メディアの話、その41。説明と発見。

新しいメディアをつくるとき、必ず考えるのは「お客さんを誰にするか」。要するにマーケティングである。


あ、今回の「メディア」は、従来の「メディア」の定義に近い話です。

すなわち、マスメディアであったり、個人レベルでも発信型メディアの話。


メディアとマーケティングの話をすると、必ずこういう意見が出る。


「いやいや、俺は自分の好きなものをつくるぜ、マーケティングなんかしないね。でなけりゃほんとにイイものはつくれない」

はい。こうおっしゃる方もいらっしゃって、実際にちゃんと「お客さん」がついているメディアというのもある。ただし、こうした一見「俺様」に見えるかたのやっていらっしゃるメディアやコンテンツでちゃんとお客さんがついているケースは、実にきっちり自分の好きなこと嫌いなことやりたいことをちゃんと分析し、探求し、工夫し、調べあげている。つまり、「自分自身」というもっとも誤魔化せない騙せないわがままな「お客さん」のニーズに応える「自分マーケティング」をされている。


なので、これもまたマーケティングなわけである。

マーケティングというのは、市場調査ではない。マーケットをつくること、つまり、ピーター・ドラッカーいうところの「顧客の創造」のことですね、ほんとうは。マーケットリサーチして、誰かの真似をすることをマーケティングだと思われがちだったりするけど、そういう「真似っこマーケティング」は、マーケティングが包括する概念の、ほんの一部である。


では、いまメディアはどうマーケティングしているか。


インターネットの登場で、メディアのお客さんの設定の仕方は、ものすごく乱暴にいうと2方向に明確に分かれつつある。それは、「人類全てがお客さん」というのと、「うちのお客さんはこの人たちだけ!あとはこなくてもいい!」というのである。


つまり、徹底的に開かれたマス=大量のお客さんを集めるか、徹底的に顔の見えるお客さんを集めるか。マスか会員か。


もともと、メディアの作り方は、この2つの極のあいだのどこかに自分のお客さん集めのマーケティングのピンを刺す、ということをやってきた。

すごくざっくりいうと、
テレビが(大量)の端にあり、書籍が「会員)の端にある。ラジオは案外テレビ以上に(大量)の端のほうにあり、雑誌は(大量)から(会員)まであらゆる振れ幅でピンが立っている。


もちろん、テレビでも(会員」型のコンテンツはあるし、書籍でも(大量)型のコンテンツはあるけれど、お客さんの実数を考えると、ざっくり上記のような分布になっていた。


インターネットの登場で、この様相が変わった。
メディアが両極にぐぐっと偏在するようになったのである。
少なくとも「お客さん」をゲットできたメディアは、両極へと分布を変えている。


マスのほうはなんといっても、メディアの基盤をつくっているプラットフォームビジネスである。検索サービスからスタートしたグーグル、ポータルの入り口からスタートしたヤフー、SNSのフェイスブック・・・。お客さんを絞らず、あらゆる人が使う。あらゆる人が使うことで、さまざまな情報が蓄積され、その情報をベースに広告ビジネスを展開し、莫大な収入を得る。さらに、そのデータベースが次のビジネスを生む。。。


会員のほうは、たとえば個人のサロン的なビジネスがそう。私がプロデューーサーを務めている日経ビジネスオンラインも、無料ではあるが会員登録制をとっている。読者の数は必然的に絞られるが「わざわざ」登録してくださるお客さん、という「顔の見える」データベースができるため、高付加価値の広告ビジネスがそこでやはり展開できる。


問題は、マスと会員の「中間」である。インターネット以前の多くのメディア、典型的なのは一般的な雑誌の多くは……、と書いていて、突然、自分でつまらなくなった。


なぜ、つまらないか。

以上は、ただの「説明」だからだ。


いま、私は、「説明」をしようとしている。でも、「説明」にはクリエイティブがない。つまり、新しい発見がない。以上の「説明」は、ちょっとでもメディアのことを知っている人だったら、1万回くらい見たことがあって、「ああ、そうね」で終わる話である。


そんな「説明」、だれも聞きたくないし、私も書く必要がない。


「発見」と「説明」は違う。


昨日、私はそれを橋本治さんに教わった。

いま、メディアコンテンツの多くは「発見」ではなく「説明」に労力を費やしている。そもそも、私が書いている「メディアの話」にしてからが、ほとんど「説明」にすぎない。


「発見」は違う。

別に新しいことをゼロから作らなくっても、「発見」はすでにある世界からできる。

ダーウィンは「進化論」を発見したが、彼が生き物を進化させたわけじゃない。アインシュタインは「相対性理論」を発見したが、以下略。赤瀬川原平さんは、すでにある不要になった人工物を「超芸術トマソン」として再「発見」した。


「説明」が必要なときはたくさんある。でも「説明」ばかりで「発見」がなかったら、そもそも、面白くないじゃないの。


マーケティングの話の難しさ、つまんなさは、大概の場合、「説明」の話にはじまり、「説明」で終わるからである。まさに、今回、私がその罠にはまってしまった。


「発見」ができたら、書いてみよう。いや、マーケティングで「発見」があったら、むしろ、自分でなにかを「やる」べきときなのかもしれない。


続きます。

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