日本新聞協会のデータによると、2016年度の新聞40社の平均で、総収入100としたとき、新聞を売った販売収入が57.3%、広告収入が 21.5%、 その他収入が19.2%、だそうである。売り上げのざっと2割を広告が稼いでいる。

これ、昔はもっと広告収入の比率、高かったはずですね。

雑誌は?

種類によって全然違うが、広告収入が大半、というのは元気がよかったときの女性誌なんかはそうだった。経済誌も景気がいいときは広告がガンガン入っていた。

別に記事でもなんでもないので、細かい数字はこれ以上調べません。

要するに、4大メディア、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌は、みんな事業のほとんどすべてか半分近くを広告に頼っていた。それをなんとなく覚えておいてほしい。

なのに、広告は、だいたいにおいて嫌われる。

誰に嫌われているかというと、メディアをつくっている当事者たちから嫌われている。

よく、「広告が多いと雑誌が読みにくいんだよねえ」といった読者の声のせいにする向きがあるが、あれは、まあ半分以上言い訳である。

メディアの中の、コンテンツをつくっている部門のひと、仕事でいうと、編集だの、記者だの、報道だの、演出だの、といった人たちで、「おら、広告大好き!」って人には、あんまり会ったことがない。

俺たちは正義を貫くジャーナリズムの徒であるからして、企業から金をもらう、チンドン屋みたいな仕事なんかホントは一緒にいてほしくないんだよね、という人には、たくさん会ったことがある。

でも、みなさんのおマンマは、広告が稼いでいるんですぜ。なにも、そんなに嫌わなくても。

興味深いのは、大学生の時点にさかのぼり、就職先としてみると、広告は嫌われ者どころか大人気であった。昨今、さまざまなトラブルがあったせいで、風当たりが非常に増しているけれど、それでもずっとずっと人気業種だった。

そして、あの風当たりの中には、一企業として絶対に改善しなければならない雇用問題についての異議、だけじゃなく、「広告って、結局ひとを騙してモノを売りつける、詐欺じゃないの」という、広告に対するある種の蔑視が混ざっているのに気づいた人は少なくないのではないか。

でも、インターネットを見渡してみよう。

グーグルを、フェイスブックを、ヤフーを見ればわかる。巨大インターネットサービスは、圧倒的に広告で食べている。ある意味で、テレビやラジオ以上に貪欲に。自分たちのユーザーの行動パターンを、趣味嗜好を、巨大なコンピュータに蓄積された膨大なデータベースを解析して瞬時に見抜き、これでもか、と広告を浴びせてくる。

広告はたぶん今でも嫌われている。

広告なしでは瞬時に溺死するウェブメディアの上で、「死ね!広告」といっった類の話が、のどかに繰り広げられている。

4大メディアの次のメディアプラットフォームである、各種ウェブサービスの多くは、上記の通り、広告で食べている。

地球を支える亀のように、広告がウェブサービスを支えている。それに、気づいてか気づいてないかまあ、わからないけど、そのうえで、「死ね!広告」と書く人がけっこういる。

広告ってそもそもなんだろう。

広告には、必ず広告主がいる。広告主がいない広告はない。

広告には、その広告を載せるメディアがある。

広告には、その広告を見せたい「ひとびと」がいる。

じゃあ、広告の目的は何か。

すごく大雑把にいうと3つの言葉に集約できる。

「知ってもらうこと」

「買ってもらうこと」

「好きになってもらうこと」

どの広告も、たいがいこの3つのどれかを目的としている。

場合によると、1つの広告で、この3つ全部を満たそうとするケースもある。

新しい商品が出たことを知ってもらう。その商品を買ってもらう。

会社の事業を知ってもらう。そして会社を好きになってもらう。

その結果、売り上げが伸びたり、会社の株を買ってくれるひとが増えて、株価が上がったり、会社の求人が増えて、いい人材が入るようになったり。

でも、別に、わざわざ広告を打たなくたって、上の仕事、自分でやればいいじゃない?

そうはいかない。いや、いかなかった。

不特定多数にしろ、特定多数にしろ、ある程度の規模の人口に対して、自社の情報を発信する機能を、普通の企業は持ち合わせていなかったからだ。

じゃあ、どうする。

そういう機能を持っているところに頼ればいい。

それが、広告、というわけである。広告代理店に頼んで、広告コンテンツをつくってもらい、テレビやラジオや新聞や雑誌という、読者につながっている乗り物=媒介=メディアに、ひょいと乗せてもらう。

かくして、自社の広告=メッセージが届く。

もちろん、運賃は払う。けっこう払う。払えば、メディアという乗り物が、広告主の広告コンテンツを、読者だの視聴者だののもとにとことこと届けに行く。

この構図がインターネットの時代になって、ちょっと変わろうとしている。

広告主たる一般企業が自前のメディアを持てるようになった。

インターネットは、あらゆる個人を、組織を、タダ同然のコストでメディアに仕立て上げることが可能だ。かくして「誰でもメディア」の時代が到来した。企業が、本気でやろう、金かけてやろう、と行動に移したのは、個人よりだいぶ遅い。最初はホームページ。

2010年代になると、オウンドメディア、なる言葉が登場する。自前で保有するメディア、という意味である。「企業版だれでもメディア」をカタカナで言っているわけですね。

この「だれでもメディア」の流れは、2010年代に入ってからぐいぐいと来て、現在も続いている。

ところが、である。

この企業がつくる「だれでもメディア」、実は、テレビ的広告の黎明期、1950年代から60年代にかけて、すでに一度登場しているのだ。

インターネットもスマホをない時代に、である。

それが、開高健と山口瞳が編集したサントリーの「洋酒天国」であり、最盛期の60年代後半には660万部を誇った資生堂の「花椿」である。

読んだことのある人ならば知っているだろう。

いまのオウンドメディアとは桁違いのレベルの代物である。

そう、すでに圧倒的な完成度とエンタテインメント性を誇っていたのだ、

この2つのオウンドメディアは。しかも、部数も桁違い。

ほぼ全ての市販誌よりはるかな部数を誇っていた。

どちらも、オウンドメディアとしての雑誌であった。それであるがゆえに、その内容は、会社の宣伝という範疇を大きく超えていた。だからがゆえに、熱心な一般読者がつき、結果、ぐるりと回って会社のブランディングに寄与した。

では、60年代にして究極のオウンドメディアをつくってしまった花椿をつくった資生堂、洋酒天国をつくったサントリーは、広告だのコマーシャルだのを一切打たなくなったか?

逆である。一方でどんな会社よりもたくさんのお金を広告に投じ、歴史に残る素晴らしい広告を打ち出してきた。

「時間よ止まれ」「少し愛して長ーく愛して」「ウェルカムようこそ日本」「ウィスキーがお好きでしょ」。60年代から現在にいたるまで、ずっと。

サントリーと資生堂のやり方でわかることがある。

両社のようなたくさんのお客さんを相手にする消費財企業にとって、オウンドメディアと広告とは、そもそも担っている役割が違うのだ。はっきりいえば、オウンドメディアは、広告の代わりにならない。というわけである。オウンドメディアが負っている役割は、広告とは別なのだ。

では、洋酒天国や花椿が輝いていた60年代前半、広告そのものはどんな扱いを受けていたのか?

マクルーハンの「メディア論」では、「広告」にも一章を割いている。
60年代頭初頭に書かれた本書で「広告」がアメリカでどんな扱いだったかというか。

「広告は、繰り返しという騒々しい弾幕砲火をおこなっていれば、たとえ小さな弾でも、いやその弾痕ですら、徐々に効果を表すものだという、きわめて尖鋭な原理にもとづいて作用しているようである」「広告は騒音の原理をはるばると説得の次元に推し進めようとする」「それは洗脳の手順とまったく同じである」「無意識を襲うという深層原理が、両者の共通点といえよう」(「メディア論」(みすず書房 P232 「」は柳瀬)

ここには2つの、現在にいたるまで変わらぬ事実が指摘されている。

1つは、広告は騒々しいまでに繰り返し「メッセージ」を視聴者に届けることで、きっちり効果を得られる、ということ。ネットメディアでは、広告が視聴者をひたすら追いかけてくるウザいターゲティング手法がとられていたりする。ストーカーのようで甚だ不愉快だったりするときもあるけれど、統計をとるとあれはあれでちゃんと効果があるのかもしれないのだ(どっかにデータはあるのかな?)

もう1つは、そんな広告の手法こそは、「洗脳」そのものである、とマクルーハンが断言していることである。

「広告が嫌われる」根本的な理由が見つかった。

広告の手法が「洗脳」と一緒、だからである。

そもそも「広告が嫌い!」という人は、「頭のいい人たち」が多い。

その代表がメディアでコンテンツを作っている人たちである。

ウェブ上で「死ね!広告」と書いているひとたちも「頭のいい人たち」である。

そんな「頭のいい人たち」にとって、もっとも嫌なのは他人に意識をコントロールされること、すなわち「洗脳」的な行為だ。だから、「頭のいい人たち」は、人々の熱狂を反射的に嫌う。そこには好むと好まざるとにかかわらず、意図したか意図せざるかは関係なく、「洗脳」のような状況が生まれるからだ。かくして、「頭のいい人たち」は、熱狂を批評する。ロジカルに。冷めた目線で。

実は他人事じゃない。

自分自身が、かつて、「広告的」なもの、「熱狂的」なものが「大嫌い」な、なんちゃって「頭のいい人」だったことを思い出したのである。

そんななんちゃって「頭のいい人」だった私自身は、現在広告の仕事をしている。いまから10数年前に、書籍の編集の仕事の傍ら、広告の仕事をするようになった。

雑誌やインターネット上に掲載されている広告の多くは、広告代理店が仕切って広告のプロたちがつくっている「純粋広告=純広」である。

書いてみて気づいたけど、「純広」ってすごい言葉だなあ。

要は、テレビコマーシャルと一緒ですね。広告のプロがつくり、広告のプロがデリバリーし、メディアに掲載される。みんなが思っている、マクルーハンが洗脳的、と称した広告は、ほぼこのかたちで作られている。いまも昔も。

私自身はもともとコンテンツを編集することしかできない人間である。その私がたまたまとある製品の広告をつくることになった。とある著名な著者が私の担当で、ひょんなことから、その著者の連載企画をそのまま広告にしちゃったのである。この話はきっちり書くととても長くなるので、ディテールは割愛するけど、結果としてこの広告企画は2年にわたってビジネス誌と自然科学誌に掲載され、賞をいただいたりした。

そこから私はいつのまにか編集の人から、広告企画を編集する人になり、現在にいたる。

私がつくってきたのは、熱狂なき広告である。いま振り返って気づいた。理解を求め、解説を求める人たちに向けた広告である。右脳左脳の話はわりとトンデモなので、あくまで比喩としてのみ使わせていただくが、熱狂を呼び起こす「純広」が右脳を洗脳するものならば、私がやっていた「雑広=雑誌の記事的広告(いまつくりました、この言葉)は左脳に理解を求めるものである。

興味深いのは、2000年代半ばからウェブメディアを中心に、「純広」とは別に私が手がけた「雑広」はそれなりのニーズを獲得し、さまざまなジャンルのクライアントを獲得するに至った。

そして、あるとき私は気づいた。

こうした「雑広」は、そのまま、各企業のオウンドメディアのコンテンツにもっともふさわしいものであることに。2000年代終わりのことだ。実はまだオウンドメディア、というキーワードは流通していなかった。

私と私の同僚の営業チームは、左脳に理解を求める「雑広」をつくり、それをクライアント企業のサイトに格納する仕組みを提案した。結果は大当たりで、多くのクライアントが「雑広」をそのまま、自社サイトのコンテンツにするようになった。その後、「オウンドメディア」ブームが起き、この流れはさらに加速するようになる。

ここでようやくオウンドメディアの話になる。

サントリーの洋酒天国や、資生堂の花椿は、そもそも消費者を洗脳させる「熱狂メディア」ではなかった。最初から、「熱狂メディア」は「純広」「コマーシャル」と明確に認識していた。洋酒天国や、花椿は、左脳に効く、理解のメディアであった。結果、会社に対する共感を生み、サントリーや資生堂のイメージは、広告嫌いの「頭のいい人たち」の間でも上がった。

実際、広告は嫌いだけど、洋酒天国や花椿は好き、って人はけっこういる。

両社の広告戦略が優れていたのは、マクルーハンいうところの右脳ルートの「洗脳」だけが広告の手法じゃない、左脳ルートで理解をもとめ、共感と尊敬を集め、結果としてやっぱり「好きになってもらう」、そんな広告手法もある、ということ60年代前半ですでに気づいていた、という点にある。

洗脳的広告の効果は「恋愛」のようなものである。右脳経由。

理解を求める広告企画やオウンドメディアの効果は「お見合い」みたいなものである。左脳経由。

でも、どっちのルートを経たとしても、視聴者と「結婚」して「末長く幸せ」になれば、クライアントの目的は果たせたことになる。

広告そのものの運ばれ方は、これから一気に変わっていく。おそらく劇的に変わっていく。広告が商品に練りこまれ、広告が店舗に練りこまれ、つまり逆にあらゆるものが広告的になる。そんな話を、星新一も筒井康隆も60年代にショートショートで書いている。

続きます。

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